37 虎Dの後輩
それから虎Dが現実世界の同僚にEメールで確認してみたところ、「名無し」をハンドルネームとする社員は今日は休日となっており出社していない事が分かった。
「βテストの最終日なのに休みなのかの?」
「だからこそっスよ。本来は特にイベントなんて用意していないんだし、システムエンジニアさんやらAIスペシャリストさんやらならともかく、シナリオ担当は休みを取っていてもおかしくはないっス!」
さらに続報によるとネームレスは同僚からの電話にも出ないらしい。
「この女が一般のプレイヤーならともかく、運営チームの一員だというのならアカウントを凍結する事はできんのか?」
「いや、そんな事したらアグちゃんの身に何があるか分かったもんじゃないでしょうよ!」
「そうっスね」
仮にネームレスが空中車や航空機の操縦中にアカウントが凍結されてしまえば、その瞬間に彼女の肉体はまるで最初から無かったかのように消え失せ、操縦者を失った機体は地上へ真っ逆さま。
当然、同乗しているであろうアグも運命をともにするわけだ。
先の空襲の際に周辺を警戒していた者たちの警戒網に引っかからなかった辺り、アグを連れ去った者はHuMoではなく小型の車両などを使ったのではないかとの予想はされてはいたが、相手が運営チームの者となるとアカウントを凍結される事を見通してアグを人質にしているのかもしれない。
「クソっ! 用意周到なこった!!」
相手はシナリオ担当とはいえ運営チームの一員、このゲームのシステムの穴を知っていてそれを突いてきているのだという事は分かったが、アグが一緒にいるために垢BANにする事もできず、八方塞がりの状態で総理が年甲斐も無く悪態をついて、それをカトーに窘められる。
「落ち着きなよ、みっともない。……で、その名無しの姉ちゃんは何が目的なんだい?」
「これはあくまでも想像っスけど……」
「構わないよ。今は少しでも情報が欲しい」
「あの子は自分の思い通りのイベントをやってみたいんじゃないかって……」
ハンドルネーム「ネームレス」は虎Dにとっては入社3年目にできた初めての後輩である。
彼女の入社する前の年にも新卒、中途を問わず新入社員はいたものの、生憎と虎Dとは接点が無く、そういう意味ではネームレスは彼女にとって初の後輩のようなものであった。
「鉄騎戦線ジャッカル」の開発以前、2人がファンタジー物のVRMMOゲームを担当していた時は何も問題はなく、むしろ休日に共に遊びに行ったりするくらいに仲が良かったのだ。
それが変わったのは「鉄騎戦線ジャッカル」の開発が始まってから。
先輩と後輩という関係から、1ディレクターと1部門の担当者という職務上の上下関係ができたから、ではないように思えた。
「なんていうか……。あの子の中にはあの子だけの『鉄騎戦線ジャッカル』のイメージが出来上がっていたみたいで、それが私や他の社員のイメージとは少し乖離していたというか……」
「どういう事じゃ?」
「『狼とか獅子よりかは弱いイメージのジャッカルと蔑まれる傭兵たちが荒野で己の命と報酬を天秤に賭けて戦う』ってのがあの子の琴線に触れたみたいっスね。私なんかはゲームは娯楽である以上、ノー天気に楽しめる痛快なゲーム性を想定していたんスけど、そういうのはあの子には物足りなかったみたいっス」
虎Dは後輩が笑顔で持ってきたシナリオ素案について思い起こしていた。
“有人の特攻兵器の護衛任務”の時には特攻兵器のパイロットは人気イラストレーターにキャラデザを担当してもらい、半世紀以上前から17歳の超人気声優にボイスをサンプリングさせてもらおうと目を輝かせていたものだ。
「そんぐらいしないと僅かな触れ合いの時間ではプレイヤーにトラウマは作れませんよ!!」と熱く語る彼女に何と返したのだったか?
“細菌兵器によるバイオテロを試みる少数民族の殲滅”とかいうシナリオの時にはリアリティの追求のためにアフリカの紛争地帯に取材に行かせてくださいという後輩を止めるのに苦労したものであった。
“カルト宗教の殲滅を依頼してきたのが実は教主として担ぎ上げられている少年”とかいうシナリオ案の時にはファミレスで2時間ほど後輩の熱弁を聞かされたものだ。
「依頼の過程でプレイヤーは教主の少年と仲良くなって、でも少年の最後の依頼は自分を殺害する事なんですよ~」とか「遺体を少しでも残してしまうと教団に利用されてしまうからってプレイヤー自身が灰も残らないほど少年の遺体を焼き尽くさなければならないってどうです?」だの「あ! 少年教主は死ぬほど宗教的な事を憎んでいたのに、最後にプレイヤーの前途を祈ってくれるってのを入れたらエモくないです?」だの近くを通りかかったファミレスの店員が怪訝な顔をするような話を我慢して聞いていた時に「自分も大人になったものだなぁ……」と感じたものである。
「……もっと、こう、上の人から何か言ってもらったらどうなんじゃ?」
「いやぁ、それがウチのプロデューサーも『そういうのあっても面白いかもね!』って、その辺を上手く調整する仕事を押し付けられたというか……」
「なるほどのぅ……」
だが、後輩のシナリオ素案を上手くマイルドに調整して、それでプロデューサーやらシニア・ディレクターやらからOKを貰ったものを彼女に見せると決まって不満気な顔をしていたものであった。
「そんな中でもヨーコちゃん関係のシナリオはβ版の終盤で強力な敵キャラを用意しなければならないって難易度調整担当のディレクターを抱き込んだせいか、彼女の意向がけっこう通っちゃってて……、そういう意味であの子はヨーコちゃんの事を我が子のように可愛がっていたんスよね」
「我が子に絶望を味合わせるのが親のやる事か?」
総理の皮肉にも虎Dは力無く笑うのみであった。
だが、虎Dもディレクターとはいえ、まだ20代の若者。複雑怪奇な会社組織の中で思い通りにいかない事も多いのだろうと老人は自分の口から出た言葉を恥じる。
「多分っスけど、あの子が休日になんの不具合かゲーム内にアグちゃん関係のイベントが不完全な形で実装されてしまっているのを知って、しかも日中の射撃訓練場近くでの戦闘でミラージュが出撃した事でヨーコちゃんが関わっている事を知ってしまった」
「で、はっちゃけてしまったと?」
「ほれ、マンガ版とのコラボイベントも彼女の担当だったって言ったじゃないスか? それで向こうのBOSSキャラの性格も知っているもんでアグちゃん連れてったら取り入る事ができるとでも考えたんじゃないっスかね?」




