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構造主義

 「構造主義」という言葉が人口に膾炙して久しい。だが、それとともに、誤解されている言葉であったり、内容であったりもする。レヴィ=ストロースの著作により、広く知られるようになった思想ではあるが、実のところレヴィ=ストロースの著作から、この言葉の概念を素直に理解するのは難しい。むしろ、専門外であったとしても、ローマン・ヤコブソンの「一般言語学」における音韻論を、レヴィ=ストロースと同じく学ぶところから始めるのが結局のところ近道だ。

 ところで、「構造」という言葉を聞いた時に、どんな事柄を思い浮かべるだろうか? 建物の柱や梁がどうなっているかというようなことだろうか? あるいは、次のようなものかも知れない。

 多くのプログラミング言語には、これらのような構文がある:

|   if 条件 {

|     文

|   } else {

|     文

|   }

|   for カウンタなど in 繰り返し範囲 {

|     文

|   }

|   while 条件 {

|     文

|   }


これらは、あるいはこれらに限らないが、制御構造と呼ばれ、おおまかな話ではあるが文法に制御構造を持つプログラミング言語は、構造化プログラミング言語と呼ばれもする。

 さて、話を戻そう。「構造」という言葉を聞いた時に思い浮かべるのは、およそこのどちらかではないかと思う。ここが落とし穴だ。


 では、というわけで音韻論経由で話を進めてみよう。例として、次のものを用いる:

|   あおいいえ (青い家)


これは日本語の母音のみでできているので、例に挙げる個数が少なくてすむ。なお、「あ、い、う、え、お」の五母音として話を進める。

 五母音でと書いてしまったが、なぜ、「あ」と「い」は違うのだろう。声をどのように出すかの違いだというアプローチは音声学と呼ばれている。だが、ここで必要なのは音韻論だ。

 ちょっと、例文の母音を置き換えてみよう。

|   あおいいえ

|   いおいいえ

|   うおいいえ

|   えおいいえ

|   おおいいえ


「あおいいえ」が伝える意味は、他の四つとは異なり、また表現上の違いは最初の一文字だけだ。簡単な例だが、これによって「あ」は、「い、う、え、お」とは異なると、一旦言える。「い」以下についても同様だ。ただし、これはあくまでとても簡単な例として挙げたものであって、実際にはもっと面倒な話になる。例えば、新宿は「しんじゅく」と読み、新橋は「しんばし」と読む。この「ん」だが、音韻論においてはどちらも「ん」でかまわない。だが音声学においては、この二つの「ん」は同じ音ではなく、明確に区別される。

 このような話の場合、エティックとかイーミックという言葉が使われる。音声学は "phonetic" であり、音韻論は "phonemic" だ。どちらも "phon" は共通しており、また語呂的に、音声学から「エティック」の部分を取り出し、音韻論からは「イーミック」の部分を取り出した。

 なぜ音声関係から、エティック/イーミックという言葉がつくられたかというと、まぁ、上記のように違うからだ。

 さて、ここで一つ落とし穴がある。けっこう多くの人がハマる落とし穴だ。というのも、エティックは客観的であることを言い、イーミックは主観的であるというようなものだ。まったく違う。だが、それについては、次のことを書いてから一緒に片付けよう。

 では、構造主義における「構造」とはどういう意味なのだろうか? これは、じつはここで書く必要などないのだ。構造主義を解説している本なら、だいたい載っているだろう。つまり、「差異の体系」だ。

 差異については、上で五母音を使った。ここで問題になりそうなのは、そして実際に問題になるのだが、「体系」の方だろう。差異を集めたものは、差異の体系とは呼ばない。ここについては比較言語学の本でも参照してもらうのが早いのだが。でも書いておくなら、「差異の体系」とは、「どのような差異であるか、どのように差異となったかについてのルールないし傾向をまとめたもの」と思えば、間違いとまでは言えないだろう。

 エティック/イーミックに戻ろう。言うならエティックは分類することを言う。対してイーミックは差異の体系を求めることを言う。

 ところで、「小説の構造を分析する」というようなことが言われることがある。特に一つの作品に対してだ。だが、その場合の「構造」とは、構造主義における「構造」と同じ意味ではないことはあきらかだ。というのも、「差異の体系」である限り、たった一つの何かを対象に、構造主義的に分析することはできないのだから。


追記: Dec 08, 2016

最後の段落について。

ロラン・バルトの「S/Z」とか忘れてた。どんなだったかな?

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