19 女性主人公がイケメンとくんずほぐれつする回です
男たちについていった先にあったのは何らかの武道の道場のような広い部屋であった。
だがその場所の床は柔道のような畳敷きのものでもなければ、空手や剣道のような板張りのものでもない。
かといってプロレスやボクシングに用いられるリングがあるわけでもなく、強いていうならば、ある程度クッション性のある薄いマットはアマレスに似ているのかもしれないが私には断定する事はできない。
「準備運動はいるか?」
「心配しなくても貴方がそれを着ている内に終わらせるわ」
意外な事に道場は男たちの汗臭さとは無縁で、むしろ芳香剤の香りやら隣接しているシャワールームから漂ってくるボディーソープの匂いが充満しているくらい。
大尉は慣れた様子でロッカーから柔道着によく似た上着を取り出して着始めると、私はその場でスクワットを始める。
準備運動とはいえ、すでに対戦相手に見られているのである。
いつもなら、だいじんさんやマサムネさんを相手に「年寄りなのに良く動く」だとか「優男の癖に意外とやる」だとか上から目線で見ている私であったが、今回の相手は身長200cmに体重200kgというバケモノのような男なのだ。
いつも以上にキツいフォームでいつも以上に素早い動作で屈伸運動を続けて一気に心拍数を上げていく。
「嬢ちゃん、使うかい?」
「坊主にはこっちだ」
大尉の手下と思わしき取り巻きの男たちは私たちを遠巻きに見ながらも私にゴムチューブを手渡し、マモル君にはオレンジジュースのパックを手渡していた。
大尉以外の男たちは私に対して珍獣を見るかのような視線を向けているが、大尉はあくまで冷徹そのものの無表情でゴムチューブを引き千切らんばかりにもてあそんでいる。
私もそれに倣って両手で引いたり、脚と手を使ってめいいっぱい伸ばしてみたり。
なるほど、低重力環境でもゴムチューブを使えばそれなりの負荷をかけられるのは新たな知見であった。
「で、私もその柔道着? を着ればいいのかしら?」
「構わん。着ても着なくとも一緒だ」
手下の1人が気を利かせて持ってきてくれていた道着を大尉は受け取って、それから私に見せつけるようにして引き千切ってしまう。
やはり大尉は無表情のまま。
己の剛力を誇るためのパフォーマンスというよりかは「道着を着ても着なくとも一緒」という言葉がどういう意味なのかをただ示してみせたというわけだ。
「なるほど、ね……。フンッッッ!!!!」
私もお返しとばかりにゴムチューブを引き千切ってみせる。
両脚でチューブを踏んだ状態から両手で思い切り引き伸ばして。
脚力、背筋力、腕力、握力の合わせ技となれば私くらいの体躯であっても自転車用タイヤのゴムチューブを引き千切るくらいは容易い。
「ていうか、大尉さん。貴方、道着の下は着なくてもいいの?」
「……? 何の事だ? それよりも準備がいいのなら始めようか」
大尉は道着の上着は着たものの、下はハーフパンツのまま。
だが、それでいいのか大尉は首をクイとしゃくりあげて後方のサークルへと私を誘う。
もちろん自分から喧嘩をふっかけておいて今さら尻込みする私ではない。
サークルの中で向かいあった私たちはめいめいにそれぞれ構えを取ったが、大尉の構えに私は既視感に襲われて気が緩んでしまった。
それを突くように大尉が仕掛けてくる。
私のツナギ服の左袖を掴もうとその巨体からは想像もできないくらいに素早く出てきた腕を払いのけながら懐に飛び込み、アッパーカットのように掌底を大尉の顎に叩き込む。
打撃のための足捌きが即バックステップの予備動作へと繋がる一連の流れで距離を取ったがために反撃はなかったが、逆に私の掌底も微塵もダメージを与える事はできなかったようだ。
「……驚いたわ。貴方、サンビストだったのね。しかもコマンド・サンボって奴でしょう?」
気付いてみれば当たり前の事であった。
柔道着によく似た道着の上着にハーフパンツにシューズといった服装はまんまであるし、先ほど大尉の構えを見て感じた既視感。
ジュードーとレスリングの合いの子のようなその構えは私が部活をやっていた頃に当時3年生であったサンボ家ギミックをやっていた浅子先輩と良く似たものであったのだ。
そして軍人である大尉がサンボを使うのならば、それはスポーツサンボであるわけもなく、当然のように軍隊徒手格闘としてのコマンドサンボを使ってくるのだろう。
となれば投げ技や関節技、抑え込みだけではなく、打撃や締め技も警戒しなければならないわけだ。
だが、そのくらいならまだいくらでもやりようはある。
そう思ってこれからの展開を幾通りか組み立てていた私に対して、大尉は先の私の言葉を否定してみせる。
「コマンド・サンボ? 違うな……」
大岩のように巨大な男が飛んだ。
跳んだ。ではなく、私はその動きを飛んだと認識していた。
そのまま大尉は一瞬の内に天井を蹴って今度は一直線に私目掛けて急降下。
あまりに予想外の動きに私は反応がワンテンポ遅れてしまったものの、なんとか躱して200kgの直撃は避けられたものの、回避がギリギリになってしまったせいで襟首を掴まれてしまっていた。
大尉が着地のために両膝を沈ませる動作がそのまま彼の腕力と合わさって私を引き倒す動作となり、このままではマズいと私も跳ぶ。
だが、既に襟首を掴まれている以上は回避のためではない。
大尉の右手を両手で掴んでから跳びあがって、股の間に彼の腕を入れ腕拉ぎ十字固めの形を作ってから一気に全身の力を込めて大尉の肘の間接を逆方向にへし折ってやろうと試みる。
現実世界でも私は何度か腕拉ぎ十字固めを使った事はあるが、それはあくまで相手に怪我をさせないように配慮をしたスポーツマンシップ溢れるもの。
だが今回ばかりは違う。
ゲームの世界だからとか、メディカル・ポッドの存在だとかを考えなくとも迫る200kgの圧力に自然と私の脳のリミッターは外れていた。
だが、折れない。
折れなかった。
私の渾身の力を込めた腕拉ぎで、腕力だけではなく背筋力も籠った腕拉ぎ十字固めで、肘関節の1つすら破壊できなかったのだ。
「……驚いたな。スペース・サンボにいきなりで対応できるとは」
「こっちも驚いたわよ。こんな巨体がいきなり天井まで飛び上がるんだもの」
「オマケに思い切りも良い。いきなり腕を破壊しにくるとは……。だが、それだけでは、な……」
スペース・サンボとやら、宇宙空間での無重力だとか低重力下での戦いに用いるものなのか、それとも空間を縦横無尽に使うからそう呼ばれるからなのかは分からない。
まあ、結果的には両方なのだから今はどうでもいい。
問題なのは現時点において技をかけている側であるハズの私の方が追い込まれていて、仕掛けられている側の大尉の方が余裕綽々である事の方だ。
大尉は言葉とは裏腹に私の腕拉ぎなどまるで意に介していないようで自身の右手首を握る両手の内、左手側へと自身の左手を持っていって、やおら思い切り掴んで捻った。
バキリ。
その音はまるでパスタの束を真っ二つに圧し折った時のものと似ていた。
一瞬遅れて激痛。
ゲームシステムで痛覚は緩和され、さらにリミッターが設けられているというのに悲鳴を上げる事もできない重厚な痛みが私を襲う。
手首を粉砕された痛みで私の腕拉ぎが緩んだ隙を突いて大尉が右肘を曲げ、組み付いていた私の体も虚しく従うしかなかった。
そして私の眼前に巨大な拳が迫る。
ハイエナの拳銃やら小銃なんかよりもよほど圧のある左拳が私の顔面を襲う。
つい先ほど治したばかりの鼻をまた折られては御免と私は顎を引いて額で大尉の拳を迎え撃つ。




