30 機動要塞アイゼンブルク
やがてプロジェクターの準備が終わるとヨーコも♰紅に染まる漆黒堕天使♰と“射手座”のマモルに倣ってルロイに折檻される“天馬座”を無視してスクリーンが見やすい位置へと動いた。
「……さて、ウチの連中は大体は知っているだろうけど、総理さんたちにも事情を理解してもらうためだ。少しだけ我慢していてくれるかい?」
スクリーンの横に立ったカトーの言葉でそれまでがやがやと騒がしくしていた面々も静かになり、ガレージ内は機体を整備する音ばかりとなる。
“射手座”と同じ顔の少年からマイクを手渡されたカトーは一同の顔を見渡してから1つの動画ファイルを再生させた。
「……これは数時間前に中立都市所有の偵察衛星イーグルアイが捉えた映像だ」
カトーの視線の先には総理と虎Dとクロムネ、そしていつの間にかメディカルポッドから上がってきたマサムネが。
さらにカトーは視線を移してアグ、それからヨーコへと向けられた。
「これは……?」
映像に映し出されていたのは小型空中艇と直掩の戦闘機か?
それらが前方から迫りくる巨大な何かと交戦しているところであった。
だが山のように大きな何かが相手では小型艇群では旗色は悪いようで、次から次へと撃墜され大地へと叩きつけられ黒い染みへと変わっていく。
ヨーコがその動画を観て、最初に思ったのが「何故、もっと大型の軍艦を出さないのだろうか?」という点である。
だが、その疑問に対する答えはヨーコの想像もしなかった形で端的に示された。
「これは中立都市の東方、ウライコフ支配領域において行われた戦闘の様子さね。突如として海中より出現したABSOLUTE所有の機動要塞は西に向けて侵攻を開始、それに対してウライコフ側も巡洋艦隊にて迎撃……」
「は? 巡洋艦? え、このデカいのがその機動要塞ってんなら、このちっちぇのが巡洋艦だってのか!?」
「そうさね。この細長いのがウライコフの1等巡洋艦、それより小さいのが2等巡洋艦。で、このスクリーンの汚れみたいな黒いのがそれよりもっと小型の駆逐艦やらフリゲートってところだね」
「そ、それではこの機動要塞のサイズって……」
ヨーコは被写体のサイズ感を完全に見誤っていた事を悟る。
周囲の地形やらで機動要塞とやらが巨大なものだとは思っていたが、小型艇だと思っていた物が実は巡洋艦だったとは、それでは自身の当初の想定よりも何倍も巨大な物だという事になるではないか。
「全長は80km前後というところかね? もっとも伸び縮みしながら前進してるから正確なところは分からんがね」
機動要塞の形態はある種の外骨格動物の幼体と成体を合わせたような歪なものであった。
芋虫のように細長く、前進するたびに伸縮し。
その見るからに察する事ができる大質量をムカデのように多数の脚で支えている。
それでいながら細部は生物的ではなく、あくまで機械的であった。
無骨な骨組みを剥き出しにした外観は地下資源の洋上採掘用のリグを思わせたし、その重厚さと力強さは硬い岩盤を容易く砕いて採掘する重機のそれだ。
「……アイゼンブルク、こんなものまであったなんて……」
「黒鉄の城砦……? 言いえて妙だな。ってか、虎さん、知ってんのか?」
「まあ……」
無論、「鉄騎戦線ジャッカル」のディレクターの1人である虎Dはスクリーンに映し出されている物が何なのかを完全に理解している。
マンガ版とのコラボイベントの最終段階において全プレイヤーが同時に参加できる大型レイドイベントとして企画されたのが「風雲! アイゼンブルク城!!」であり、その名のとおり機動要塞アイゼンブルクはイベントの根幹となる舞台装置兼レイドBOSSである。
イベント計画時にはその昆虫の頭部と航空母艦を組み合わせたようなデザインの艦橋に虎Dが捕らえられていて、それを助け出したプレイヤーには豪華景品をプレゼントしようと企画していたくらい。
しかしマンガ版とのコラボイベントがぽしゃった最大の原因もこの機動要塞にあり、とある致命的な原因によりレイドイベントの実装は見送られ、数段階のフェーズを見込んでいたコラボイベントも最終段階であるレイドイベントが潰えた事で実施が再検討とされ、結果的にイベント自体が見送られていたのだ。
だが、それをNPCであるヨーコに説明しようと理解できるわけもなく、どう言ったらいいものかと虎Dが言葉を濁しているところでアグが口を開いた。
「東方のウライコフ支配領域から西に進んでいるという事は、この機動要塞の向かう先は……」
「そりゃ当然、中立都市だろうさね」
予想はしていたのか、アグの表情はあまり変わったようには見えなかった。
代わりに言葉こそないものの総理は目を丸くして驚愕を露わにする。
「いや、大丈夫っスよ。アイゼンブルクはデカいけど対ビームバリアーは装備されてないっス! デカい分、耐久力はハンパないっスけど、中立都市に近づいてきたらカーチャ隊長がノーブルで始末してくれるっス!!」
「周辺の3陣営に配慮して中立都市防衛隊の活動範囲は中立都市本体の近郊に限られていると聞いていますが、機動要塞がそこまで近づいてくるまで行く手を遮る施設なんかを迂回するとは思えませんが……?」
あくまで楽観的に答える虎Dに対し、アグは深刻な表情で返した。
正式に実装されたイベントならばカーチャ隊長の介入はプレイヤーたちの敗北を意味するものであり、虎Dとしてはできるだけ避けたいものではあるが、今回に限っては話が別。
そもそもが原因不明の不具合で中途半端な形で実装されてしまったイベントなのだ。
機動要塞など無視してカーチャ隊長に任せてしまえばいいと思っても無理はないだろう。
ところがアグにとってはそうではない。
この世界が作り物のゲームの世界だと知らない彼女にとっては機動要塞に踏み潰されるインフラ施設やら食料生産プラントやらもろもろは中立都市に生きる者たちにとってなくてはならない欠かせない施設であるのだ。
そんな事も分からないのか、と言外の圧力をもった視線に射すくめられて虎Dは小さくなってしまうが、そこでカトーが助け舟を出す。
「とりあえず話を聞いてくれるかい? ABSOLUTEの連中は秘匿していた機動要塞を表に出してアグちゃんの奪取作戦に乗り出してきた。しかも末端まで詳細が行き届いていないのか『生死は問わず』なんて条件でだ。ヨーコちゃんや、今回のケースで一番あってはならない事って何だと思う?」
「そりゃあ……、アグが奴らに殺される事だろ? かといって、ならアグを引き渡しましょうってのもノー・サンキューだけどな!」
「惜しいけど違うね。アグちゃんを殺してしまう可能性があるのはABSOLUTEの連中だけじゃないのさ」
ヨーコと会話しながらカトーの顔の穏やかな笑みが浮かぶ。
成長したヨーコの気骨を喜ぶように。
考えが甘いとばかりに首を横に振りながらもカトーの表情はこれ以上ないほどの優しさと喜びに満ち溢れていたのだった。
「なんだ? 言っとくけどABSOLUTEに与する傭兵だって“奴ら”と言ってもいいだろう?」
「問題はさ、悪党の味方する傭兵だけじゃあないんだよ。その辺の腕が悪いから悪党の片棒を担ごうって傭兵にアグちゃんが攫われて、その傭兵の乗ってるHuMoが極々普通の傭兵さんに撃ち落とされたらどうなると思う? アグちゃんも乗ってるのに」
「は? なんだよ、それ……」
愕然とするヨーコに対し、カトーは続ける。
「その点、私らなら問題ない。1個大隊36機揃っていればアグちゃん1人くらい守る事くらい問題はないさ。後はアイゼンブルクとか言ったかね? あのデカブツはあの巨体なんだ、進行速度には限りがあるだろう? 一応は連中に『アグちゃんを確保した』って連絡だけ入れといて、後はのらりくらりと……」
「はあ……?」
のらりくらりと問題を先送りにしてどうするんだとヨーコは怪訝な顔をするが、カトーは答えず笑みを浮かべたまま。
それも当然だろう。
何日か放っておけば、その内にこのゲームのβテストは終わるのだ。




