4 場末の酒場で
時の流れとは残酷なものである。
『貴女 貴女 貴女
貴女、貴女のために死んだなら
貴女、私の名前を憶えてくれますか……』
店内のラジオから流れてくるド演歌は咽び泣くようにコブシの入ったもの。
歌詞の内容はともかく、総理にはそれが自分の今の心境を歌っているように思われて仕方なかった。
「はふっ! はふはふ! はふ! グビッ! げふぅ!」
「……もっと落ち着いて食べてもいいんとちがうかのぅ」
「はん! 食える時には詰め込めるだけ胃袋に詰め込んどけってのがハイエナの流儀でね!」
ここは中立都市サンセットの歓楽街の裏路地のさらに奥。
総理とマサムネの行きつけのスナックである。
ゲーム内時間で約9年振りとなる再会を果たした少女は総理とマサムネの間に収まって名物の煮込み料理をかっ込んでいた。
本来であれば孫どころか曾孫といってもいいような年頃の少女が美味そうに食事をしているのを見ればそれだけで幸せになるような総理も今日だけは話が別である。
9年前は軍用レーションの乾パンに同封されていた金平糖を目を輝かせながらなんとも愛おしそうに頬張っていた幼子が、今は場末の呑み屋でモツ煮込みをビールで流し込んでいる様をみれば、否応無しに特の流れの残酷さをまざまざと突きつけられるようであった。
それはマサムネも同様であったようで、彼も複雑な表情を浮かべて乾き物をアテにジントニックを舐めている。
「それよりヨーコちゃん、あれからどうしとったんじゃ? 心配しとったんじゃぞ。あの日、中立都市に戻ってきたと思ったら何も言わずに消えおって……」
9年前、総理とマサムネは他数名の傭兵とともにヨーコからの依頼を受けていた。
壊滅した武装犯罪者集団の家族たちの取りまとめ役であったヨーコからの依頼は「引き受け先であるトヨトミ陣営へ合流するまでの護衛」。
数十機の輸送機、空中船に分乗した避難民たちは道中で半分近くが撃ち落とされ、総理たち護衛部隊も多大な犠牲を払いながらも辛くも中立都市とトヨトミ陣営との境界線まで連れていく事ができていた。
だが、そこに待ち受けていたのはトヨトミ側の大艦隊。
そして裏切り。
突然のトヨトミ艦隊の総攻撃に避難民たちを乗せた輸送船団はその全てが撃墜され、ヨーコの仲間は彼女を残して炎に包まれていった。
その後、トヨトミ艦隊は空中船団の全滅を見届けるとそこで中立都市管理領域への侵攻を止め、そのために極僅かな護衛部隊は生き残ったヨーコを連れて中立都市への帰還を果たす事ができたのだった。
だが中立都市への帰還後まもなく、ヨーコは言葉一つ残さずにまるで今回のイベントはここで終了とばかりに姿を消していたのだ。
「あぁ? どうしてたって、見てのとおりだよ」
総理の問いにヨーコは面倒くさそうに答えた。
それは何も答えていないようで、今の姿が如実に彼女が送ってきた過酷な生活を物語っている。
かつては幼児らしく可愛らしく膨れていた頬も、餅のように柔らかそうな肉と肌で覆われていた手足も今は随分と痩せこけていた。
総理の身近な少女と同じような年頃はお洒落に興味津々だというのに髪は伸びっぱなしのボサボサで所々が跳ねているが、反面、舌は蛇のように割れて顔にも腕にも露出度の高い服から覗く素肌には炎柄の鮮やかなタトゥーが彫り込まれている。
またヘソや下唇にピアス、丈の短いノースリーブのジャケットには安全ピンとパンクロック風の出で立ち。
ヨーコの歳はまだ15かそこらのハズだが、未成年の飲酒を咎めるのも今さら感の漂う荒みっぷりである。
だが、何よりも老人の気を引いたのは少女の目の下に深く刻み込まれていたクマであった。
あの日に見た幼な子と同じ目をした少女が疲れ果てたような顔をして自身の身体を傷付けてまで虚勢を張っているのがなんとも痛々しい。
「……寝れてるか?」
「寝れるわけねぇだろう。今でもちょっと気を抜くとダチの断末魔が聞こえてきやがる。だからいつも音楽を聴きながら横になって、いつの間にか気を失ってるって感じだな」
「スマンかった」
「……よせよ」
老人の口から洩れたのは悔恨の思いが染み込んだ謝罪の言葉。
総理もこの虚構の世界が仮想現実で、しかも娯楽のためのゲームの世界だという事は十分に理解しているし、彼が失敗したミッションは他にもある。
だがヨーコのミッションは他に類を見ないほどに後味の悪いイベントであったのだ。
それでも生き延びたヨーコがどこかで幸せに暮らしてくれていたならばと自身を慰めていたのに、再会したヨーコは老人の価値観ではとても真っ当な幸福を掴んでいるとはいえないような見てくれであったのだ。
「おいおい! 総理さんが謝るのは筋違いだろ!」
表情を曇らせて背を丸めた総理を励まそうとヨーコが大袈裟に丸まった背を叩く。
とっぽい恰好をしていても綻ばせた顔に浮かんでいた笑顔は歳相応の少女のもので、かえってそれが老人を苛むのだった。
「私は覚えてるぜ? アンタらは私たちのために戦ってくれた。イヌもジャッカルも憎くて憎くて、いつの間にか私もハイエナになっちまってたけどよ。それでもアンタたちには感謝しているんだ」
「そうか……」
「よくもまあアホみてぇに湧いてきた傭兵どもの相手した後で、ギリギリまでトヨトミの連中と戦って私らが離脱できるようにしてくれたもんだよな。いや、私だってそんな度胸無いわ!」
自分たちが最後まで戦っていたがためにヨーコの心に幾ばくかの人間性が残っていたかと思えば救われる思いもするが、その反面、彼女は特殊な存在とはいえNPCであるために総理とマサムネが死亡判定を食らってもガレージでリスポーンする事を知らない。
それがなんだかヨーコを騙しているような気がして老人の胸に棘が刺さったような感覚を抱かせるのだ。
「ところで話は変わるけどよ、なんで総理さんとマサムネ君があんなトコで戦っていたんだぁ?」
どれほど感謝の意思を伝えても老人の顔色が明るくなることはないのだろうと悟ったヨーコが話題を変える。
「ええと、総理さん、傭兵を引退する事になりましてね。その前に私をいっちょガチで戦ってみようかと……」
「はあ、そら淋しくなるな、と言いたいトコだけど、総理さんは歳も歳だししょうがねぇか!」
「というわけで最後の依頼を受けるついでにの。ちょうど失敗しても誰も困らんようなミッションがあったしのう」
NPCのヨーコに「βテスト最終日」だの「マサムネの脱走イベント」だと言っても理解されないだろうと2人は適当に上手く誤魔化していたものの大筋では間違ってはいないだろう。
「はあ? 『失敗しても誰も困らない依頼』? なんじゃそりゃ?」
「ほれ! これ『謎の大型HuMoの調査』ってヤツじゃ」
「あ……」
総理がゲーム内で苦楽を共にしたパートナーとの最後の一戦の舞台として選んでいたのは、正体不明の敵性HuMoの調査というものであった。
仮に自身がマサムネに敗れてそのミッションが失敗扱いになっても、それで財産を奪われる者も殺される者もいない。
まさに2人にとってはお誂え向きといってもいいミッションである。
「それ、私だわ……」
「でしょうね。なんです? あの陽炎……」
「『ミラージュ』ってんだ! 陽炎をベースに私がコツコツ作り上げた機体なんだぜ!」
「陽炎というと、やはり親父さんの……」
「ハハハ、親父の陽炎はスクラップになった後、どこに行ったか分かんねぇけどよ、でも私にとっては思い出深い機体だしな!」
昔は父親の事を「パパ」と言っていたハズだが、ハスっぽく「親父」と言ってもまだ照れ臭いのか、ヨーコは顔を赤くして笑っていた。




