20 少年少女と謎の仮面
ワケが分からなかった。
少年たちはゲームの世界でしか生きられぬ身である。
無論、他の大多数のプレイヤーのように現実世界に生身の肉体はあるが、何も為せずにただ徒に死を迎える日まで苦痛に苛まれながら暮らしていく事を彼らは生きているとは思えなかったのだ。
3人の内、2人は来年を迎える事ができないだろうと漠然とながら感じていたし、自分たちに聞こえないような場所で両親が泣いているのも知っていた。
数年にも渡る入院生活でかつての級友が見舞いに来る事も減っていて自分たちが忘れられた存在である事も理解していたし、医師や看護師たちも自分たちのような患者には未来の話をしない理由も察していた。
いや、口うるさいくらいに未来だの将来だのと言っていた医師も1人だけいたが、少し前に病院を辞めていた。
現実では恋もできないような身の内である。
まだ十代であるというのに3人は秘める恋すら諦めていたのだ。
そんな3人も完全没入型のVRゲームの世界でだけは思う通りに動く事ができる。自由に大地を駆けて、他のプレイヤーたちと伍してHuMoを駆って戦う事ができる。仮想現実の世界で出会ったプレイヤーに淡い恋心を抱く事ができるのだ。
その自分たちにあくまで現実を生きろとゲーム世界の拠点を奪おうとした者がいた。
ワケが分からない。
自分たちに死ぬまで苦しみぬいてただ1つの思い出も抱けぬまま死ねというのか?
ワケが分からない。
そう自分たちに言った者とその舌の根も乾かぬ内にゲーム内の、しかもイベント専用ステージで再会しようとは。
ライオネスから聞いた話では先週末のバトルアリーナイベントにもその者は参加していたというし、3人とも対戦していたというのだから驚きである。
さらに前回の週末イベントでよほどやり込んでいたのか、機体は上位入賞者に送られるイベント専用HuMo交換チケットでしか手に入らないナイトホークを持ってくるというし、よほどクレジットに余裕があるのか3人にはまだ手が出せない高機能高価格帯のパイロットスーツを着て、その上に某アウトドアブランドコラボのジャケットを羽織って、随分とこのゲームの世界をお楽しみの様子。
オマケにその者の隣に立っていた男と随分と距離感が近いように感じられたし、お揃いのジャケットを着ていたという事はそういう事なのだろう。
現実世界を生きろと自分たちをゲームの世界から追い出そうとした者、栗栖川が彼氏連れでイベントをやり込んでいて、それでいてゲームの世界で再会しても恥ずかしそうな面の1つもしないとは、呆れかえって何も言えないとはまさにこの事である。
精々、かつて自身の計画を潰した立役者である粕谷正信ことマーカスを恨み、同じく彼に雪辱を果たそうとするライオネスと組む事にしたのだろうというくらいまでは察しがついたがそれで納得できるわけもない。
さらにまだワケの分からない事がある……。
「ま、まだ追っかけてくるよ、あの仮面の人!?」
「な、何なのよ、一体!?」
「怖いさぁ~!!」
ライオネスや栗栖川たちの前から逃げ出した3人を追う者がいた。
息も絶え絶えになりながらも現実世界でマトモに走る事もできない鬱憤も晴らすために床も壁も関係無く力強く蹴り上げて走る3人は、子供らしい適応力を示して低重力下の艦内をすばしっこく逃げ回り、時には通路を歩いていたNPCと思わしき者たちをかき分け、転ばせて追手への障害物としていたが、彼らと追手の女との距離は一向に縮まらない。
黒いパイロットスーツの上に、同じく黒いミリタリー調のサマーコートの前を開け放って3人を追う女は服を着ていても分かるくらいにバツグンのプロポーションで、追われている状況でもなければキャタピラーもパス太も鼻の下を伸ばして見惚れていたであろうし、同性であるパオングも羨望の眼差しを送っていたであろう。
だが、女が被っていた顔の下半分を隠す何とも面妖な仮面が女の美しさのほとんどを台無しにしていた。
しかも女は白くて細い綺麗な指を揃えて振りながら、歩幅のピッチを小さくしながらも猛スピードで走っていたのである。
その歩幅の小さい走法は低重力環境下で3人が独力で編み出したものと同様のものではあったものの、それで女の不審さ怖さが薄れるわけもない。
「2人とも跳んで!!」
「お、おう!!」
「分かった!!」
「ゴメンさぁ~~~!!!!」
3人は出鱈目に通路を右へ左へ曲がって何とか仮面の女を撒こうとするも相手はアスリートさながらの身体能力を見せ、やがて幾度目かの十字路にさしかかった時、丁度3人の前に郵便のマークが描かれたワゴンを押してあるく兵とかち合う。
そのワゴンを見てキャタピラーは咄嗟に仲間たちを宙に跳ばせ、自分も仲間たちよりかは低く跳ぶ。
「ちょっ!? このガキャ~~~!!」
少年が着地したのは床ではなくワゴンの上。
そのままワゴンを蹴り倒して追手への障害物として、自分は野太い怒声を後目に仲間たちの後を追う。
それで例の仮面の女は3人を追うのを諦めてくれたのか、しばらくしても後方にその姿を現す事はなかった。
それでも3人は走る事をやめなかった。
現実世界では3人揃って歩く事すらできないというのに、この世界では自分の足で思うがままに駆ける事ができて、あの仮面の女がプレイヤーなのかNPCなのかは分からなかったが、それでも自分たちが優れた身体能力を見せたあの女を出し抜いた事が何者にも代えがたい高揚感をもたらしていたのである。
額に汗して息を切らせながらも3人は互いに目配せしてハイタッチしながら笑いあう。
「さすがに疲れたさ~……」
「見て、あの案内標識。休憩所が近いみたいよ?」
「寄ってこうぜ? 喉がカラカラだよ」
仮面の女が追う事を諦めたかどうかは定かではないが、高揚感に浮かされていた3人は自動販売機で飲み物を買う余裕くらいはあるだろうと高を括って休憩所へと寄る事にする。
不審者とのチェイスとの結果、3人の胸中に澱のように沈殿していた栗栖川への言葉にできない怒りは鳴りを潜めてはいたが、気分転換と汗で失った水分の補給のために炭酸飲料を欲していたのだ。
「ったく、ライオネスさんも友達は選ぶべきさぁ~!」
「ホントよね~。マーカスさんとフレンドなのにノーブルに勝つとか言っちゃってるし、あの人、脳味噌が足りないのと違うかしら?」
「そこまで言ったら失礼さ~!」
「まあまあ、そういうのはなんか飲みながらでいいだろ? おっ、ペプシン・コーラあんじゃん!!」
艦内という事もあり、窓の無い休憩室は白く無機質で観葉植物のイミテーションとテレビ、それからテーブルセットくらいしか置かれていない光景は3人が良く知る病院のものとよく似ていて辟易させられたが、それでも喉の渇きは耐えがたく、3人はぴょんぴょんと跳ねながら自販機へと近づいていく。
だが……。
「やはり、ここで正解だったようだな……」
誰もいないと思っていた休憩室。
だが、2台並んだ自販機のその隙間から仮面の女がふらりと出てきて3人は固まってしまう。
「な、な、な、何で?」
「何でって、逃げるのを追うよりも、来る場所を予想して待ち構えていた方が効率的かと思ってね」
「どうして、ここに来ると……」
「走り回って随分と疲れていたようだし、顔も真っ赤でたっぷりと汗を掻いていたようだからな。それにポチョムキン級宇宙空母の艦内構造は大体は把握しているものでね」
やられた。
3人は揃って苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
大人を出し抜いて良い気になっていたと思ったら、逆に手玉に取られていたのだ。
女の仮面や衣服に隠れていない素肌、顔の鼻から下や首などには汗の1つも浮かんでおらず、呼吸も整っていた。
完全に負けである。
ただ1つだけ分かった事があった。
今回のイベント用の空母の艦内構造を把握しているという事は即ち、この仮面の女がプレイヤーではなくNPCであるという事だ。
プレイヤーでも艦内を探索して構造を把握する事は可能だろうが、この女が艦に乗り込んできたのはライオネスや栗栖川たちと一緒の便。3人の知る限り、事前にそのような情報が公表されていたという事もないのでほぼ間違いないだろう。
「な、何でお姉さんはわ~の事を追ってくるのさ~?」
プレイヤーやその補助AIに追われるならともかく、ただのNPCが何故、自分たちを追ってくるのかとキャタピラーは聞いてみた。
既に体力の限界も近く、3人揃って手玉に取られていたこともあってか再びの追いかけっこをするつもりはなかったというのもあるが、仮面の女性が醸し出す雰囲気に何故か言葉を交わしてみようという気になったのである。
「ふぅむ。何でだろうな? そういえば3人は何で逃げたんだ?」
「はあ!?」
「ちょっと勘弁してよね!?」
仮面の女は悪戯っぽく顎先に人差し指をあててしばし考えた後であっけらかんと言い放つ。
これにはたまらずパス太もパオングも辟易とした声を上げる。
理由も知らずにあれだけ追い回されたのだから当然だ。
「え、ホントに? ホントに理由を知らないさぁ?」
「うむ!!」
「ライオネスさんとか栗栖川先生から聞いてない?」
「うむ!! その栗栖川先生とやらは知らないがな!! もしかしてクリスさんの事か?」
何故か自身満々に一切の事情を知らないと胸を張る仮面の女にこれまでの事はいったい何だったのかと3人は大きく肩を落としていた。
「はいはい。それじゃ貴女が私たちを追う理由は無かったって事で……」
もう付き合いきれないとばかりにパオングは女を無視して自販機で炭酸水を買い、パス太も後に続く。
「いや、知らないのは君たちが逃げた理由だ。私が君たちを追う理由ならあるぞ!」
「え?」
パス太がコーラを買った後にはキャタピラーもメロンソーダを購入し、仮面の女は3人が喉を潤すのを待ってから話を続けた。
「だって、あんなに今にも泣きだしそうな顔をして、放っておけないだろう」
女の顔で見えていたのは今も口元だけ。
それなのに今の3人には女の表情が蠱惑的でありながらも寂しそうで、まだ二十代くらいだろうにとびきりの包容力の中にどこか危うさがあって、何故かそんな事を言う彼女の事こそ放っておけないような気分になっていたのだった。




