18 イケメン集団登場
普段、私たちが暮らしている1G環境下と0.8Gのポチョムキンの人工重力区画。
たった0.2Gの違いでこれほどの差が出るものなのか。
壁にぶつけた私の鼻から流れ出る鼻血はしばらくたっても止まることがなく、これは折れた鼻の骨が鼻腔内の肉を突き破って飛び出たのだろうとメディカル・ポッドに入る事になった。
ちょうどそのタイミングで乗員の乗り組みが終わり、ブザー音の後に艦内に緩やかな加速度がかかって発艦となる。
ナノマシン入りの薬液に浸かっていた時は私の意識は微睡みのような曖昧さに包まれていたものの、治療が完了し仕上げの乾燥モードになると8時間睡眠の後に冷たい水をたっぷりと飲んだ時のように覚醒していた。
「……どうしたものかしらね?」
「サンタモニカさんたちもあの3人組を探しに行きましたよ」
ポッドが開いた時、医務室にはマモル君の姿しかなかった。
そりゃ宇宙ステーションから発進した直後に負傷するような奴なんかそんなにいるわけもない。
ある少年は負傷を癒したばかりの私を退屈そうな顔で出迎えるが、理由はさておき自分の不注意でしょうもない怪我をして心配そうな顔をされても辛いだろうし、かえってありがたいくらいだ。
「クリスさんとヒロミチさんは?」
「かっかと怒った顔で艦内を観光するって言って、どっか行っちゃいました」
「自分は探すつもりはないって、わざわざ言ってったわけね」
メディカル・ポッドに入って頭脳はすっきりさっぱり。
それでもキャタ君たちとクリスさんの仲直りのための名案なんて浮かんでくるわけもない。
そもそもなんであれだけ険悪な関係になってしまったのかが分からないのだ。
きっと以前にミッションで敵対しただとか、キルスティールだとか、そんな生易しいものではないのだろう。
パス太君やパオングさんはともかく、少なくともキャタ君はそのような事で長々と恨みを持ったりはしないと思う。
やはり3人がクリスさんの本名を知っていた事からも、現実世界で何かあったと思うのが妥当ではないか?
「……私たちも3人を探しにいきましょう」
「他人に対して無神経に『仲直りしろ』だなんて余計なお世話じゃありませんか?」
「かもね。それでも話くらい聞いてみたいじゃない?」
「そういうもんですか……」
話を聞けば私だって、そりゃしょうがないと思わざるをえないような理由があるのかもしれない。
もしかしたら他人には話しにくい事情があって、その上でどうしてもクリスさんとは仲良くできない、轡を共にしたくないだなんて言われるのかもしれない。
最悪、それならそれでしょうがないのかもしれないが、それでも私は彼らと話がしたかった。
………………
…………
……
キャタ君たちを探すとなっても巨大な複層構造の艦内のどこに彼らがいるだなんて手がかりもあるわけもない。
医務室から出た私たちはまた余計な怪我をしないように慎重に壁面のバーを伝いながら、まずは格納庫へと行ってみる。
とはいっても艦内に8ヵ所ある格納庫の内、自分たちのHuMoが搭載されている格納庫以外に用があるとも思えないのでまずは乗り込みの際に手渡されたパンフレットを見て第8格納庫へと向かった。
「壮観ねぇ~……。こんな時でもなければ大はしゃぎで写真でも撮っているところよ」
「そうですか? 機数だけならこないだの療養所の方がたくさんあったじゃないですか」
艦内の案内表示を頼りに辿り着いたのは第8格納庫の壁面に沿うように設置された通路であった。
たぶんビルの3階か4階くらいの高さ、ずらりと並んだHuMoの胸の高さの通路はぐるりと壁面を伝って私たちの反対側の壁面にもドアがある。
また通路と接続された階段からは格納庫へと降りられるようになっていた。
とはいえ今は搬入されたHuMoを宇宙用に換装する作業が行われている。
理由もなく降りては整備員さんたちの邪魔になるだろうと止めておいたし、軽く見た感じ、キャタ君たちもここにはいないようだ。
格納庫内に並べられたHuMoの内、整備員さんたちが取り付いて作業しているのは庫内の3分の2ほどの雑多な機種群のみ。
恐らくは今回のイベント用に中立都市から来た傭兵たちの機体がそれで、元から艦内に乗り組んでいたウライコフのHuMoはとっくに換装作業を終えているのだろう。
「あっ、僕たちの機体はあっちにありますよ!!」
「ちょっ!? 走ったら危ないわよ!!」
急に駆け出したマモル君に私も慌てて後を追うも、妙な前傾姿勢で0.8G環境下でも上手く前へと走っていく少年には追い付けず、私は手すりを伝いながら未だに慣れない低重力に四苦八苦していた。
マモル君は元々、孤児だったのがサーカス団に拾われて、そのサーカス団が潰れてからストリート・チルドレンになったというキャラクター設定だったと思うが、サーカス出身でこのような低重力下への適性を身に付けたのだろうか?
もしかしたら、こないだのイベント告知後にゲームのアップデートがあったのだが、その時に各ユーザー補助AIごとにその設定に基づいた宇宙適性なんかが後付けされたのかもしれない。
「それをお姉さんが言いますか?」
「もう怪我をしたからよ!」
マモル君の真似をして姿勢を落とした前傾姿勢で走ってみると予想以上に加速がついてしまい、マモル君に手を掴んでもらい停止するという有様であったがそれでもだいぶ低重力環境の動き方を掴めてきたと思う。
「……何でこんな事になっちゃったのかしらね?」
「さあ? 人間の精神は僕たちには分かりかねますよ。たとえ僕たち自身にも人間を模した疑似人格がインストールされているとしても」
それから私たちはしばらく手すりを掴みながら目の前のHuMoを眺めていた。
白と黒、それから金の差し色で塗られた私のケーニヒス・ティーガーはいつもはこれ以上ないほどに頼もしく思えるのに今は虚しいだけ。
ケーニヒスだけではない。
その後ろのスカイグレーのニムロッド・カスタムⅢもそうだし、さらに後ろの中山さんチームの紫電改にニムロッドU2型、コアリツィアもそう。
ケーニヒスの前に並べられた飛燕も2機のナイトホーク、ロジーナにオライオン・キャノンと紫電改も虚しいどころか見ているだけで胃が重くなってくるほどだ。
「み~んな、イベントを楽しみにしてたんだろうけどなぁ……」
ヒロミチさんの飛燕は脚部を展開した状態で駐機していたが、翼端には増加スタスタ―が装備されており、それ以外にも前に見た時よりもいささか形状が変化しているのはバトルアリーナイベントの景品として入手した改修キットを使用されたからだろう。
さらにメールでやりとりする中で聞いていたが、クリスさんとアシモフは新たにチケットで交換したランク6ナイトホークを用意してきていた。
メールでは前回のバトルアリーナイベントの時にはまだこのゲームに不慣れであったからと装甲を頼りにできるカリーニンに乗っていたのが、敵の攻撃は回避するつもりでナイトホークを入手したのだと息巻いていたのを思い出す。
ヒロミチさんもそんな彼女の補助のためにアシモフ用に同型機を用意してくれたのだという。
キャタ君たちだってロジーナのパイルバンカーはこないだ見た時よりも小型の物になっているのは宇宙戦を見据えてのものだろうし、宇宙でも目立ち難いように彼らの機体は3機お揃いの藍色のものだ。
「そう言えば、アレって何なんですかね?」
「んん……?」
マモル君が遠く指差していたのはコアリツィアのさらに後ろ。
そこの整備スペースに置かれていたのはHuMoではなく、HuMoが入るくらいに巨大なコンテナであった。
他の機体はあちこちにチューブが接続されて推進剤やら冷却材が宇宙用の物に交換され、その周囲にはライフルやらなんやかんやの装備品が置かれているのに、そのコンテナだけ梱包されたままなのである。
「中立都市のエンブレム、それに『BN』? 何かしらね? ビーム……、ヌンチャク……?」
「……そんな危なっかしい物、使いたがる馬鹿いるとは思えませんね」
マモル君の言葉に私は脳内で思い浮かべていた光のヌンチャクを「ホアタァっ!!」と振り回す光景を追い払う。
だが謎の「BN」という文字列はともかく、あのコンテナだけ荷解きされていないのは気になる。
もしかすると、特急列車の座席が近かっただけにゾフィーさんの物なのかとふと思い、そこでゾフィーさんを仲間に誘う事をすっかり失念していた事も思い出して深い溜め息を吐いた。
「はぁ~~~……。ホント、上手くいかない時は何やっても上手くいかないものね」
小隊に誘っていたマーカスさんは用事があるからイベントにはがっつり参加できそうにないと辞退され、昨日まで繰り返していた模擬戦やミッションでも例の特殊コードを発現させる事はできないまま。
イベント当日になっては小隊は戦闘開始前に分裂寸前。
仲間に引き入れようと考えていたNPCにいたっては誘う事すらできなかった。
そりゃ溜め息の1つも出ようというもの。
「出港したばかりだというのに郷愁病か? それとも大規模会戦は初めてで不安にでもなっているのか?」
ふと左手側からかけられた声に私はそちらを向く。
そこにいたのは10数名のイケメン集団。
揃いも揃ってハーフパンツにタンクトップという露出の激しい出で立ちで、中でも先頭に立つ男は現実世界では滅多に見ないようなイケメンっぷりである。
「……なあに、お兄さんたちの男っぷりについ溜め息が出ちゃってね」
「ふざけているのか? 貴様……」
マモル君なんかはイケメン集団のオーラに当てられたのか私の背に隠れ、先頭の男が怒気をはらんだ言葉を発すると私のツナギの背を掴んだ手がビクリと震えていたほどだ。
だが、いくら相手がイケメンとはいえ、初対面の連中に私の心中を語る気にもなれなかったのでさらに軽口で返すと、ますます先頭の男の皮膚は紅潮していった。
「……お兄さん、身長と体重は?」
「ジャスト200センチにジャスト200キロ」
「たまんないわねぇ!」
身長と体重、それぞれに「ジャスト」と付けるのも分かるほどに惚れ惚れとする男っぷりである。
大きい。
太い。
私の見立てでは体脂肪率は15パーセント前後といったところ。
観賞用ではない、実用的な持久力を維持するためにいくらかの脂肪は残しているのであろう肉体ながら今までに見た事がないくらいに彫りの深い筋肉の塊がそこにいた。
首は頭よりも太いし、二の腕なんかは華奢な女のウェストみたいに肥大している。
胸板も、脚も、指も、声まで太い上、表情筋までしっかりと発達している。
いったい、どれほどの負荷を筋肉にかけ続けて苦悶の表情を作っていれば表情筋まで鍛え上げられるというのだろう。
頭髪まで含めた毛髪の一切が存在しないのは鍛え上げた己の筋肉を誇示する一種のナルシズムを感じさせるが、そうしたくなるのも分かるほどの傑物。
惜しむらくは彼らお揃いのタンクトップにウライコフのエンブレムがプリントされている事から分かるように彼らの肉体は現実世界に存在せず、このゲームの世界のNPCであるというくらいだろうか。
「大尉殿、このお嬢さんの顔から察するに彼女はふざけているわけではないのでは?」
「そ、そうっスよ!!」
「……どちらでもいい」
引き連れている連中も大尉と呼ばれる男ほどのものではないにせよ、中々のイケメンばかり。
身長180ほどの最も背が小さい男であっても体重が2桁kgという事はないだろう。
だが心根までプロテインに浸かっているのはやはり先頭の男だけのようで、恐れ、あるいは畏れを感じさせるヘラヘラとした笑顔で私たちの間に入って取りなそうとしてくる。
彼の瞳に入るのは私だけでいいと間に入ってきた男たちを押しのけ、首が痛いほどに大尉を見上げていた。
「その200と200っての、改造人間とか強化人間とかって奴だからなのかしら?」
「貴様が何を言いたいかは知らんが、私はナチュラルだ」
「……りてぇ」
「……?」
そもそも何をもって自然であるかすら話していないというのに、大尉は自身をナチュラルだと言い切っていた。
その目には微塵の揺らぎもなく、私は自身の胸の中にふつふつと湧き上がってくる情動を抑えきれそうにない。いや、抑えるつもりもない。
「大尉殿。1発、ヤらせてくれないかしら……?」
私が思い切り固く握りしめた拳を突きつけながら誘うと、そこで大尉は私の言葉が分かっていたとばかりにそこで始めて苦み走った良い笑顔を見せる。
「1発で足りるのか? 1晩でも付き合ってやるぞ?」
「1晩って、宇宙じゃどう数えるのかしら?」
「決まっている……」
大尉は右拳を私が出した拳に軽くぶつけてくる。
それだけで私は初恋の人と唇を重ねてもこれほどは高揚しないだろうというほどに昂っていた。
さらに彼の続けた言葉はどんな愛の囁きよりも私を夢心地にさせてくれたのだった。
「どちらかが泣いて『もう無理です』って言うまでだ。骨が折れてもメディカル・ポッドに放り込んで、それからまた同じ個所を圧し折ってやる。付いて来い……」
どこからどう見ても日本人、オマケに古臭い平成顔の私。
片や白人、恐らくはスラブ系の大尉。
だが、私たちは同じ人種であった事が嬉しい。
「ちょっと~……、お姉さぁん……、あの3人組を探さなくていいんですかぁ~」
「ちょっとくらいイケメンの摘まみ食いしたってバチは当たらないでしょ?」
筋肉達磨たちに囲まれていつも以上にマモル君はおろおろとしながら私たちの後を付いてきた。
「イケメン? こ、この人たちがイケメンだって言うんですか!?」
「イケメンっていっても色々と種類があるのよ」
例えばマサムネさんとかもイケメンだろうし、マモル君も大きくなったら中性的なイケメンになるのかもしれない。
だが、その手のイケメンと一緒にいても何ていうか、気疲れしそうでちょっと困る。
だが大尉とその部下たちは違う。
彼らのような男たちこそ私の魂を熱くさせ、血反吐に塗れさせた上で私の方が“上”だと認めさせたくなるようなイケメンなのだ。




