39 夜明け
長い夜が明けた。
赤茶けた大地を照らしていく太陽はどこかゆらゆらと揺らいでいるかのように見え、少女は何故か目を離す事ができなかった。
「分かるよ、分かる……。お日様ってなんか生きてるみたいでムカつくよね」
後ろから声をかけてきたのは昨晩、総理のガレージで出会った女である。
女が差し出してきたマグカップを受け取って一口すするとそれはクリームたっぷりの甘いコーヒーであった。
それも植物性の代用クリームではない、しっかりとミルク本来の香りが感じられるもので甘さもアグの好みのもの。
「途中までは当たってますけど、なんでそれでムカつくって話になるんですか?」
キヨと名乗った女はアグの気持ちを理解できるようでいて根本からズレているように感じた。
ドンピシャに好みのコーヒーを入れる事ができても、自分のせいで友人たちが傷付く事を恐れるその心を言い当てる事ができても、本質的にキヨという女は自分とは別種の人間なのだろうとそうアグは感じる。
「自然の雄大に畏敬を覚えるとか、あるいは陽炎で揺らめいている太陽に命を感じたらそれを尊いものだと感じるのが普通ではありませんか?」
「ハハッ! そりゃ君はそうだろうさ! うん、君はそうなんだ!」
さも愉快そうに笑うキヨであったがアグの中の不信感はむしろ増していくばかり。
第一、この女はアグに対して「加藤」と名乗ったかと思うと、それを訂正して「キヨ」と言い出し、だというのにアグをここまで乗せてきたHuMoのユーザー情報には「ネームレス」と登録されているのだ。
こんな名前すらあやふやな人物、信頼も信用もできそうにないと感じる方が自然だろう。
「それで、私をどうやってABSOLUTEに引き渡すおつもりで? ネームレスさん?」
「まあまあ、そう焦らないで! すでに向こうには連絡済みさ。奴らだって手間をかけて中立都市を空襲仕掛けたりなんてしないさ!」
試しにわざと教えられた「キヨ」ではなく「ネームレス」と呼んでみても相手は何も意に介していない様子。
「さすがにコイツでも単騎でウライコフの支配領域に飛び込んでアイゼンブルクに君を届けるなんて真似はできやしないさ! すぐに怖~い兵隊さんたちがすっ飛んできてボコボコにされちゃうからね!」
キヨの背後にはコーヒーを淹れる際に使用したキャンプ道具と片膝を付いた状態の鋼の巨人がいた。
朝日を受けて煌めく黒いHuMoは荘厳さすら感じる朝日に照らされていても、なお不気味である。
装甲は宵闇のように黒いが、その下から覗く内部フレームは鮮血のように赤い。
そして何よりもその巨大さがアグの怯える心をざわつかせていた。
膝を付いた状態でもヨーコのミラージュと同じくらいの高さはあるだろうか?
当然、立ち上がればミラージュを超える全高の重駆逐機である。
「テルミナートル……。よくもまあ人攫いがこんな目立つ機体を使うものですね。もっと、こう月光みたいなお似合いの機体もあるでしょうに」
「悪いけど、こそこそするのは性に合わなくてね!」
アグは古い記憶を辿りながら思い出してみる。
テルミナートルもミラージュのベース機である陽炎と同様に重駆逐機に分類される大型HuMoであるが、トヨトミとウライコフ、それぞれの用兵思想の違いにより陽炎が戦線突破と主眼においているのに対してテルミナートルは対要塞戦用の機体である。
ウライコフ製らしく陽炎よりも堅牢な装甲を持つものの、加速性能はほどほどであり燃費は劣悪。
故に昨晩は途中でチャーターしたドローンを使って推進剤を補給しなければならなかったほどだ。
ネームレスだかキヨだか知らないが、この女、総理のガレージまで単独でわざわざ公共のエアタクシーを使ってくるあたり、その辺の頭が回る者なのかと思っていたら中立都市から抜け出す時にはわざわざこんな大柄で燃料食いの機体を使うとなると呆れてしまうのも当然と言えるだろう。
「せめて蔑んでくれ、そんな可哀想な子を見るような視線を向けられたらたまったもんじゃないよ!」
「蔑む? 死にゆく者をいたぶるような悪趣味な女ではないつもりです」
「言うねぇ!」
「怖い兵隊さんを心配するよりも、もっと怖い肉食獣を知りませんか? 遺書の用意は? 遺体も残らないかもしれませんから遺髪を分けておいたらどうです?」
それはアグにとって精一杯の意趣返しであった。
何の根拠もない与太ではない。
自分が離れた事で中立都市が攻撃を受ける事がなくなったのは重畳。
だが心残りが無いと言えば噓になる。
カミュが近くにいてくれないのは心細い。
それでも新しくできた友人はきっとこんな時は強がると思うし、自分の気持ちなんか気にせず助けに来てしまうのだろうという予感があった。
それにキヨという女、不気味ではあるが得体のしれない恐ろしさはない。
どこか破滅的で底の浅さを感じさせるような女であった。
けして友人とその愛機であるミラージュが負けるところなど想像が付かない。
むしろ、やけっぱちともまた違う己の命の軽視こそがこの女の不気味さの源泉であったかのように思えた。
そうでなければ何故、追っ手があるかもしれないような所で目立つテルミナートルなど使うのだろうか?
テルミナートル単独で越境しないあたり、その性能を過信しているわけではないのだ。
アグも自分がこの女に自愛しろと言ってやる義理は無いと思っていたが、それでも皮肉は半ば哀れみからである。
だが、そんなアグの気持ちを知ってか知らずか、キヨは腹を抱えて盛大に笑いだしてしまった。
持っているマグカップの中身を零さないように苦心しているくらいで、よほどアグの言っている事がおかしかったのだろう。
「いや、ゴメン、ゴメン! 気を害さないで頂戴ね! でも私には遺書も遺髪も必要ないの。もちろん貴女にも、貴女のお友達のヨーコちゃんにも。でもその理由を貴女が知る必要は無いし、理解する事もできないわ……」
それは根本的な価値観が違うというよりかは、もっと別の事、例えば自分が知りえない何かを目の前で笑い続ける女だけが知っているからのような、そんな断層のような意識の隔たりを感じさせるものであった。
ABSOLUTEの機動要塞に引き渡されるまで、だだっ広い荒野でこんなワケの分からない女と2人きりというのか。
そう思うとアグはつくづく辟易してしまった。




