16 温泉
キャタピラーが苦し紛れに言い出した温泉という言葉はアラフィフのおっさんであるマーカスのハートにクリティカルヒットしたようで、私たちは温泉へと案内されることとなった。
VR診療所、通称トイボックスの中の廊下は陽光を思わせる照明の明るさで満たされており、白い壁紙や明るい色合いの木材などが多用された空間は柔らかい印象を受ける。
さらに至るところに大きな窓があって、外で遊ぶ子供たちのはしゃいだ声やスポーツに熱中する子供たちの熱い声が聞いている私まで陽気な気分にさせてくれていた。
マーカスものんびりと歩きながら壁に貼られた子供たちが描いた絵などを見ている。
さらに屋内には飲食店などの様々なショップがテナント形式で入っていて、そのような区画はさながらショッピングモールのようでもあった。
異様なのはやはり、この場所にいる者たちのほとんどが子供たちであること。大人たちは中立都市で見るようなユーザー補助AIばかりであるということ。
栗栖川のような人間は極少数しかいないのだろうか?
「ここで働いてる奴らってのはβ版の時に使われていたユーザー補助AIだけなのか?」
「そうみたいね」
「やっぱり、ここがゲームの中の仮想現実だって分かってるNPCの方が都合が良いみたいさ~!」
キャタピラーやパオングにとってはこれが当たり前の光景なのだろうが、私からすれば担当プレイヤーのいないユーザー補助AIばかりというのは異様な光景にしか見えない。
「ま、私もマーカスがゲームに飽きてログインしなくなったら、ここで世話になろうかな」
「それが良いさ~! わ~たち、ミッションに行くときまでお世話係付きじゃ面倒だからって『アレックス』とか『イルカ』にしたんだけど、戦闘前の待ちの時間が長くてコックピットの中に独りじゃダレることに気付いたさ~!」
そうこう話している内に青と赤の暖簾で分けられた大浴場が見えてくる。
「それじゃ、私たちはここで……」
「悪いけど、わ~たちは例の不審者の警戒にもどるさ~」
赤い暖簾を潜って狭い廊下を進んだ先にあったドアを開けて中に入ると、私は一瞬にして服装が変わっていた。
……体に巻かれたバスタオルを「服装」と言っていいのかは分からないが。
どうやら体にバスタオルを巻いた状態がこのゲームでの浴場の正装らしく、バスタオルを取る事はできない。
どうやら裸の上にバスタオルが巻かれているというよりかは、胴体がまるごとバスタオルに切り替わったようである。
中立都市では汗をかいても着ている服ごと入るシャワーポッドに入るわけで、このバスタオルはここの大浴場専用の仕様なのだろう。
そのせいかディティールが甘く、下半身を下から覗けばサービス精神の欠片のない美少女フィギュアの如くに暗闇から脚が生えているという状態。
まあ、そんな事を考えているだけ無駄であろうし、とっとと別府の名湯とやらを試してやろうかと私は更衣室に備え付けのタオルを1枚取って浴場へと向かう。
「…………そういや、あの野郎を1人にして大丈夫かな?」
屋内大浴場のさらに先の露天風呂に浸かりながら私は1人で呟く。
青味がかかった乳白色の湯はぬるめではあったものの、温かい湯に全身を浸からせるという体験は初めてなものでむしろすぐにのぼせてしまう心配がないぶん、むしろありがたい。
温泉と聞いて目の色を変えたマーカスの事をジジイ臭い趣味だと思っていたが、じんわりと少しずつ体を温めてくれる温泉はたしかに気持ちが良い。
一応、タブレット端末を浴場内に持ってきてはいるものの、温泉に浸かりながら更新情報のチェックというのも野暮な気がして私はただ上空を流れていく雲を眺めている事にしていた。
雲が流れていくのが早い。
あの雲はどれくらいの高度を飛んでいるものなのだろうか?
マーカスはF-15で空を飛んでいる時に気流の影響を受けなかったのだろうか?
雲を眺めて取り留めのない事を考えながらしばらくすると露天風呂の竹塀の向う側、つまりは男湯の方からガラガラとドアを開ける音が聞こえてきて、それからホラーゲームなんかで大人気のゾンビみたいな声が響いてくる。
「あ゛あ゛あ゛っあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……あ゛あ゛あ゛、し゛み゛る゛ぅ゛~……」
「おいおい、隣にいるのはアンデッドかなんかか~?」
その声は良く知る担当の声だと気付いた私は竹塀の向こうに向かって声をかけた。
この露店風呂は大きな石造りの湯舟を竹の塀で男湯と女湯に仕切っている構造のため、塀で仕切られているとはいえ、あの男と同じ風呂に浸かるというのは一瞬だけ底知れぬ恐怖を感じたが、よくよく見てみれば湯舟を仕切っている青竹の塀の隅には【装甲強度AAAAA】というラベルが張り付けられている。
装甲強度AAAAA、つまりはホワイトナイト・ノーブルの正面装甲と同程度の強度だ。
つまりはこの竹塀を一部でも破壊して女湯を覗く事は不可能。
たとえマーカスであろうともそれは同じ事。錐のような工具はもちろん、タンデム弾頭の携行対HuMoミサイルランチャーであろうともこの塀には傷1つ付ける事はできないのだ。
なにせこのゲームは全年齢対象だからな!
となればバスタオル1枚しか巻いていないほぼ無防備の状態とはいえ、安心して話をする事ができる。
「おや? サブちゃんかい?」
「おう、それにしても随分と遅かったじゃないか?」
「いや、普通だと思うが……、普通に体を洗って、あっ、下半身にバスタオルが巻かれているせいで股間が洗えなかったせいでどうしたものかと思って時間がかかったのかな?」
私は女性であるので胸から太腿まで隠す形でバスタオルを巻かれているのだが、どうやら男性は下半身を隠す形でバスタオルが巻かれるようだ。
だが、私が気になったのはそこではない。
「ちょっと待て、もしかして湯舟に浸かる前に体を洗わなきゃいけないのか?」
「そらそうでしょ。湯を汚さないためのマナーだよ」
「…………」
限りないほどの非常識だと思っているヤツから常識を説かれる。
これがどれほどの敗北感か分かるだろうか?
「サブちゃん、もしかして知らなかった?」
「ち、違うんだよ!? ほれ、私、トワイライト人だから湯舟に浸かる習慣が無いっていうか?」
「……ところでこのお湯って飲めるのかな?」
「止めろッ! 馬鹿ッ!!」
つい先ほど男湯と女湯を隔てる竹塀はホワイトナイト・ノーブルの正面装甲と同等の強度があると考えていたばかりであるというのに私は拳を塀に叩きつけていた。
「ッ!? いッッッ痛ァ~~~!!」
「おいおい、大丈夫かい? 冗談だから本気にするな。まあ、でも不特定多数の人間にサブちゃん汁を提供しないためにも今度から風呂に入る前に体を洗おうね!」
「……おう」




