【6巻発売記念SS】奥さんには内緒の話(後)
「ルーファス様、も、申し訳ありませんでした」
地下室で椅子に座ったまま縛られた、埃かぶった男女二人。そのうち年嵩の、贅肉のついた男が声を上げた。
その男がオークス伯爵。横の若い女は顔が似ているところを見ると、娘のようだ。
私がマイクが用意した椅子に腰掛けると、トーマがいきなり伯爵を椅子ごと引き倒し、顔を地面に足で踏みつけた。
女がきゃあと悲鳴を上げる。
「私は主である宰相閣下から、スタンの名を持つものに危害を与えた相手は、誰であれ殺せと言いつかっておりましてね。伯爵、自分が何をしようとしたのかわかっていらっしゃいますか? 次期スタン侯爵夫人殺人未遂ですよ? 世間一般で言っても犯罪行為であり、スタン侯爵家へのはっきりとした反逆です」
トーマは穏やかな口調でそう言いながら、目はギラギラと光らせる。伯爵相手にここまでできるのは、まあ使用人でもトーマだけだろう。そこには父への絶対の信頼と忠誠がある。
いつになく感情的に見えるのは、孫と言って可愛がるピアの命を狙ったからか。
伯爵は、しがない平民執事? に暴力をふるわれ内心怒りに震えているだろうが、目の前の私が黙認している以上何も言えない。
「……申し訳……ありません……」
伯爵は震えながら、視線だけ私にすがるようにあげ、そう繰り返す。
「オークス……こうなることもわからず、なぜうちの派閥にいる?」
トーマの行動もそれを指示する父も含め、スタン侯爵家は甘くない。派閥に入るには覚悟がいる。それを理解して傘下に下ったものを、スタンは全力で守る。
「甘やかしすぎたのかな? 組織ごと緩んでるのか、単純に貴様だけがスタンを侮ってくれたのか?」
「…………」
「バカはいらん。そして妻を殺そうとした人間を、なぜ私が許すと思う?」
「…………」
「許すわけがない」
伯爵が、喉の奥から、おかしな喘ぎ声を漏らした。
視線を横にずらせば、女が床に転がる父親を見てガクガクと怯えている。確かにオークス伯爵令嬢と、データとして見覚えのある顔だった。じっと見つめる私に、何か話さないといけないと思ったのか? 上擦った声を上げた。
「わ、私は、父が、やがてあなた様に嫁ぐのだと……」
「つまり、現在の妻を消して?」
「そんなこと、思ったこともありません! ただ、何らかの理由であなた様が独り身になられるのだと……」
「何らかの理由? 私が妻一人守れず見殺しにするような男と? それとも離婚前提に好きでもない女と結婚するような、自分の意思も通せない力のない男だってこと? どちらにしろみくびられたものだね。いずれにせよ、君は私の妻を追い出して、後釜に入る気満々だったということだ。成人していながら『父の意向を知らなかった』では済まされない」
「ヒィッ」
女は、我々の冷ややかな視線に耐えられなかったのか、フッと白眼をむいて気絶してしまった。
その様子を見ていた伯爵は呆然とした。
「なぜ……うちの娘はキース伯爵令嬢に次いで美しいと評判ですのに……会いさえすれば気に入られると……」
まだ言うか?
「なぜも何も、愛する妻がいるのに他の女に気持ちが行くはずがない。オークスは父とアカデミーで同学年だった縁でスタンの傘下に下ったと聞いている。学生時代、スタンである父の母に対する態度を見ていたはずだよね?」
父はアカデミーで母と出会った。それから母を手に入れるまでの怒涛の攻勢と、他の男への牽制は凄まじかったらしい……それを真横で見ていた陛下によれば。
「そ、それは、す、素晴らしい溺愛ぶりでしたが……あなた様の場合、娘からアカデミーで婚約者と親しくしている姿を見たことなどないと聞き、だからこそ、『スタンの寵愛』はそこにないのだと……」
アカデミー在学時を思い出す。一年の頃はピアと同じ講義に出ることもあったが、二年からは私に公務が入ったこともあって、もっぱら研究室で会っていた。一学年下というこの女は、私とピアが並んでいる姿を見かけなかったのか。
「オークスも聞いているだろう。あの当時毒物を使う女がいたのだ。最愛の女を危険に晒すような衆目を集める場に連れて行くわけがない」
伯爵の顔が、青を通り越して白くなった。
「大事にされるゆえ、隠してらしたと……」
「ようやく理解できたか?」
母とピアは違う。当然愛し方も囲い方も違う。
私が立ち上がると、トーマは場所を空けた。片膝をつき人差し指を伯爵の顎に当て、顔を無理矢理上げさせた。
「お前はスタン侯爵家、唯一無二の宝に手を出したんだ。覚悟しておけ」
そう言って手を離せば、伯爵は力なく床に沈んだ。
父は法で裁くのか? スタンとの盟約を破った裏切り者として裁くのか? オークス伯爵領は次に誰をあてがうか? 最近功績を上げた者は……そうそう、陛下には、しばらく苦労してもらうことにしよう……などと考えつつ、深々と頭を下げるトーマにあとは任せて外に出た。
◇◇◇
階段を上り自室の前に行くと、サラが待ち構えていた。
「サラ、どうかした?」
「ルーファス様、お嬢様はまたうなされてらっしゃいます」
「そうか。ありがとう。おやすみサラ」
部屋に入ると、ピアが眉間にシワをよせ、苦しげに頭を振っていた。最近なかったのに……。
ベッドに入り、しっかり抱き寄せ、背中をゆっくりさする。
「ピア、どうしたの? 大丈夫だ。大丈夫だよ」
「……どうして? なぜ私をこんな目に……私、何か気に触ることした? ……そんなに欲しかったの? ああっ! 助けて! 死にたくないっ!……」
目を固く閉じたまま、途切れ途切れに発する言葉に瞠目する。
まさか……自分が殺されそうになったことに勘づいていた? それとも一連の予言を繰り返し見ているのか?
「ピア、ピアは何一つ非はない。100%、相手のくだらない悪意だよ。ピアは賢いから知ってるだろう? 私がどれだけ深く愛しているか。私を信じて」
ピアの耳元で慰めながら、ハラハラと流す涙を親指でぬぐう。
「ピア、キスしようか? ピアは一人ではない。私がピアのものだとわかるように」
眠るピアにキスをする。最初はなだめるように。次第に悪夢をピアごと私の取り込むように、深く。
「ん……」
息苦しくなったピアが涙に濡れた薄灰の瞳をゆっくり開けた。
「泣いてたから、キスしてた」
敢えてイタズラが見つかった風にそう言えば、ピアが驚きながらゆっくりと自分の目元に触れ、涙に気づく。
「私また……ごめんなさい……」
顔を歪めるピア。そっと涙に口付けると、ピアは目を閉じて受け入れる。
「夢、まだ怖い?」
「……ううん。ルーファス様がいるもの」
枕元のタオルでピアの額の汗を押さえ、青ざめた顔に何度もキスを落とす。
「こうしてキスしてたら、余計なこと、考えられないだろ?」
「……はい」
恥ずかしげに、でも夢を引きずりどこか無理して笑顔を作るピアの両頬を、両手で包む。
「溺れるといい」
親指でピアの唇をなぞれば、ピアは小さな吐息を漏らし目を伏せる。そんな愛らしくも艶やかな仕草にたまらない気持ちになり、もう一度、顔を傾け起きてるピアの唇に、深いキスをする。
溺れているのは私。
「ピア」
「は……い……」
「食べてしまいたい」
「あ……」
◇◇◇
昨夜、余計なことを考えられない状態にして熟睡させた妻を、朝日の降りそそぐなか、横寝で頬杖して見つめる。
「……調査中の崖崩れが人災であったこと、ピアの見立てはずれではなかったことをどう説明しようか? それも心労の原因だろうし」
ピアの乱れた前髪を整え、愛してやまない繊細な面立ちに向け、呟く。
「崖上に熊でも現れて暴れたことにするか。そしてそのせいで領主も怪我して代替わり、と」
「ううん……?」
ピアがあいづちのような寝言を言うので、つい返事をする。
「ん? やっぱり熊は雑かな?」
二人で迎える、なんてことはないいつもの朝。それを、
「こんなふうに幸せを感じるのは、ピアだからこそ、だよ」
かわいい鼻先にキスをする。
「……奪われてたまるか」
弱気MAX、皆様のご愛顧のおかげで6巻までたどり着きました。
本当にありがとうございます。
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