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3 原風景

『どうしてお姉ちゃんはホントは強いのに負けてヘラヘラしているの?』


 いつからだろう?

 私が勝つ事にこだわるようになったのは。


 人生には色々と自分に不都合な事があって思い通りにはならないものだと諦める事には慣れていた。


 学校でだって成績は中の上程度、私よりテストの点数が良い人も地頭の良さに唸らされるような人もゴマンといる。

 背も小さければ胸も小さいわけでお世辞にもスタイルが良いとはいえないような体格だし、そんなわけで200kg程度のバーベルすら上げる事もできない。


 吹奏楽部の人たちみたいに楽器なんて上手に演奏できないし、陸上部みたいに早く走る事もできない。

 絵を描いたってお世辞でしか上手とは言われないし、街に遊びに行くためのメイクだってあまりした事はない。

 そもそもの顔立ちは平成顔、年寄りにはウケは良いけど私より美人の人なんかいくらでもいるだろう。


 それでも“戦い”にだけは負けたくなかった。


 もちろん陸上部の人たちにとっては短距離なり長距離なり、あるいは投擲競技だったり自分がやってる種目がそれぞれ自分の戦いなのだろうし、吹奏楽部の人たちにとってはそれぞれの楽器のレギュラー争いだとか大会の順位だとかが戦いなのかもしれない。


 あくまで私の中で戦いとは私が負けたくないと思っているもの。

 部活をやっていた時はJKプロレスであったし、「鉄騎戦線ジャッカルONLINE」においてはHuMoを用いての戦いだろう。


 そうやって私が自ら“戦い”だと認めているものに対してはどうしようもないほどに私は負けたくないのだ。


 その原風景は私が小学校の低学年だった頃。

 むせかえるような熱気に包まれた市内の体育館での事だった。


 その歳のJKプロレスの全国大会の会場が市内の体育館で行われる事になり、私たち家族はその大会に出場する姉さんの応援へと行っていたのだ。


『お姉ちゃんは負けて悔しくないの!?』

『お~! 玲緒奈ちゃん、おこっスね? どうしたんスか? お腹空いたんスか?』

『ふざけないで!!』


 個人戦決勝戦での舞台裏。

 私が大声を張り上げていたのは会場を埋め尽くす歓声に自身の声が掻き消されないようにというばかりではない。


 準決勝で惜しくも敗れたにも関わらずにヘラヘラと笑っていられる姉さんが許せなかったのだ。


『タイガー獅子吼、惜しかったけど、やっぱ連戦に弱ぇなぁ!』

『アレよ。あのガタイじゃタフネスが足りてねぇんでねぇの?』

『大体、今時、異種格闘技ギミックなんて流行んねぇよ!』

『違ぇねぇ!!』


 姉さんの試合中に観客席から聞こえてきた訳知り顔の笑い声なんかよりも負けて笑っていられる姉さんの精神構造にイライラは募り、幼児のように癇癪を起してしまったのだ。


 いつも朗らかで大好きだった姉さんに嫌われたくなくてそんな事それまでしたなどなかったのに、わざわざしゃがんで私の顔の高さまで自分の顔を持ってきて話をしてくれようとした姉さんの頬を私は張りもした。


『お~! 玲緒奈ちゃんの闘魂注入は効くっスね~!』

『お姉ちゃん、そんなに元気ならまだやれたでしょ!?』


 殴られてコーナーポストに叩きつけられて歪に腫れ上がり、対戦相手のリングシューズの裏で擦り傷だらけとなった顔にビンタされても姉さんはニッコリと私へ微笑みかけてくれていたっけ。


 だが、それは結果的に私の逆鱗に触れる結果となっていたのだが。


 当時の私は姉さんの事が大好きで大好きで。

 優しくて明るくて、両親や私の自慢だった姉さん。

 そんな姉さんが負けたのが姉さん以上に悔しかったのだ。


 誰よりも強いハズの姉さんが負けて私はそれまで味わった事もないくらいの悔しさに自分がどうにかなってしまいそうになっていたのに当の本人はあっけらかんと笑っていて。


 テキトーな事を抜かす観客たちの事も、それまでの試合のダメージが無ければ姉さんに負けていたであろう対戦相手の事も、そんな試合結果を平然と受け入れている姉さん自身にも怒りが抑えられなかった。


 だが、その時の私には自分自身の力でそいつらを黙らせる事もできなくて。

 それが余計に私を苛立たせていたのだ。


『ん~……。やれたかもしれないっスけどねぇ……』


 姉さんは癇癪を起した歳の離れた妹の事を適当にあしらったりせずに真剣に自分の考えている事を教えてくれた。


『やれたよ!! 私のお姉ちゃんは誰よりも強いんだから!!』

『でも、それじゃお客さんは楽しめないんスよ』

『はあ? 客が楽しむぅ?』

『血みどろ血まみれのハードコア路線なんて、どっちが勝ってもJKプロレスの客層は引いちゃうんじゃないっスかね?』


 それは姉さんなりのJKプロレス哲学であった。


 JKプロレスとは競技スポーツでありながらエンターテイメントである。


 その理念を心の髄から理解している者がどれほどいるだろう。今になってみればそう思う。

 そして姉さんは私が知る限りでもっともその理念を実践していたJKレスラーの内の1人であった。


 わざわざ流行らないギミックを率先してやるのもそう。

 避けられる相手の技を敢えて受けるのもそう。


 そして客が楽しめる展開の内に潔く負けを受け入れる事もまたその1つである。


『わざわざ会場まで足を伸ばしてくれたお客さんには楽しんでいってもらいたい。

 お客さんだけじゃなくて大会のスタッフの人たち、部活の顧問の先生、練習に付き合ってくれたOGの先輩、部の皆や、玲緒奈ちゃんも含めて皆のご家族、対戦相手もそう、独りで試合なんてできやしないんスからね。皆のために大会は成功に終わって欲しい。

 そうやって、この大会に関わった人全員が「良い大会だったな」って楽しんでくれたなら、お姉ちゃんは自分の勝ち負けなんてのはどうでも良いっスよ!』


 今なら、今ならばそんなに傷だらけの体では長々と喋っているのも辛いだろうと分かる。


 それでも姉さんは私に聞いて欲しかったのだろう。


 いつの間にか、いつも笑顔を絶やさない姉の顔は懇願するようなものとなっていた。


『考えてみてほしいっス! ただの女子高生に過ぎない私が試合中だけはこの超満員の会場中の注目を集めて沸きに沸かせていたんスから。それで充分じゃないっスか? それにこれで終わりじゃないっスよ。いつか私はもっと何倍も何十倍も、何万倍の人を楽しませる人間になって見せるっスから!』


 それが姉さんがそもそも持つ精神性なのか、それとも部活動を通じて養われた精神性であるのかは知らない。


 だが後にゲーム会社に就職して「鉄騎戦線ジャッカルONLINE」のディレクターとして日夜忙しく働いている所を考えるにこの時の妹に対しての言葉は有言実行されたのだ。


 まあ、だが、そんな事は癇癪を起した子供には関係無い。


『うるせ~~~!! ハードコアでもハードゲイでも何でもやって、相手をブッ倒してこいって言ってんの!? この酢ダコ!!!!』


 獅子吼玲緒奈、人生初のローリングソバットは腰を落としていた姉の側頭部へ綺麗に吸い込まれていた。

 ………………

 …………

 ……




(ま、まさか、今のは走馬灯ってヤツ!?)


 そして“戦い”に“強さ”に、そして“勝利”に固執するようになった私は今、ゲームの世界で枯れ木のように皺だらけの老人と向かい合っていた。


 俗に死の間際に過去の出来事を幾つも思い出す事を「走馬灯のよう」と例えるが、私が浸っていた思い出は幼い日の体育館での出来事のみ。


 それでも不意に脳裏に浮かんできた過去の思い出を私が走馬灯だと思ったのは、戦いの最中に何の脈絡もなく急に思い出してしまっていたのと、向かい合う老人の殺気とその技の威力に死の匂いを感じ取っていたからであろう。


 だいじんさんはその構えや技を見るに典型的な空手家だというのにジャーマン・スープレックスに受け身を取る事ができるほどの猛者で、オマケにその拳も足も容易く人を絶命させる事ができるほどのものであろうと容易に想像できるもの。


 かの拳を掴んで威力を殺し、逆にこちらの技の起こりとする事も考えたが、どう考えても私の腕力じゃ拳を殺しきれない。


 私が得意とする素早さと威力の両立したドロップキックなんかも既に見せてしまっているし、ファイティングスタイルがJKプロレスだとバレた後では効果は薄いだろう。


 ならばと私は構えを取ったままじりじりと、それこそミリ単位の移動を繰り返しながら少しずつ本当に少しずつ距離を詰めていく。


「コォォォ…………」


 対する老人の口から深い洞窟から漏れてくる風音のような息遣いが聞こえてくる。

 向こうも私に合わせるようにじりじりと距離を詰め始めていた。


 私の額に冷や汗が奔る。


 両者揃って距離を詰め始めた事で単純計算で2人が近づいていく速度は2倍。


 かといって引いて仕切り直すつもりはない。


 あの日、姉をお姉ちゃんと呼ばなくなった日に私は姉さんに誓ったではないか。


 戦ったならば勝つ。


 相手が誰であろうとも。


 だいじんさんがジャーマンに受け身を取れるほどの人間であったとして、絶対に受け身の取れない技というものだって幾らでもある。


 例えば、相手の顔面に手をかけて柔道風の払いとともで押し倒して地面に後頭部をぶつけさせる(スペース)(トルネード)(シシク)

 例えば頭部を両膝に挟んで逃げ場を無くした状態で行うパイルドライバー。


 なんなら極め技でもいい。

 だいじんさんの蹴りが致命的な威力を持つとしても、その威力が出来ならない出始めに古式ゆかしいレスリングスタイルのタックルを仕掛けてスコーピオン・デスロックを持ち込んだっていいのだ。


 他にもだいじんさんの拳の威力を腕を掴む事で殺しきる事はできないにしても、それは私の腕力だけの話。

 飛び付き腕ひしぎ十字固めに持ち込んだっていい。


 なんだ。幾らでも手はあるじゃないか。


 私はヒリついた空気の中で気が楽になって向かい合う老人に対して笑みを浮かべていた。


 だが、だいじんさんも同じように笑顔を返してきて私は内心ながら焦らされる。


 まさか向こうも同じ事を考えていたのではないか?

 向こうも「私を相手するのに手は幾らでもある」と。


 大臣さんの笑みはまるで虫も殺せない温和な好々爺の風ではあったが、その癖、両手に両脚、恐らくは肘も膝も頭も、それぞれがチンピラのナイフよりもよっぽど危険な凶器なのだ。


 そのアンバランスさが私の心を喜ばせた。


 やる。

 今から目の前の男を、やる。


 それは私にとって決意とか覚悟とかそういうものではなく、ただ単に確認に過ぎない。

 スーパーに買い物にいった時に買う予定のものを思い出すようなものである。


「にぇ~、にぇ~。なんで私が『竜波のコンセプトモデルと建御名方とどっちがつおい』って聞いたら、そのパイロットが生身でたたかってるの~?」

「さぁ~? 何でなんでごぜぇましょうかね? ウチの大叔父様はボケてらっしゃるから考えるだけ無駄なんでしょうけど、ライオネスさんまで……」


 不意に聞こえてきたヨーコちゃんと中山さんの声に私はふと我を取り戻していた。

 ……うん、そりゃそうだよな。


「なんか……」

「白けちゃったの……」


 明らかに戦いの熱は引いていた。

 だいじんさんなんかボケ老人扱いされてもう取り繕い様もないであろうに、何か気の効いた事を言おう考えてか視線をあちこちに動かしている。


 この場をどう収めようか悩んでいたところにコンクリートの上を小走りしてくる足音が聞こえてきて、そちらを向くとヨーコちゃんのママと、彼女に手首を掴まれて引かれてくるマモル君であった。


「ライオネスさん! 私たち(ナイフとビームソードで)お突き合いする事になりました!!」

「お、良いねぇ」

「何を言ってんですか、この馬鹿!? 止めろください!!」


 天啓。

 私の頭の中に天啓が舞い降りる。


 ちょっと2人で舞い上がって早とちりしてしまったこの場を収めるためには、こっちの2人を巻き込むのがいいような気がしてきた。


「って事で、デートしようか? ダブルデート。私&マモル君VSだいじんさん&シズさんのデスマッチ!」

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