第五話
「ピア、歩ける?」
私は慌てて頷いた。王宮でおんぶでもされたら、末代までの恥。
ゆっくりと二人で場を離れる。チラッと振りかえると、王太子たちは次の参列者と懇談していた。私は俯いて、ルーファス様の導きのまま歩いた。
そっと美しい庭を望むテラスの椅子に座らされた。
「ピア、水を持ってくるよ。ここを動かないで」
「ごめんなさい。ルーファス様」
ルーファス様が心配そうに指先で私の頰に触れ、
「こんなに青くなって……待っててね」
ルーファス様は早足で室内に戻る。それを見送っていると、次々とルーファス様はお知り合いに足止めされて、なかなか先に進めない。ドンドン仏頂面になっていく。
「あらら……ふふ」
私は小さく笑った。ゲームの中でもルーファス様は常に表情を変えない冷徹な男という設定だった。
やっぱり足を引っ張ってしまった。ルーファス様、ごめんなさい。
私たちはずっとこのまま、仲の良いままでいられるのだろうか?
私は幾何学模様に刈り込まれた庭木に視線を移し、小さなため息をついた。
結局のところ、記憶を取り戻したあの日から、何も状況に変化はないのだ。
キャロラインが現れて、ゲームの世界が動き出し、メインルートである王太子殿下のアメリア様への婚約破棄のあるなしを経験しなければ、私はずっと情緒不安定なままだ。
ルーファス様ルートのことなど……考えたくない。
でもせめてキャロラインを虐めたなどという噂が立たぬように、今まで以上に引きこもるか、それともいっそ海外へ留学にでも行かせてもらおうか……一応他国の言葉も日常会話レベルは侯爵夫人に叩き込まれたことだし。
ダメだ、そもそもパルメザン家にそんなコネもお金もない。何か実績でもなければ……。
手首を覆うレースの中の隠しポケットから、お守りがわりの小さな二枚貝の化石を取り出して、眺める。
「どこの国であっても、必ず化石はあるわ」
……ルーファス様はこの国にしかいないけれど。
「やあ可愛いお嬢さん、こんなところで……おや?顔色が悪いね」
突然頭の上で男の声がしたので、驚いて顔を上げる。そこには父より少し年配の、白シャツとカーキ色のパンツのみという王宮においてありえないラフな格好をした男性が立っていた。
誰だろう?今日は父親同伴で来た参加者はいない。参加者の侍従?王宮の使用人?それにしては……侯爵様に通じる何か言葉にできない威厳のようなものを感じる。
「人に酔って休憩していた?ん?その胸の石は……〈妖精の涙〉じゃないか⁉︎ そうか、君がスタン侯爵家が厳重に囲い込んでいる、知のパルメザンの令嬢か!幼き頃何度か遠目に見たことがあると思ったが……なるほど、伯爵譲りの灰色の瞳だ」
えっと……胸が〈雀の涙〉?パルメザンチーズ?早口すぎて聞き逃してしまった。
何か逆らえないオーラを持った方だ。
「はじめまして。ピア・パルメザンと申します」
私が立ち上がろうとすると、手で制止された。私は逆らわず座りなおす。
「ピアと呼んでいいかい?私は……ジョニーおじさんとでも呼んでくれ。そうか、既に家宝を身につけさせるほどか……スタン一派を敵に回すと厄介だから、ピアのことはそっとしておくように私の方からも手をまわそう。ん?それは何かな?」
どうやらスタン侯爵家とお付き合いのある方のようだ。それはそうと私の手元の厚歯二枚貝に気がつくとは、お目が高い!ちょっと嬉しい。
「あのっ、古代の二枚貝の化石です」
「化石?見せてくれる?」
「どうぞ」
差し出された手のひらにそっと乗せる。
「これはただの石の模様ではないの?」
「え〜、だいたい一億五千万年前の貝が、時代を超えて石になったものです。私はこのような化石の研究が趣味の物好きなのです」
「そう、ロマンチックだね。太古の時間との遭遇だ。……いや、ちょっと待て、この模様どこかで……これは先日視察した、次世代エネルギーと目されている石油貯蓄岩の模様そのもの……ピア、これをどこで見つけた!」
ジョニーおじさんが急に前のめりになった?偉そうな大人が私の化石に関心を持ってくれるのは嬉しいけれど、ちょ、ちょっと怖い!思わずのけぞる。それにスタン領の地形を話すわけにはいかない。
「わ、忘れました」
「おお!口固いな!さすがあの気難しい宰相が認めただけある。いかん!ルーファスが鬼のような顔で戻ってきた!ピア、また会おうぞ!研究頑張りなさい!陰ながら助力するぞ!」
ジョニーおじさんの視線を追うと確かにルーファス様がグラスを片手に早歩きで戻ってきていた。
「ピア、ここに他に誰がいたの?不埒なマネされなかった?」
「ルーファス様、あのこちら…、あれ?」
ジョニーおじさんは消えていた。忍者のようだ。
「中年の男性で、この場に普段着で出入り出来て、王宮の隠し通路を使えるジョニーおじ様だと?まさか……父上に釘を刺しておいてもらうか……ピア、これを飲んだら帰ろう。必要な挨拶は済ませてきた。具合はどう?」
突然現れたジョニーおじさんと話したせいで、いつの間にか気持ちが切り替わっていた。
私はコップを受け取り、ゆっくりと冷たい水を飲んだ。
「お見苦しい姿を晒しました。もう大丈夫です」
「サラは馬車の準備で先に向かった。では、よいしょ!」
ルーファス様は座る私の膝裏と背中に腕を回し、私を抱き上げた。
「る、ルーファス様!歩けます!」
「恥ずかしいの?大丈夫。庭を通って帰るから人の目にはつかないよ。こうしないと私が心配なんだ。さっきは倒れるかと思った。大人しくしてなさい」
ルーファス様は私の顔を胸に押し当て、後頭部をサラリと撫でたあと、安定した足取りで、テラスの階段をおり、庭に出た。
「ピアのカワイイ顔を晒す気など毛頭ないが、我々が付け入る隙などない仲だと、周知しておかねばな……全くやいやいと煩わしい」
冷静沈着で既に次期宰相ほぼ決定と言われているルーファス様が、婚約者をお姫様抱っこで退場……というセンセーショナルなニュースは王都中を駆け巡ったらしいが、私の耳に入ることはなかった。
◇◇◇
ルーファス様の領地で五度目の夏を過ごす。私もルーファス様も少しずつ大人になった。
ルーファス様と一緒にいる時間が長くなればなるほどわかる。
ルーファス様は努力の人だった。人の三倍は勉強し、体を鍛え、ご両親の手足となってさりげなく動きまわり、人の十倍あれこれ画策?している人。
私をそっと守り、領地まで連れてきてくれて、採掘という貴族の令嬢の常識から遠く外れた生きがいを、バカにせず自由にさせてくれるルーファス様。
やっぱり……好きになってしまった。
ゲームではヒロインにだけ見せていた笑顔を、家族の一員に入れてくれた私にも見せてくれる。笑顔だけじゃない。ムスッとした顔も、驚いた顔も、疲れた顔も、屋敷のなかだけの表情を私にも許してくれる。ゲームの登場人物ではない、生身のルーファス様。
意地悪なことも言うけれど、本当は家族想いで、領民の生活向上を常に念頭に置いている、思いやりあふれるルーファス様。
ルーファス様が残念ながらゲームのルートに乗っても、その結果私が国外追放の憂き目にあっても、お金と化石さえあれば生きていけると思っていた。
そう思っていた自分は子供だった。
前世の彼氏もどきなんて目じゃないほど、好きだ。ルーファス様に捨てられたら、前回以上にぼろぼろになるだろうな……
「ピア、どうした?手が止まってるぞ?その論文、入学前にアカデミーに提出したほうがいい」
私はこれまでの採掘収集結果をルーファス様のアドバイスで文章にまとめている。実績があると、アカデミーで優遇が受けられるらしい。もちろん採掘の具体的な場所は書いていない。レジェン川で砂金が見つかったのも秘密だ。
「すいません。ボーッとしてしまいました」
年を重ねるごとに、何故か前世の記憶は鮮明になる。ゲームの年齢と、前世の享年に近づいているからだろうか。思い出しては、長いことキリもなく考えこむ。
どうするべきか、どうするべきか、どうするべきか……。
「ピア、口を開けて?」
私の口にチョコレートが飛び込んだ。
「甘い……」
「『糖分は脳を活性化する』んだろう?」
「はい」
ルーファス様は、たまに、とてつもなく甘い。
アメリア侯爵令嬢の名前がアマリアと混在していました。
申し訳ありません。
それ以外の誤字訂正報告も、ありがとうございます。




