11 暗躍するD
中立都市郊外の巨大なカマボコ型の建造物が立ち並ぶ一区画、通称“傭兵団地”を1組の男女が歩いていた。
空を見上げれば満点の星空。
少し前まで焼肉屋で微アルコール飲料を飲んで気持ちが良くなった女がエア・タクシーを降りて自分に割り当てられたガレージまで少し歩いていく事を提案したのだ。
「ふんふふふ~ん、っと!」
惑星トワイライトの星空は女が良く知る地球の星空とはまったく異なるものであったが、どの道、女は星座などに詳しいわけではない。
ただ夜空に輝く無数の星々も自分を祝福しているのではないかと自分の計画が上手くいった女にとってはそう考えるのみである。
「おっ、アレ、北斗七星っスかね? 8個の星が良く見えるっス~!!」
「なに言ってんですか? ドゥーベはあっちで、メラクは向こう。で、フェクダはずっと向こうですよ? それにミザールやアルカイドは夜には見えませんよ。大体、北斗“七”星なのに8個も星があるわけないでしょう」
「それもそうっスね!!」
長身の女が焼肉店で飲んだのはアルコール度数1%程度のものを2杯ほど。
それでよくここまで酔えるなと呆れた男がてんでバラバラの位置を指さして地球人の知る星座を構成する星々を指さすと、男と同じくらいに長身の女は何が面白いのか声を上げて笑いながら男の背をバンバンと叩く。
黙っていれば美人なのに、と男はウザ絡みしてくる自身の主に対して辟易するも女はガレージに着くと一転、それまでは覚束ない足でスキップを踏んでいたくらいであったのがスタスタと歩いてガレージの中に設置されているプレハブ式の事務所に入ってパソコンを立ち上げる。
「で、どうでした?」
男が事務所の片隅の冷蔵庫からボトル詰めの水を出して女に渡すと、けるべろすは酔い覚ましに一口だけ水を飲んでマサムネに顔も向けないでパソコンのディスプレイを見たまま答えた。
「おかげさまで有用なデータが取れたっス。β版時代に『CODE:BOM-BA-YE』を発動したプレイヤーのデータと合わせれば、十二分に安全な疑似CODE:BOM-BA-YEを実装できるんじゃないっスかね?」
けるべろすはただ自身の担当AIを軽んじていたから顔を向けなかったのではない。
今回の調査で得られたデータがあまりに興味深く、視線を外す事ができなかったのだ。
人間がレーダーを増設されたら脳のどこを使うのか?
スラスターの出力調整はどうやっているのか?
それらが脳に及ぼす影響はあるのか?
対象者が1人だけではけして十分と言えないデータも同じ現象を発動させられる者がもう1人いれば比較検証する事も可能。
正直、けるべろすには脳波パターンを示すグラフを完全に理解する事はできなかったが、すでに今回の調査で得られた全データは担当の部署へと送られて精査が始められているハズであった。
それに素人目で見てもβ版時代に得られたデータと、けるべろすの妹から得られたデータは似たような傾向を示しているように思える。
ならば二人とも「CODE:BOM-BA-YE」発動後にも健康状態には異常が見られなかった事を考えたならば、それを機械的に再現させることも十分に可能であるように思われたのだ。
「なら、どうです? 話は変わりますが、妹さんはホワイトナイト・ノーブルにご執心のようで、妹さんが例えばもっと良い機体で『CODE:BOM-BA-YE』を発動させたとしてノーブルに勝てるんですか?」
「……さあ、どうっスかね」
マサムネは自分が心情的にどこかライオネスの肩を持っていたのを自覚していた。
圧倒的強者として作られた自分をほぼ同格の機体で1対1で倒したのであるからライオネスならやれるのではという思いがあった。
それも先の戦闘でマサムネの機体のHPはまだ半分近く残っていたところをパイロットである自分を失神させて無力化するという方法で負かされていたのだ。
いかにノーブルが強力無比な機体であろうとパイロットを潰せば勝てるのではないか?
ライオネスがノーブルをも倒す事ができたのなら、自分が負けた事にも納得ができよう。
だが、けるべろすから返ってきた答えは予想外のものであった。
「そもそもライオネスちゃんがいつまで『CODE:BOM-BA-YE』を使えるか分かったもんじゃないっスからね」
「なるほど……」
落胆しながらも一方でマサムネは主の言葉をすんなりと受け入れていた。
そもそも「CODE:BOM-BA-YE」とはイレギュラーなもの。
それも自身の勝利を疑わずに再現なく闘志を燃やしていく果てに辿り着く境地である。
ライオネスという少女が誰だって負ける事があるという事実を認めてしまえば、それで終わり。
少女が一歩、大人に近づいてしまうまでの儚い徒花であるのかもしれないのだ。
「となると、やはり……?」
「ええ。本命は『黒騎士計画』っスね」
………………
…………
……
時刻は21時近く。
「鉄騎戦線ジャッカルONLINE」を運営するVVVRテック社の社屋には今も煌々と灯りが灯っていたが、それでもチラホラと帰宅する者もいて社員の姿はまばらであった。
「嗚呼、疲れた……。それじゃ、私はここで……」
「あっ、山下さん、お疲れっした~!!」
「君たちも今日は疲れただろう? いいトコで切り上げて帰りなよ」
山下主任が疲れ切って重い体を上げたのは半ば上司としての義務感もあった。
もちろん家族の元にいち早く帰りたいという思いもある。
だが連日の残業続きの部下たちのために上司である自分が帰らなければ部下たちも帰宅しづらいだろうという彼なりの優しさがコーヒーで一服してからという誘惑を振り切らせていた。
「ええ、今日はしんどかったですからね。私たちもそろそろ帰りますよ」
「こっちもお役人さんへの報告も終わったんで後は帰り支度です」
「新PVがプロデューサーの承認をもらって早速、公開されたみたいなんで、自分はもう少しネットの反応を見ていきます」
「ああ、君は会社借り上げのホテルだっけ?」
「ええ。なんで主任はどうぞ遠慮無く」
山下の部署は国の機関との折衝を伴う業務を担っていた。
当然、役人たちとの交渉ごとなどゲームソフト開発運営会社であるVVVRテック社の社員たちにとっては慣れぬもの。
元々、総務省の官僚であった山下以外の面々にとっては気苦労も多いであろう。
それに彼の部署は本日起こったとあるトラブルのせいで疲労は極限状態といってもいい。
だが、チームの雰囲気自体は悪くない。
彼のチームのブースは誰しもが疲労で大きく肩を落としている。
しかしその目には光が灯り、皆、口元には笑みがある。
達成感、充実感、満足感。
一日の業務を無事にやり遂げた面々は明日への活力に満ちていた。
ただ疲れ切った心身を癒すためだけではなく、明日の業務をこなすために休息を求めている雰囲気。
悪くない空気だと思いながら山下は部下たちに手を振ってオフィスを出る。
(……あの男の影響かもな)
廊下を歩きながら山下は本日の業務中に出会ったある男の事を考えていた。
破天荒でいて、悪魔的でいて、それでいて気持ちが良い男であった。
芯がある。
芯なんて生易しい言葉ではなく、太い幹のようなもののようにさえ思える男であった。
そんな事を考えていると自然に山下の口元も笑っていた。
疲労困憊で立つのもやっとであろうという男がしっかりと立って己の敵へ銃を向ける姿が部下たちに影響を及ぼしたのだろうかと考えていたその時であった。
1人の女性社員が山下へ声をかけたのは。
「あっ! 山下さ~~~ん!!」
「げぇ!? 虎さん!?」
廊下の向こうから大きく手を振りながら小走りでやってくる女性は獅子吼ディレクターである。
山下よりも頭一つぶんは長身の獅子吼虎代ディレクターは肉付きこそメリハリが無いが、その長い手足は海外モデルを思わせるほどで、女優やアイドルのような美しさこそないがそれでも愛嬌のある人懐っこい表情は本来ならば山下のようないわゆるオジサンと呼ばれるような年代の男性にとっては声をかけられるだけでも嬉しいものであろう。
だが山下の口から洩れたのはカエルを押しつぶしたような声であった。
実の所、今の山下にとって獅子吼Dは一番会いたくなかった者といえるだろう。
「山下さん、お疲れっス! 今から帰りっスか!?」
「あ、ああ。虎さんは元気そうだね」
「いえいえ。私は夕方から妹とゲームで遊んでたようなもんスから!」
若い女性が親し気な口調で近づいてくる。
本来ならば鼻の下でも伸ばして良さそうなものだが山下は内心、戦々恐々として背に冷や汗をかいていた。
長い手足を振って駆け寄ってくる獅子吼Dは女性的なしなやかさのある動きであったが、今の山下にはそれが猫科の大型肉食獣のものにしか感じられなかったし、気安く距離を詰めて来たその動きは山下に彼女の間合いに入ってしまった事を実感させていた。
「で、ど、どうしたのかな? こんな時間に……」
「へへへ、申し訳ないんですけど山下さんにお願いがあってっスね~」
その長身に似合わず体をクネクネとさせてみせる笑顔の獅子吼Dを前に山下は戦闘態勢を整える。
山下が気にしていたのは彼のチームがつい先ほどプロデューサーの許可を得て動画投稿サイトへアップロードした新PVの事である。
そうでなければ獅子吼Dがわざわざこんな時間に話しかけてくる理由がない。
山下は主任という肩書でありながらも、その業務内容から社内での立場は獅子吼Dと同格。
だが、その業務内容の特殊性により獅子吼Dの所管する業務とはあまり接点が無いのだ。
そして新PVに映されている内容は獅子吼Dを修羅とさせるに十分なものであるのは明白。
そのPVでは山下が管理するゲーム内のとあるエリアにおける戦闘をリプレイ機能を用いて再編集したものがメインの内容となっていた。
だが獅子吼Dの口から出て来た“お願い”は彼の予想外のものであった。
「実はその内、ゲーム内に新機能を実装したいんスけど、その前にテストを山下さんにもお願いしたいんスよ~!」
「うん……? テスト? 私にかい? 他にもっと、ゲームの上手い人とかいるんじゃないかい?」
あまりに予想外の出来事に山下はポカンと口を半開きにしてしまっていた。
元官僚の山下はゲームというものをあまりやった事がない。
「好きなゲームは?」という問いに対して「ソリティアとかマインスイーパー」などとパソコンのOSに最初から入っているゲームを上げるほどだ。
その事は社内でも知れ渡っており、「鉄騎戦線ジャッカルONLINE」ゲーム内の山下専用機は足を止めて弾を撃ちまくるコンセプトの物。
山下にはそれしかできないのだからしょうがない。
「退く事覚えろカス!」という格言が示すとおり、アクションシューティングゲームにおいてはただ攻撃のみならず、走攻守全てが求められるが子供の頃からゲームというものに触れてこなかった山下に50を過ぎてからそれをやれと言うのも酷な話であろう。
故にゲーム内に新機能が実装されるにしても、そのテストに自分が関わるとは山下にはとても信じられる話ではなかったのだ。
「いえいえ、その新機能が山下さんクラスのプレイヤーでも使えるのかの実験みたいなもんなんスよ~!」
「ああ、なるほどね。ヒエラルキーの最下層ではその新機能をどう使えるかって事かい?」
「そういう事っス!」
そこまで話が進んでやっと山下も理解する。
つまりはその新機能を実装した機体にどの程度の性能を持たせるかのサンプルが必要という事。
そして社内でドベのHuMo操縦技能を持つのが山下なのだ。
なにせ現実世界でも自動車運転免許を身分証明くらいにしか使った事がない。
家にあるミニバンはもっぱら妻が運転しているくらいである。
「そういう事なら了解した。でも今日の話というわけでもないんだろう?」
「ありがとうっス! ま、実装がいつになるのかはまだ分からないんスけどね!」
「はは、それじゃ、その時にまた連絡をくれるかい?」
「はいっス!」
結局、山下が心配していたような事態は起こらず、そこで山下は解放されて社屋を出て帰宅していった。
なお獅子吼Dが新PV「蒼穹の覇者」を目にするのは山下とそのチームが帰宅した後の事である。




