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【2巻発売記念SS①】心残り

ピアとルーファス、アカデミー在学中の話です。

 久しぶりに風邪をひいた。二日前、思った以上に気温が下がり、研究室が冷え込んだけれど、どうしてもキリのいいところまで終わらせたくて我慢したのが悪かったようだ。


 最近は元気になったつもりだったけれど、ひとたび風邪をひくと一気に熱が上がり、ベッドから出られなくなった。やはり幼いころ病がちだったせいで、基礎体力がないのだろう。


 私はアカデミーを卒業しているので、基本は出欠は取られない。しかし、ペアで行う実習などもあったので、一応欠席届を出してもらっておく。


「ふむ、ピア様、流感だねえ。流行っておりますからな。ゆっくり休む以外ない。水分を取って睡眠をとること」


 瞳や喉などをあれこれ診察した、スタン侯爵家お抱え医療師のおじいちゃん、クリス先生がそうおっしゃった。


「クリス先生、わざわざすいません」

 ルーファス様が差し向けてくださったのだ。


「ピア様、このような流感やただの風邪が案外怖いんだよ。ルーファス様の心配は最もだ。では、いい子だから薬をキチンと飲むんだよ? 少し睡眠剤も入れておいたからね」


「クリス先生ありがとう、スタン家に心配いらない、でもお見舞いはご遠慮くださいとお伝えください」

 国の重鎮であるスタン侯爵家に、病気を持ち込むなどあってはならない。


「うんうん。では体調が変わったらすぐに呼ぶんだよ?」


 先生を見送ったサラが戻ってきて、私に薬と水を手渡した。

「サラ、ありがとう。何かあればベルを鳴らすから、下がっていいよ」


 サラに遷って寝込んだら、ロックウェル家は回らない。それに使用人の立場では具合が悪くなっても言い出しにくいだろう。


「でも、ピア様……」

「大丈夫よ。ほら、もうお薬のせいで眠くなってきた。こっそり研究もいたずらもできないって」

 正直なところしんどくて、それどころではない。

「わかりました。では時々顔を出してお声をかけますね」

 サラはそう言うと、枕元に呼び鈴を移して静かに出ていった。


 私はホッとして、目を瞑った。

 薬のせいか、高熱のせいか、浅い眠りが押し寄せる……。




 ◇◇◇




 …… …… ……




 目の前で彼氏が、見知らぬ華やかな女性の頰にキスを落とした。

『こいつが本命だから。お前の論文助かったわ。あれを手土産にしたから原山大の助教のポスト、ほぼ決定。嬉しいだろ? 俺の役に立てて?』


 私は逃げるように走って階段を降りて、原チャリに跨った。無我夢中で走り、この状態の運転はまずいと気がつき、目についたコンビニに入った。

 コーヒーでも飲んで……気持ちを鎮めようと。


 自動ドアが開いて、悲鳴が聞こえるまで、俯いたままだったから、気がつかなかった。


 目の前に制服姿の女の子が血を流し倒れていた。手の中のスマホが光っている。通報しようとした?

 顔を上げると、黒い帽子を目深に被った返り血を浴びた男が、レジの優しげな顔のバイトのお兄さんに包丁を突きつけて、「金を出せ!」と怒鳴っている。


 私が悲鳴を上げると、男の注意が私に向き、包丁を振り上げて迫ってきた。その後ろから、慌ててバイトのお兄さんが、止めようと手を伸ばし、邪魔するなとばかり犯人が振り向いて彼に包丁を振り下ろした。

 そして今度こそ私に狙いを定めて……


 ああ……。何故今、思い出すの……。

 これって、私、また死ぬってこと?


 もはや違う世界の出来事のはずなのに、腹部に焼けるような痛みが走り、意識が暗闇に落ちていく……。




 ◇◇◇



 …… …… ……



 意識が浮上すると、私はふわふわと幽霊のように天井スレスレのところで浮いていた。

 見たことのない部屋だけれど……この無機質で真四角な部屋は前世の日本仕様だ。ふと窓の外を見ると、大きな欅が見える。あれはうちの大学のシンボル……つまりここは研究室の一角の部屋らしい。


 真下には、元カレが着なれぬスーツ姿でパイプ椅子に座っていた。

 彼と向かい合うように、狭山教授と、二ノ宮部長と、私の指導教官だったちょっとイジワルで黒髪ボブがトレードマークの荒井教授、そして真ん中にいるのは……学長だ。


 これは……博士課程の面接に違いない。それも学長もいるとなると最終だ。


 彼の指導教官はヒゲの狭山先生だ。何故荒井センセもいるんだろう。真っ赤なセーター、黒いスーツにハイヒールは荒井センセの勝負服だ。発掘のときの全身ワーク◯ンの格好とは大違い。


 元カレが、私の研究成果をパワポに落とし込んだものをスクリーンに写しながら、滑らかにしゃべり続ける。

 私が一ヶ月間、東北でテント生活しながら採取したデータが、こうも簡単に結果だけ……。なんて呆気ないのだろう。彼はこれで博士になっちゃうのだ。

 まあ……もうこっちで頑張って博士になったから……いいけど……良くないけど……いいけど……。


 元カレは、『以上です』とプレゼンを終えた。


 速攻で荒井センセが手を挙げた。


『あのねえ。あなた、中間発表の段階ではこの研究テーマじゃなかったわよね? なんで私の研究室でもないのに、この分野、狙ってきたわけ?』


『狭山先生には悪いのですが、研究を進めるうちにどんどん自分のやりたいことはコレじゃない感がしまして……自分の思いに忠実になってみたら、荒井先生寄りになってしまいました。すいません』


 元カレは外面よく、自分の担当教官である狭山先生にニコッと微笑みかけた。


『ふーん……。よくできた研究だわ。ねえ。この実地に似た場所って、国内だと他にどこが思い当たる?』


『はい。地層と、これまで発掘された埋蔵物から見て、N県のY地域と、S県のD地域ならば同じような結果が出て、私も研究が裏付けられると思います』


 荒井先生が右の眉をピクリとあげて、他の先生方に目配せした。


『大変結構な発表だった。退出していい』

 狭山先生が終了の合図をした。



 …… …… ……




 急に場面が、私が毎日怒られていた荒井センセの部屋に切り替わった。


 元カレが恐ろしい顔で荒井センセに迫っている。

『なんで……なんで俺、博士号ダメだったんですか! 納得行きません!』


 え? ダメだったの? 私の渾身の研究だったのに? それはそれでかなりショックだ。


 荒井先生は黒い革張りの私物チェアーにゆったりと座り、足を組んだ。今日のハイヒールは10センチだ。


『なんでって、あんたがバカだからよ』


 元カレが真っ赤になる!

『あの研究は完璧だった! 寝る間も惜しんで取り組んだんだぞ! 現に原山大では認めてもらってる!』

『じゃあ原山大で博士号取ればいいじゃない』

『冗談じゃない! 俺の時間と手間を返せ! 泥棒!』


『それ、あんたが言うの?』

『な……』


 荒井センセは優雅に両肘を机について、組んだ手に顎を乗せた。


『ふふ。私の研究室の教え子たちにはねえ。たまに抜き打ちテストするのよ。ネットやどっかから引っ張ってきたデータを鵜呑みにしていないか? そのデータに信憑性があるかどうか見極められる目を持ってるか、チェックするの。ちょっとしたイタズラね』


『俺は、荒井先生の研究室じゃないから、関係ない!』

『そうね。でも、あんたが信頼して、メタセコイヤが出る可能性大って言ったS県のデータ、私が作った嘘っぱちなんだ〜』


 荒井センセは恐ろしいくらい、艶やかに笑った。


『……は?』


『そして、私があの捏造データで抜き打ちテストしようと、『役に立つわよ?』と一言つけたデータをメールで送付して回答を待ってたのは、うちのユウちゃんだけ。それもあの事件の夜。事件があったなんて知らないで……』



 ああ……本当に荒井センセはイジワルだ……。またそんな仕込みを……。


『……』


『つまり、あんたは捏造を見抜く実力もなく、死んだ同級生の研究を未開封のメールの中のデータまで根こそぎ盗んだ盗作野郎なのよ!! そもそも、ユウが自分の研究状況を私に報告してないとでも思ったの? あのクソマジメで弱気MAXなユウだよ? 毎週毎週しつこいくらい、データ持ってきて相談されてたわ! ひねりもないくらいユウが作ったまま出しやがって! ちっとはオリジナル入れてみろや!』


『……』

 元カレの顔色はどんどん青白くなっていった。


『今の時点では、研究論文は付随するもの全てあんたの名前になってる。でも私の手持ちのユウの生前の提出物で、院に審査請求しといたから。正々堂々と戦いましょう?』


 博士号がダメだったと言うことは、学長はじめ、少なくともうちの大学は荒井教授を支持するということ。

 この狭い、古生物学の学会で、彼が今後活躍できるとは思えない。


 元カレはワナワナと震えると、バタンとドアの音を立てて早足で出ていった。


 荒井センセがふぅ、と息を吐くと、カチャッと準備室のドアが開いた。真っ赤な目をした〈マジキャロ〉仲間の……親友だった。


『教授……ありがとうございます……』

『……タカコ! 泣いてる暇あったら、シャキシャキ働け!』

『っ! はいっ!』


 荒井センセはタカコの頭をポンポンと叩いて、PCに視線を戻した……。





 ◇◇◇





 頰に触れられた感触で、ゆっくりと目を開けると、エメラルドグリーンの瞳が目の前にあった。


「あれ……」

「ピア。ずっと泣いていたよ。どう辛いのか教えて?」


 ルーファス様が辛そうな顔で私を覗き込んでいる。頭を動かすと、部屋は薄暗く夜になっていた。布団からゆっくり手を出して、自分の目元に触れると、確かに濡れていた。


「ルーファス様……来ちゃダメだと言ったのに……」

「来て良かったよ。私のいないときにピアが泣いていると思うと耐えられない」


 私が身じろぐと、ルーファス様が背中を支えて起こしてくれた。

「具合は?」

「……体が少し軽くなったかも。足の痛みも楽になっています」


 クリス先生の薬が効いたようだ。


「じゃあ、どうして泣いた?」


 先ほどの記憶を思い返す。あれは、前世? それともこうあればいいという私の願望? わかる術はない。

 ただ、区切りにはなった……かもしれない。


「懐かしい……夢を見ました。最初悲しかったけど……もう大丈夫です」


「……予言?」


 本当にルーファス様は勘がいい。私は曖昧に笑った。

 すると、ルーファス様は眉間にシワを寄せたまま、私をそっと掻き抱いた。


「ダメですって、ひっついちゃ。遷っちゃいます!」

「ピア……私が守るから。予言からも、何者からも」


 またしても心配をかけてしまった。

「ルーファス様……ありがとう」


 私はそう言って微笑んでみせた。

 私はこの世界で、ルーファス様とともに、前を向いて生きていく。


「……さあ、ここについているから、おやすみ」


 ルーファス様は私に薬を飲ませると、再び体を寝かせて、手を握ってくれた。

 そこから温もりがじんわりと広がって、再び睡魔に襲われる。


 前髪を上げられて、額にフッと温かなキスを感じた。


 今度は何の夢も見なかった。






もうすでに、手に取っていらっしゃる方もいるようですが、

明日!「弱気MAX」二巻発売です!

と言うことで、本日より三日間、番外編になります。

楽しんでいただけますように。

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[一言] 【マンガ版、最終章突入記念 妄想劇場】  あれから《彼》は学会からブラックリスト入りになり、自主退学に追い込まれた。  彼女に捨てられ、実家からも縁を切られ、フリーターとして日銭を稼ぐ日々を…
[気になる点] 元カレ、裁判かな?
[良い点] 元彼の不正が正されて、スッキリしました♪ 持つべきものは、いい友達ですね。ピア生でもいつか親友ができたらいいですね。
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