【3巻発売記念SS】研究室の午後(前)
本日より三日間、番外編です。
舞台は小説三巻に合わせて、ようやく結婚した(超清い結婚!)?、新婚時代になってます。
お付き合いください。
アカデミーの研究室で、スタン侯爵家(とおまけのロックウェル伯爵家)が立ち上げた地質調査ギルドから回ってきた地図を精査していた。なぜか今回はいつもよりも量が多くて、ルーファス様が手伝ってもらえとサラを助っ人に出してくれたので、今日はマイク含めて三人で出勤だった。
サラは小さい頃から私の図面を見慣れているので、少しの指示でスイスイと仕事を進めてくれる。頼もしい。
そんな作業中、コンコンとノックの音が響いた。
この部屋は自前のイエローやレッドのカードキーを持ち、勝手に入室する人(ルーファス様、学長、ジョニーおじさん、父と兄)と、事前に連絡してくれる人(エリン、ヘンリー様、同じフロアの博士の先輩達)、しか通常やってこない。
思い当たる相手はいない。私が首を傾げていると、マイクが警戒しながら応対に出た。
入り口では何やら話し込んでいるけれど、マイクに任せれば問題ない。再び視線を図面に戻して、ペンを片手に読み耽っていると、ちょっとイラついた顔をしてマイクが戻ってきた。
「あれ? どうしたの? ひょっとしてなんかの押し売り? 新興宗教の勧誘?」
「そんな怪しい輩がピア様の研究室にたどり着けるわけがないでしょう? ピア様、ガイ・ニコルソン侯爵実弟が面会を求められてます」
「え? ガイ先生が?」
〈マジキャロ〉の攻略対象だったガイ先生は、体調も順調に回復して最近は教壇にも立たれていると聞く。私は先日の武術大会で挨拶させていただいた。と言っても、ルーファス様とお話しされてるのを、横で頷いていただけだけだけれど……。
「何かしら? ルーファス様への伝言かなあ? お通ししてくれる?」
「まあ……しょうがないでしょうね……よりによってサラが一緒の時に……。ピア様、そしてサラ、絶対に私をこの場から外してはなりませんよ?」
「「はーい?」」
私とサラは顔を見合わせつつ、心配症のマイクに返事をした。
「こんにちは、スタン博士……呼びかたが硬いね。ごめん、私も学長たちと同様にピア博士って呼んでいいかな?」
「先生、若輩者の私など、いかようにでもお呼びください。そして私も、ルーファス様のようにガイ先生とお呼びしてもよろしいですか?」
ガイ先生はニコルソン侯爵実弟。このお方を、ファーストネームのガイ先生と呼ぶのは、王族、公爵侯爵等高位貴族の皆様か、学長のように教師としてうんと先輩か、彼の授業を受けていた学生に限られる。
私は在学中、ガイ先生の授業は受けていなかった。攻略対象者だったからだ。ガイ先生の授業には当然ヒロインキャロラインがいた。
「もちろん。どうぞよろしくね」
そう言って、ガイ先生はふわっと目尻を下げて微笑んだ。やはり、〈マジキャロ〉スチルどおり、とんでもないイケメンだった。
とりあえずサラにお茶の準備を頼む。お茶器は私がエリンと出かけた時に、気に入って買ったお手頃価格のものだけれど、茶葉はスタン侯爵家の仕入れたものだ。四侯爵家のガイ先生にお出ししても、きっと大丈夫なはず。そしてお茶菓子はパティスリー・フジのたまごボーロがあったからあれで。
「ガイ先生、どうぞ。お口に合えばよろしいのですが」
サラがごちゃごちゃした研究室に似合わぬ、美しい所作でソファーに対面で座る私とガイ先生の前にお茶を出してくれた。ガイ先生はそれを注意深く眺めていた。
私はずっと水分をとっていなくて、喉がカラカラだったので、ガイ先生がカップを手にしたのを見届けて、私もごくんと飲んだ。サラの淹れてくれたお茶は、やはり美味しい。
ふう〜と幸せな吐息を吐いて思わず笑みを浮かべていると、ガイ先生が私をじっと凝視していることに気がついた。
「先生?」
「ああ、ありがとう、うん、美味しい……」
ガイ先生もお茶を口にして、淹れてくれたサラにニッコリ笑った。
「私が、毒の心配をしないで済むように、目の前で淹れて、先に飲んでくれたのだろう? さすがスタン侯爵家の奥方だ」
「「「は?」」」
思わずマイクとサラと共に目が点になった。ながーいお付き合いの付き人二人は、私がすかさずそんな気の利いたことをできる人間ではないと知っている……。
とはいえ、私の言動が、毒の不安を払拭させたのであればよかった。結果オーライだ。当然のことながら、食にトラウマを抱えているのだろう。クッキーではないけれど、お茶菓子を無理に勧めるのはやめようと思った。
「で、ガイ先生、本日の御用向きは?」
「うん。体力が戻らない間に、家で何本か論文を書き上げてね。先日ようやく博士と認められたんだ。で、同じフロアの403号室を使わせてもらえるようになったんだよ」
「わあ! ガイ先生、おめでとうございます!!」
過去も現在も算術の専門家ではないが、学問としての算術……数学に関しては、この世界と地球のレベルはほぼ同じように思える。既に調べ尽くされた分野で、目新しい法則? を発見し、評価されるまでに追究することの大変さは、想像もつかない。
「いや……算術で博士号はすごいです。私の数倍のご苦労があったかと……そもそも天才ガゼッタ夫妻が頂点に君臨してますしね……あの完璧夫婦を面接で納得させられたってことですよね……すごいわ……ガイ先生お疲れ様でした……」
ガゼッタ夫妻とは、学長、建築学のグリー教授に次ぐ、我が国の学術部門序列三、四番目のご夫婦だ。
ガイ先生はそっとカップをソーサーに戻した。
「……素直にありがとうと、君の賛辞を受け取っておくよ。本当に苦労したからね……やはり自分の苦労を、体験した人に共感してもらえるというのは嬉しいものだね。家族は全くこの意味を理解してくれないんだ」
そう言って、ガイ先生は苦笑した。
侯爵家に生まれて、学問の道に進むことは珍しいことなのかもしれない。
私の今世での博士号は、ルーファス様に促されて書いた論文であれよあれよと……という流れの、ほぼ棚ぼただ。
さりながら、前世では日本中を走り回り材料をかき集め、寝ずに資料を作り発表して、それでも教授にダメ出しされ……同世代の女性が最も輝き、楽しそうにしている時間を全て注ぎ込んだのに、結局その高みに手が届かなかった。
私は最近はあまり思い出さなくなった前世を顧みながら、何度も頷いた。ああ、ガイ先生は前世の私と同世代かもしれない、と思うとなんだか懐かしくもあり、小さく微笑んだ。
「ピア様!」
マイクの強めの声がけにハッとして、意識を戻すと、ガイ先生が、目を見開いて私をまじまじと見つめていた。うーん、なんの話だったっけ?
「えーと、ガイ先生、そういう理解者であれば、この研究棟にはいっぱいおります! どの先生方も簡単に成果の出ない、報われぬ苦しみを味わっていて、私もよくぼやいて、慰めていただきます。これからは、その手の孤独を味わうことはないと思いますよ」
「君は……年齢よりもずっと大人びたことを言うんだね……それでいて君の言葉はまっすぐで含むところがなく、胸に沁みる……君の周りに気難しくかったり、めったに社交界に顔を出さない珍しい人々が集まる理由がわかった気がするよ」
大人びた?……ドキっとする。前世持ち……「予言者」であることが、ばれていないといいけれど。
「まるで……死んだ祖母と久しぶりに会っているようだ」
「「「え?」」」
いや、祖母って……前世の享年と足しても、おばあちゃんの年齢にはならんけど?
「祖母扱いならば……報告しないでいいよな……」
「ええ、問題ないかと」
マイクとサラがボソボソと確認し合っている。ちょっぴり聴こえてますからね!
ガイ先生のおばあ様は一族で唯一学術肌で、ガイ先生の理解者だったそうだ。おばあ様ポジションを私に求めるのはさすがに荷が重いです……。




