第六話
15歳になり、私はとうとう王立アカデミーに入学?した。
なんと私は昨年書いた化石の論文で地質学の博士号を取ってしまった。前世夢だった博士号。驚きすぎて、なんだかぼんやりしてしまった。
地質学、化石研究はこの世界では既存の学問を侵害することもなく、いろんな既得権益の邪魔をしない点が、純粋に学問っぽくて、アカデミーの偉い人達が喜んだらしい。
そして何故か、博士論文含む全ての研究結果はスタン侯爵家の名の下に厳重に管理されている。アカデミーであれ、国であれ、私の理論や手法を利用するときは、私(というかスタン侯爵家とオマケのパルメザン伯爵家)の認可がいるらしい。そんな大そうなこと書いてないんだけれど……。
で、博士が今更アカデミーで何を勉強するの?自分の道を極めれば?ということになり、アカデミーの研究棟に自分の表札の掛かった研究室を与えられ(これも前世の夢だった)、自分の好きな授業だけ出ればいいよ、ということになった。
順番の問題で、博士号の前日にアカデミーを卒業したことになっている。比べるのもおこがましいが、ノーベル賞の受賞者に、慌てて文化功労賞と文化勲章を与える感じ?
私はルーファス様と相談して、出席する授業を決めた。ルーファス様の薦めるものは政治学や経営学など確かに私が苦手なものや今後必要になるものばかりだった。
博士であることなどで悪目立ちしたくないと言うと、私が既定の授業に出ないのは病弱だから……という以前から浸透させてきた設定を用い、教師陣にも何か聞かれればそう答えるようにルーファス様がお願い?してくれた。
私はいつも一番後ろの席でひっそり授業を受けている。時にはルーファス様もお隣に座られる。
◇◇◇
「ピア!」
突然、背中から声がしてびっくりする。
「ルーファス様、驚かさないでください」
「この研究室に来るのは私と学長くらいだろ?何を読んでた?」
コツコツと日々を積み重ねるうちに入学して二年経ったが、実は結構な頻度で、一度きりの子どものお茶会で出会ったジョニーおじさんもこの地味な端っこの研究室に来る。どうやら学長と親しいらしく、研究棟の入室許可の札も持っているのだ。
王都で評判というお菓子を手土産にただおしゃべりに来たり、正式な河川や山地の調査依頼を持ってきたり。
私がどうしたものか困っていると、父パルメザン伯爵の、『ぴ、ピア。この依頼、謹んでお受けしなさい』という震えた字の添え状も持ってきた。脅された?父に問い合わせても、『だ、大丈夫だから!大変お世話になっているお方だ』と言うばかり。
キチンと報酬を出してくれるので、少しでも今後の生活の足しにとお受けするようになったのだが、
「ピア、絶対絶対、ルーファスには内緒だぞ。無理なら無理と言いなさい。無理をさせてピアが倒れでもしたら、冗談じゃなくクーデターが……」
「くーでれ、ですか?ルーファス様が?確かにそうかも……」
まあ内緒なんてありえないんだけどね。私には過保護なルーファス様が付けた護衛がピッタリ張り付いているのだから。
そんなこんなのジョニーおじさんをぼうっと思い出しながら、私の本をパラパラめくるおじさんの天敵?ルーファス様を横目に見て、メガネを置いて眉間を揉み、お茶を煎れようと立ち上がる。
「えーと、このフロアの皆様は皆親切で温かいので、この部屋に顔出してくれますよ!その本は二世紀前の北部地方の冒険記です。地形や生息動物を現在と比べていまして……本は幅広く読むようにしています。アカデミーにいるのもあと一年ですもの。とりあえず必要な知識は全て頭に入れておかないと」
「うん……まあ色々考えたが、ここに通って得た知識は無駄にならないはずだ。このフロアの人間は調査済みだったな……ならば大丈夫か」
ルーファス様は領地で二人、犬と駆け回っていたころの面影は、もうあまりない。
アカデミーに入ると一気に背が伸びて、筋肉がつき、私と大して変わらなかった体格はあっという間に男になってしまった。
群青のまっすぐな髪は耳にかかる長さで、ふとした時、後ろに搔き上げる。まん丸だった瞳は年相応に細くなり、そのグリーンの瞳は叡智が溢れ、何物も見通すように光っている。
婚約者殿はもうお義父様である宰相閣下の片腕として働いている。どちらかと言うとアカデミーが片手間だ。
国のために役に立っているルーファス様。
それに引き換え化石オタクで、バッドエンドに備え自分一人生きていく手段を必死に掴もうとしてる私。それすらルーファス様のお膳立ての上で。
ルーファス様がソファーで足を組み、アームに肘をついてお茶を飲む。
ここでこうしている時間が、唯一の息抜きとのこと。好きなだけ来てくれていいけれど……。
この平穏、いつまで続くのかしら……。
「ピア、またぼんやりしてるぞ?どうした?」
「い、いいえ、どうもしておりません」
私もいそいそと向かいに腰掛け、お茶を手に取る。
「そうか?ところで先ほど連絡が入ったが、明日転入生が来るとのことだ。なんと名前はキャロライン。ラム男爵の生き別れた娘……まあ隠し子だ。ピアからこの話を聞いて七年。ピアの予言が本物だと証明された。神の啓示が聞けるとは、ピア、素晴らしいな!」
…………キャロライン?
ガチャン!とカップを落としてしまう。紅茶が飛び散り、カップが粉々に割れる!
ルーファス様が慌てて駆け寄り私を抱き上げ、
「おい!」
「は!」
研究室の隅に控えていた、護衛のマイクがさっと片付ける。
「あ、私が!」
「じっとしていろ!ヤケドしてないか?」
「は、白衣を着てますので、大丈夫です」
マイクが何もなかった状態に片付けて、脱がされた濡れた白衣とゴミを持ち静かに出て行った。
ルーファス様が私を抱いたままソファーに座る。アカデミーに入って以来、字の練習はしていないので、随分と久しぶりだ。降りようと身体をよじるも逆に深く抱きとめられる。
「ピア……キャロラインが怖いか?」
「……」
「私が信じられないか?」
「ルーファス様もおっしゃったわ。予言は……当たったでしょう?」
「ああ、いよいよ本番だな」
とうとうこの日が来た。明日からゲームスタートなのだ。
泣きそうだ。唇を噛む。
「いよいよ舞台も役者もととのった。ピア、私がポッと出の男爵令嬢風情に惑わされる男かどうか、高みの見物をしていればいい」
ルーファス様がニヤリと笑う。
私にもルーファス様の自信が1ミリでもあればいいのに……
私の体は不安に敏感で、すぐに胸がキュッとしぼみ、動悸が始まる。私は深呼吸を繰り返し、平常心平常心と暗示をかける。
私の様子に気がついたルーファス様はすぐに私の背中をさする。
「ピア?落ち着いて?呼吸を整えて?……いいか?私は、自分は舞台に上がるがピアを巻き込むつもりはない。ピアは今後どうアカデミーで過ごしていきたい?」
彼の膝の上で視線をガッチリ合わせられる。言わなきゃ、引き下がってくれない顔だ。小さな声を溢す。
「……キャロラインとは……顔を合わせたくない。間違っても二人きりになどなりたくない」
ルーファス様が小さく頷く。
「なるほどね。授業は全て被らないように、鉢合わせなどしないように誘導しよう。そして必ず私の手の者をピアに付ける。決してピアを一人にしない。キャロラインに嵌められる可能性を排除したいのだろう?」
1言えば10わかる人だ。
でも、問題はルーファス様の心だ。
「ルーファス様が、キャロラインに惹かれても、しょうがないです。彼女は多分美しいもの。私よりもずっとずっと。けど、嵌められて、疑われて、ルーファス様を好きな私の気持ちまで疑われたら、私……私……」
見なくともわかる。キャロラインは可愛い。だってヒロインだもの!
それにひきかえ私は紺の制服の上に汚れた白衣を羽織り、研究に邪魔だから、黒髪は三つ編みを捻って襟足でまとめているだけ。
顕微鏡を使いはじめて視力が悪くなり、デスクワークではメガネまでかけるようになった。
化粧は侯爵夫人から『結婚するまでダメよ?暴走しちゃうから?』とよくわからない理由で止められている。
私は小さいころと、そして研究バカで捨てられた前世と何一つ変わらない。
ルーファス様に嫌われたら死んでしまうとはっきり自覚した。なんでいつも上手くいかないの?つい我慢が利かず涙が溢れ落ちる。
「ピア……ここでそれ言うか……クソッ!」
ルーファス様がぎゅうぎゅうに私を自分の胸に押しつけた。涙がルーファス様の服に吸い込まれる。
「私の気持ちが伝わっていないばかりか、なんだこのピアの自己評価の低さは!私が囲い過ぎたからか?他者に極力会わせなかったから、自分の偉業がわかっていないのか……。ピアの家族はご両親も兄上も学術肌で寡黙だしな……失敗した!」
ルーファス様はそっと腕を緩め、私が泣き止むように再び背中をさすり続けた。そして片手で私の顔を持ち上げた。
「ピア、あの日の契約、覚えているか?」
私はこくんと頷いた。当たり前だ。
「私は己の全プライドにかけて、お前以外の女になど屈しない。よってピアの自由時間は卒業までのあと一年だ。マイクを供につけるならば少しくらい王都で羽を伸ばしていい」
「……一年後、国外追放ってことでしょうか?」
止まりかけた涙がブワッと集まる!
「ちがーう!一年後、この賢い頭のてっぺんからかわいいつま先まで私のものにすると言うことだ!ピア、私の気持ちを散々疑ったこと、絶対に後悔するからね」
私の頰を撫でていたルーファス様の手が顎にかかり、ルーファス様が頭を下げて……私は初めて口づけられた。
初めてなのに、ディープな奴で……腕でガッチリ頭と体を固定されて、嫌いな相手には絶対できない感じで……私は驚きのあまり泣き止んだ。
唇が数ミリだけ離れ、目尻の涙を吸い取られ、瞳を覗きこまれる。
「煽るピアが悪い。私が必死に我慢しているのに。これで少しは私の気持ちが伝わっただろう?どうせあと一年で結婚だ。このくらい問題ないな」
「な……な……」
ルーファス様が壮絶な色気を放ちながら、私の唇をもう一度舌で舐め上げた。
「甘いね。ピアは」




