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23 トルストイ督戦隊大隊

「ふぅ~……、ふぅ~……、ふぅ~……」


 両手を苛む痛みに仮想現実の世界での生を実感しながら、ゆっくりとなんとか拳を握りしめてファイティングポーズを作る。


 どうやら地獄突きを使った時に右手の中指と薬指も折っていたようで、拳を握っているだけで鈍痛が警報(アラート)となって脳内を駆け巡り続けるが、命に別状のあるわけでもなし、私は大尉という千載一遇の敵とのファイトを優先していた。


 だが、肝心の大尉はマットの上にうつ伏せの状態で倒れたまま。


「おいおい、ヤベーなアイツ……」

「エッグい事しやがるぜ」

「君んとこのいったいどうなってんだ?」

「そうなんです。()()でしょうよ」


 傍で見ているマッチョメンズは好き勝手な事を言ってくれているし、マモル君にいたってはコメカミを指でトントンと叩きながら私の事を「これ」呼ばわりである。


 まあ、外野には好きに言わせておけばいいと私は構えを解いておもむろに大尉の元へと近づいていき足首を掴む。


「…………つっっっ!!!!」

「何する気だ……?」

「まだやるつもりなのかよ……」

「сумасшедший……」


 両手にそれぞれ大尉の足首を掴んで引くもびくともしない。

 200kgという大尉の体重もさることながら、完全に脱力しきった身体に薄いマット、そして衣服と汗が上手い具合に絡み合って滑り止めとなっているのだ。


 そもそも私だって左手首に右手は指が2本も折れているのだ。そんなんで十分な力を込めて引けるわけもない。


 全身に脂汗を掻き、自分でも分かるほどに全身を紅潮させるほどに渾身の力を込めて引いても数センチ動かすのがやっと、私は舌打ちして大尉の部下たちに助力を求めた。


「ちょっと! アンタたち自分の上司でしょ!? メディカル・ポッドまで連れてくの手伝ってよ! こっちはとっとと第2ラウンドにいきたいのよ!!」


 だが大尉の部下は動かない。


 技を仕掛けた私が逆に指の骨を折るほどの貫き手を喉仏に受け、その直度に身構える事もできないような状況で延髄斬りを受けた自分たちの上司をまるで心配していないのである。


 大尉が実は嫌われているというわけでもなさそうだ。

 むしろ逆。

 ヘラヘラと笑顔を浮かべるマッチョたちは大尉に全幅の信頼を寄せているのだ。無様に倒れている大尉に、だ。


「うっわ。マジかよ。あんだけ急所狙いの攻撃を仕掛けておいて悪びれもせずにまだやる気かよ!?」

「まあ、でも……」

「ああ。そういう事なら心配いらないぜ?」

「はあ……!? どういう事よ!?」


 私の問いの答えは大尉の部下たちからではなく、当の本人から返ってた。


 ビクリと私が掴んだ足首が震え、その直後に爆発的な勢いで私の握力の拘束から抜け出した大尉は跳びはねるように立ち上がっていた。


「せりゃッ!!!!」

「ふんッッッ!!!!」


 私も合わせて跳ぶ。


 それはもはや思考の外、反射的な行動であった。


 大尉が立ち上がろうとするその瞬間。

 宙で体を回しながら放ったローリング・ソバットが大尉の顔面を襲う。


 だが蹴りが直撃する事はなく、大尉の大きな手で受け止められていたのだ。


 私自身、意識していない条件反射のような咄嗟の蹴りを。

 たった今まで気絶していた大尉が瞬時に状況を把握してやってのけた。


 やはり私の想像通り、いや、想像以上。

 望外の強い男。


 私の胸はこれまで感じた事もないほどに高鳴っているのを感じていた。


「たまんないわねぇ……」

「ふん。そちらこそ」

「それじゃ第2ラウンドといきましょうかッ!?」

「いや……」


 大尉に右脛を掴まれたまま2人は言葉を交わし合い、そして不意にコンクリートで固められたかのようにビクともしなかった右脚が自由を取り戻す。


 大尉が掴んでいた脚を離したのだ。


「もう十分だろう」

「いいの……?」

「ああ。貴様が一角の、そんな言葉では追いつかないような稀有な戦士である事が分かった。ならばこれ以上の試合は無用だろう」


 私にはまだ物足りない気持ちは確かにあったものの、それ以上に大きな充足感があった。


 大尉ほどの男に私の実力を認めさせた。


 それは何物にも代えがたい達成感となって私の中をいっぱいにしていた。


 とはいえ大尉を一時的に、1分にも満たないような僅かな時間であっても気絶させたのは事実ではあるが、負傷は私の方が遥かに大きい。


 大尉は僅かに後頭部を触っただけで何食わぬ顔をしているし、私が指2本を犠牲にした地獄突きを受けたハズの喉仏にいたってはまるで気にしていないのである。


 はしたない女だと思われるかもしれないが、それでも私にはまだ名残惜しい気持ちが確かにあった。


「……もう少しやれるんじゃないの?」

「やれたとして、分かっているんだろう?」

「まあ、ね」

「ここから先は行きつくとこまでやるしかない。そうなればお互いに命の危険がある。会戦前に作戦に参加した傭兵を私闘で減らすわけにはいかん」


 それは脅しでもなんでもなく、純然たる事実であった。


 大尉の真剣そのものの表情はブラフだとか、あるいは冗談の類を言っているような物ではなく、何よりも私自身、命がどうとかそういうのは度外視して大尉が言うように「行きつくとこ」までやってみたい気持ちが確かにある。


 その気持ちは試合を再開した途端に歯止めが利かなくなる事も分かっていて、これほどに彼がゲームの世界の死ねばそこまでのNPCである事を恨んでいた。


 こんな気持ちは初めて。


「それでは、お互いメディカル・ポッドに入った後で一杯奢ろう」

「あら? それじゃ御馳走になるわ」


 私を一角の戦士と認めた後は彼は一流の紳士であった。


 そうでなくて自身にはほとんど怪我なんて無いというのに「お互いにメディカル・ポッドに入った後で」なんて言えるのだろうか?


 きっと大尉は自分はそのまま飲みにいけるというのに私を気遣ってそう言ってくれたのだ。


「大尉殿。貴方、良い男ね」

「ボリスだ。ボリス=トルストイ。督戦隊で大尉をやらせてもらっている」

「で、俺たちが大尉の部下の特戦隊大隊。総員12名!!」

「俺たち1人1人が1個小隊相当ってわけだ!」

「さっ! とっとと怪我を直してバーに行こうぜッ!」


 バーに行くと聞いてか、試合を見守っていたボリス大尉の部下たちもこれまで以上の満面の笑み。

 世の中には他に楽しみが存在しないと言わんばかりの彼らに急かされて私は最寄りのメディカルポッドへと向かう事になった。

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