19 警報
大浴場を出て更衣室に入ると、体に巻かれたバスタオルは瞬時に消失していつもの服へと戻っていた。
だが余韻を残すように髪はしっとりと湿り気を残していて、体の内に残った熱は確かに温泉に入っていた事が嘘ではない事を確かに伝えてくれている。
そして喉の渇き。
ポカポカと体の底から感じる温かさは心地良いものであったが、汗として流れ出た水分を補充せよと欲する本能を宥めるために私は大浴場前のフードコートに入る事にした。
「おっ、出てましたか。どうでした?」
「ああ、良い湯だったよ。私の担当も満足して露天風呂を楽しんで今はサウナだ」
フードコートのずらりと並んだテーブル席の大浴場近くの席にはカフェのマサムネが座ってタブレット端末でゲームの更新情報に目を通しながら私たちが出てくるのを待っていた。
「それよりアンタ、どうしたんだ?」
「ええ、キャタ君たちは例の不審者の警戒に出てますし、栗栖川さんは仕事があるっていうんで貴方がたの案内を私が買って出たってわけですよ!」
「そりゃ悪いね。でも店は良いのか?」
「どうせ客なんて滅多にこないんですし、良いんじゃないんですか?」
マサムネは平然と答えるが、自分の持ち場を勝手な判断で放棄するNPCがいるとは意外であった。
「とりあえず風呂上りなんですし、冷たいのでも飲んで軽く何か摘まんで担当さんでも待ってたらどうでしょう?」
「それもそうだな」
「ビジターパスを提示すれば当施設内の店舗は全て無料ですからご安心ください」
「無料ぁ……?」
あからさまな作り笑顔のマサムネは平然と言ってのけるが、このフードコートだけではなく、大浴場に来るまでに見たショッピングモールと見紛う店舗群の全てが無料とは驚かされる。
しかもそれが私たちのような訪問客にも適用されるとは。
「まあ、この施設の存在は大っぴらに公表されているものではありませんし、ここを訪れる者となればここの子供たちの見舞いの家族とか友人たちくらいのものですからね」
「ああ、それじゃ私たちもキャタピラーの友人って扱いなのか?」
VRお見舞いというのもあるのか……。
そりゃベッドの上で寝たきりの子供を見るより、仮想現実の世界とはいえ元気に動き回ってる我が子をみたいという親の気持ちも分からないでもない。
とりあえず私は有名ハンバーガーショップでコーラとSサイズのポテトを頼むとコート内は閑散としているだけあってすぐに注文の品が用意される。
マーカスが大浴場から出てきた時に私たちを見つけやすいように大浴場の暖簾の近くの席を確保して座るとマサムネがタブレット画面をスワイプさせてデータを私の端末へと投げてよこす。
「うん? 作業概要書?」
「陽炎の弾薬補給の作業内容ですね。当然、これも無料です」
「おいおい、なんだか他のプレイヤーに申し訳ないな……」
火照って乾いた喉にコーラを流し込むと炭酸の強い刺激が痛いくらいだ。
そこにフライドポテトを放り込むと強めの塩味で再び喉はコーラを求める。
コーラとポテトのループを繰り返しながらマサムネからよこされたデータを見てみると無料というだけあって、補充された弾薬は標準の物ではなく高級な物であった。
「まさか、これを見込んでパス太に陽炎を使わせたのかな?」
「それもあるでしょうよ」
「それ“も”?」
「今ある弾を使ってしまえばタダで上位の物を補充してもらえるってのが1つ。でもリョースケ君相手にただのフライトでは詰まらないと思ったのも本当でしょうし、陽炎に興味津々だったパス太君に試させてあげようという理由もあったのでしょう。頭の良い人は1つの行動にいくつもの意味を持たせるものだと思いますよ」
さすがに粕谷1尉をモチーフに作られただけあってマサムネにはマーカスの行動の意図が理解できるようであった。
昨日の難民キャンプでの戦闘で陽炎を乗っ取ろうとしたマーカスを良いタイミングで現れた虎代さんとこのマサムネが手助けできた事を考えればネタ元に随分と忠実な思考パターンを持っているのだろう。
「そんなもんかね?」
「もちろん私の想像ですがね」
マーカスの行動の真意について長々と語った割に私が猜疑の声を上げるとマサムネは作り笑顔をピクリとも動かさずにあっさりと引き下がる。
どうにも掴みどころの無い男である。
「ちなみにだけど、さっきのアレ、アンタも見てただろ? アンタならマーカスを落とせるか?」
「陽炎を使ってというのならどうでしょうね? 落とせるつもりではいますけど、貴女の担当が奥の手を持ってるかもしれませんしね。確実に落とすというのなら……」
「なら……?」
「陽炎の荷台に積んでるアレを使わせてくれるんなら確実でしょうよ!」
「だったら私だってできらぁ!」
ったく、ネタ元に似てというか、何と言うか。随分と目ざとい男だ。
陽炎の弾薬補給の時に顔を出してアレを見つけていたというわけか。
一瞬、ライオネスがマーカスに勝つ手はユーザー補助AIをマモルからマサムネに変えるのが手っ取り早いかとも思ったのだが、そもそもここのマサムネはマーカスがHuMoに乗っている所を見た事もないので勝てるかどうか聞くだけ無駄であっただろうし、何よりマサムネの力で勝ったからといってライオネスはそれで満足はしないだろうと考え直す。
そもそもユーザー補助AIの変更は課金アイテムが必要なわけで、他人の補助AIである私が提案することではないだろう。
課金煽りが激しいゲームは当然ながらユーザーに辟易されるわけで、いくらライオネスが私の事を友達だと思っていたとしても「180円で課金アイテム買え」と言うのはちょっと違うと思うのだ。
「それにしても遅いな、アイツ……」
「え、サウナ行ったんですよね? 2、30分はかかるんじゃないですか?」
「……マジか」
すでにポテトは後少しで食べ終わるというところ。
マーカスがすぐに出てくると思って少な目にしておいたが、これならもう少し大きなサイズにしても良かっただろうか?
2杯目のコーラと一緒にフライドチキンでも頼もうかと思案していたところ不意に館内に剣呑な警報が鳴り響き始めた。
何事かとマサムネを見るも怪訝な顔をしてタブレットを操作しだしている。
遠くの席ではスケッチブックを広げてドーナツを食べながらお絵描き中の女児も大音量の警報に引き攣った顔をして周囲を見渡していた。
どうやらイレギュラーな状況らしい。




