ケモノの記憶
魔女の森が魔女の森と呼ばれるからには、それなりの所以がある訳で、魔女の館が魔女の館と呼ばれるからにも、魔女の存在が当然絡んでくるのは必然なのである。
元々、ミリスはリーズブルの学術院に籍を置く魔導師だった。しかし、禁じられた研究に没頭する彼女を周囲は危険視し、都からの追放、ついには魔女の汚名を着せて一切の接近を禁じたのであった。
「全然分かってないよね、都の人たちはさ。浪漫もへったくれもないと思わない?」
「はあ……。まあ」
ミリスの生み出した人狼、ズィーゴは返答に困る。そもそもミリスが品行方正な掟を守る魔導師であれば、ズィーゴは怪しげな実験に付き合わされて人間としての人格を植え付けられずに済み、今でもどこからの群れで一般狼としての生涯を全うしていたことだろう。
「私がいうのもなんですが……。主人は少々、いやかなり、異常です」
「いやいやいや、周りの常識が古いのさ。古今東西、津々浦々。魔導書を紐解いても生命の生成は最大の禁忌とされてる。おかしくない?男と女が出会って、子供ができて……。それと、私がズィーゴに人間としての知能を与えること。人を作り出すって意味で、なにが違うっていうの?」
「もうその発想に至っている時点で、かなり危ういかと」
「ズィーゴ!!なんで貴方は親に似ないで常識的な子に育っちゃったの!?」
「そんなこと言われても困ります……」
住み良いリーズブルでの暮らしから一転、鬱蒼とした森の奥での暮らしなど、生活水準の面で言ったら窮屈であるに違いない。
しかし、ミリスなズィーゴとの日々をなによりも満喫していた。そもそも自由奔放な性格である。柵に溢れた都での生活より肌に合うのは自明の理であった。
「とはいえ、流石に生活の全てを自給自足するのはきつい。都での買い物はどうにかして済ませなきゃね」
「主人は接近を禁じられているのでは?」
「うん、だからズィーゴがお願い。その為に人の姿にもなれるように調整したんだからさ」
「変なところで合理的ですね……」
「知ってる?理性と本能を程良くブレンドするのは物凄く難しい作業なんだよ。でも、難しいからこそ面白い。こんな面白いことをタブーにして悦に入ってるなんて、私からしたら都の連中こそ頭がおかしいとしか……」
「行ってきます」
ミリスのいつもの話が始まったところで、ズィーゴは強制的に切り上げた。ミリスもいい加減うんざりされていることは理解しているので、不満げな表情すらも予定調和だ。
「ねえ」
「なんですか。早く行かないと店が閉まりますよ」
「私とズィーゴの関係ってさ、なんなんだろうね。親子?」
「親子……。いまいちしっくりきませんね」
「だよねえ。じゃあなに、友達?兄弟?まさか恋人!?」
「いや……。家族、でいいのではないですか」
「家族かあ……。家族ねえ」
ミリスの言葉が不意に途切れて、どこか遠い目になる。この話題を出せば彼女がこのリアクションをするのもズィーゴは織り込み済みだ。
「主人は、黙っていれば美人ですね」
「黙ってる私は私とは言えない」
「禁じられた研究……。私の存在を非公表にしたまま、都の学会に帰ることは可能なのでは?」
「ないない、ありえない。ズィーゴって意外と馬鹿なの?あの連中に馴染めないからこの森までやってきたってのに……」
「一方的に追い出されただけでしょう」
「うるさいわい!!あたかも私が嫌われ者の仲間外れみたいな言い方はやめてもらおうかっ」
「実際そうでしょう」
「この犬っころがあ!!」
異端の存在と、禁忌の存在。
薄暗い森の奥で、切り離し難い絆で結ばれた二人の日々は続いた。
都には魔女を追討せよとの過激派もいないことはなかったが、臭いものには蓋を。触らぬ神になんとやらの精神で、もうミリスの存在は無かったことにして忘れてしまうという風潮が主だった。
ズィーゴは品のいい老紳士に姿を変え、ついぞ人狼であることが暴露されることはなかった。
ただ平穏に、時は過ぎた。
それがいけなかったのだと、ズィーゴは悔恨を噛み締める。
血塗られたミリスの亡骸を抱えて。




