15 空へと上がる車窓から
体がシートに押し付けられる感覚にもだいぶ慣れた頃、窓からの景色はブ厚い雲が眼下に見えるものとなっていた。
「……もう富士山よりも高い場所かしらね?」
「僕にはその富士山ってのが分かりませんけどね」
子供なら窓の外を見たいだろうと窓際の席をマモル君に譲ってはいたものの、私だって窓の外が見たい。
チラリチラリと横目で窓を窺いながら見えた絨毯を敷き詰めたかのように白い雲から過去の富士登山の事を思い出して口に出してみるも、マモル君の反応はいつもより控えめな声量であった。
私だって上へと昇っていく列車なんて初めてなのだからもっとはしゃぎたいくらいなのだが、向かいの席の人に遠慮してあまり五月蠅くないようにしている。
私たちが今乗っている列車は宇宙へと向かうもの。
地上と宇宙ステーションとを結ぶ巨大な柱、いわゆる軌道エレベーターと呼ばれる施設上で運行されている特急列車である。
地上と高度450kmの宇宙ステーションとを結ぶ軌道エレベーターなのだから現実世界にもあるエレベーターみたいなのを想像していたのだが、実際はむしろ新幹線のような特急列車に近いのは意外であった。
違いは進行方向が横方向か上方向かというくらいで、2人がけの座席が向かい合っていて、通路を挟んで向こう側には3人がけの座席があるといった車内レイアウトも新幹線に似たものであるし、ワゴンを押したお姉さんが巡回して車内販売をしているところなんかもうそのまんまといった風情。
外から見た車両の形状なんかは当然違うが、そんなの中に入ってしまえば気にならないし、車両が前後ではなく上下に連なっている都合上、他の車両へと移動は車内エレベーターを使う必要があるのだが、それも使う時になってみなければ意識しないものだろう。
私とマモル君の他、車内はほぼ満員のお客さんで埋まってはいたが徐々に重力が弱まってついには無重力環境になるという都合上、乗車率が100%を超えはしないのは助かる。
これもイベントの告知文にあった「エンタメ性が高い」というウライコフ陣営の特徴であろう。
現実世界での時刻は土曜日の午前8時を過ぎたばかり。
宇宙へ向かうための旅情の演出のためだろうか?
マモル君から借りたタブレット端末でネットの書き込みを見てみると、サムソン艦隊を選択したプレイヤーはテレポーターで一瞬でステーションへと瞬間移動して、トヨトミ艦隊を選んだプレイヤーは両用艦での移動となっているようだ。
ウライコフ艦隊を選択した私たちだけわざわざ時間をかけて列車移動とは中々に手が込んでいるとは思うが、それも列車での旅を気心の知れた友人たちと楽しめればの話。
修学旅行のような貸し切り車両なればわいわい騒いでもいられるのだろうが、この車両は他のプレイヤーやNPCも乗り込んでいるものであった。
私とマモル君が互いに小声で話をしているのも、発着場で買った駅弁を食べずに飲み物ばかり口にしているのも、それは向かいの席に見知らぬ人物がいるために遠慮しているためである。
通路を挟んで向こうの3人掛けの席には中山さんとトミー君にジーナちゃんが、その向かいにはヒロミチさんとクリスさん、そしてアシモフが座っていて、キャタ君たちは別口での移動となっているためにこのような座席配置となっているのだが、私たちが向かいの席に座っている者に向けているのは遠慮というよりも警戒に近いのかもしれない。
というのも私と向かい合わせに座っている女性。
ミリタリーチックなサマーコートを着ていても分かるくらいにバツグンのプロポーションの長身女性で、出るとこは出て引っ込むとこは引っ込むというような中山さんのわがままボディともまた一味違った羨ましくなるような方ではあるのではあるが、なんでか顔半分を隠す仮面を付けていらっしゃるのだ。
鼻から下の見える素顔の部分、赤いルージュを引かれた唇も、輪郭も、それはそれは綺麗なもので美人様である事は間違いないと思うし、ストレートロングの金髪も息を飲むほどに綺麗なものであるというのに顔の上半分を覆う黒い無機質な仮面が全てを台無しにしている。
仮面1つで私もマモル君も「向かいの美人さんがイカつい仮面をしている」とは認識せずに、ただ「なんか不審人物がいる……」としか思えないのは不思議なものだが、事実そうとしか思えないのだからしょうがない。
「何か、私の顔に付いているかね……?」
あまりにずけずけと仮面の女性の顔を見ていたせいだろうか。
不意に女性の視線がこちらを向いて話しかけてくる。
「いや……、随分とデカいのが付いているじゃない……?」
「ああ……」
良くとおる綺麗な女性の声に気圧されながらも私は見たまんまの答えを返すと女性は笑った。
だが、その笑みは親しみやすさを感じるものでありながら、どこか自嘲の色を感じさせるもの。
「許されよ。あまりに大きすぎる生き恥を晒してしまったが故にとても素顔では生きてはいけぬ身ゆえ」
「そ、そっスか……」
以前に晒してしまったという生き恥とやらがどのようなものなのかは知らないが、あんなワケの分からん仮面を被って生きていくのは生き恥ではないと言いたいのだろうか?
てっきり「傭兵稼業で人から恨みを買う事が多いので仮面を付けて素顔がバレないようにしている」とかそういう理由だと思っていたのに……。
「ところで……」
「はい?」
私の憮然としている顔について何か言われるのかと思ったが、仮面の女性は私とマモル君のを指さしていた。
「それ、弁当だろう? もしかして私に遠慮して食べてないのかと思ってな。気にする事はないぞ?」
「え、ああ、はあ、ありがとうございます?」
私たちは女性の言うように遠慮して、というか女性を警戒して弁当には手を付けずにいたのだが、当の女性が手の平を見せて「どうぞ、どうぞ」と気さくな様子を見せてくるので私も幾らか警戒心が緩んで弁当の包みをマモル君の膝の上に乗せる。
マモル君も完全に警戒心が失せたわけではないのだろうが、駅弁売り場で長考して選んだ弁当だけに食欲に負けて包み紙を取って弁当を食べだした。
「チョウザメのフライとキャビアの弁当か……、ネオ・ワッカナイの名物駅弁だな」
「あちらの御出身で?」
「まあ、昔、な……」
マモル君が魚のフライに個包装のタルタルソースを乗せているとそれを見た仮面の女性が感慨深げに呟くも、私が問うと含みのありそうな意味深な言葉で濁される。
まあ、素顔すら隠しているような人間が過去を曝け出してくれるとも思わないのでそれ以上の深入りは止めておくとしよう。
そうやって会話が途切れたところで女性は窓の方を向きながらコートのポケットから薄型のメディアプレイヤーを操作する。
「君は顔立ちからするとトヨトミ系だろうか? ……演歌は好きかね?」
「演歌ですか?」
やっと会話が終わったとホッとしていたのに再び話を振られて辟易するが、かといって仮面の怪人物相手に無視とか強気に出るのも躊躇われて嫌々ながら相手をする事にする。
正直、演歌が好きかと問われても、そもそも真剣に聞いた事が無いのだから好きとも嫌いとも答えようがない。
ただ私の微妙な表情で察してくれたようである。
「演歌は良いぞ。特に今みたいに旅をしている時には……」
「はあ……」
「情念の籠った歌声に、自分の心が洗われるような思いがするんだ……」
「はあ。油田の火災の時に爆弾使って爆風で消化するみたいなもんスかね?」
私の言葉に女性はクスリと笑っていた。
その仕草に、仮面に隠れていない顔の表情は何とも蠱惑的でコケティッシュなものであり、大人っぽくもありながら子供っぽさも覗かせるもの。
世の男性ならばその仕草だけでコロっといってしまいそうなものであるが、ただし仮面がそんな魅力的な彼女の全てを台無しにしていた。
私としてはヘンテコな仮面の女性を相手に、ただ少しずつ弱まっていく重力だけが救いである。




