【コミカライズ記念SS】はじめてのスタン領〜ルーファス
コミカライズの時間軸に合わせて、はじめてピアがスタン領を訪れる時のルーファス視点になります。
スタン領は、雄大なルスナン山脈を仰ぎ風光明媚、資源も多く、領民も真面目だ。
私にとって自慢の領地であり、先祖代々受け継いできたこの土地を当然守り、従えるつもりでいる。
しかし、女にとって、この土地はなんの魅力もない。
王都に遠く、一度領地に入ると、煌びやかな社交など全く縁遠くなる。
そして劇場などの娯楽もなく、宝石や化粧品を扱うこぎれいな商店もない。そんなものがあれば、他所からならずものが押し寄せる。隣国との緊張関係はどこまでも続く。
そして冬は雪が降り積り、身動き取れなくなる。
運良く父は、領地運営に力を振るうことに喜びを見出せる母を見つけた。母は軽やかに社交をこなしつつ、領地にも顔を出して、宰相職に時間を取られる父に代わってせっせとスタン領豊かにしている。
しかし母のような女は稀だ。そこまで自分の伴侶に求めるのは無理だろう、と物心ついたときから割り切っていた。
せめて、王都の屋敷で機嫌良く過ごし、侯爵家の女主人として最低限の社交をこなしてくれればそれでいいと。
◇◇◇
しかし私はピアに一瞬で恋に落ちてしまった。
こうなると話は違う。侯爵家の女主人らしい社交なんてしなくていい。そんなもの、私が力をつけさえすればどうにでもなる。領地経営も当面頼りになる総執事長トーマがいるし、今後若手を鍛え、使いこなせばいい。
そんなことよりも、ピアには常に一緒にいてほしい。私と考えを共有してほしい。そしてできれば私の血肉とも言える、スタン領を愛してほしい。
そうなれば善は急げだ。私は早速夏の避暑目的でピアを領地に招いた。ロックウェル伯爵夫妻は陰で随分渋ったが、北国のスタン領は王都の夏よりもずっと過ごしやすいこと、病み上がりのピアに、ミルクはじめ新鮮な食品を食べさせられることを説得したら、私に預けてくれた。
肝心のピアは一人で侯爵家に滞在!ということに怯えていたものの、田舎に行くことについては抵抗はなく……というか、どちらかというとワクワクしている。『化石』なるものを掘り起こしたいらしい。
「まだ幼く、王都での優雅な遊び? を覚える前に、こちらの生活を常識として刷り込んでしまっておくのも一つの手だよね……」
「ん? ルーファス様、何かおっしゃいましたか?」
スタン領への移動中、馬車の窓を全開にして、外を眺めていたピアが振り向いて聞いた。
「いや、独り言だよ」
「もうスタン領に入ったのですか?」
「うん、ようやくね、疲れた? 遠くてごめんね」
「いいえ全く。昨夜も快適な宿でしたもの。ルーファス様、あの、畑一面に咲いている薄紫の花はじゃがいもですか?」
「ん……ああ、そうだね。よく知ってるね」
「だって小学校の理科……コホン、父が改良しているのを見かけたことがあって。でもちょっと花の時期遅いような……涼しいからかな……あ、ルーファス様! 牛発見! ほわー黒毛だ!初めて見ました……あ! 牧場の匂いがしてきましたね! 懐かしい〜」
「……ピア、窓閉めようか」
「はーい」
牧場の糞尿の匂いなど、貴族の女性にとっては最も嫌なものだろうに、ピアのリアクションは薄い。
「ピア、臭くなかった?」
「え、臭かったですよ。でも堆肥やら作ってそうだし普通でしょ?」
「……うん。普通だよね……」
ピアはありのままの領地の営みを受け入れてくれる。拍子抜けするほどに。
◇◇◇
領地に着くと、一緒に食事をとったあとはサラに言いつけてさっさと寝かせた。長旅だったのだ。
「ピア様はお休みに?」
バルコニーで一人、一息いれていると、トーマがやってきた。
「うん。ここに来る前、しばらく体調を崩していてね。今回はピアの静養を兼ねている。食が細いから滋養のいいものを出してやってほしい」
「……ルーファス様、ずいぶんと入れ込んでいらっしゃいますな。珍しい」
「トーマ、どうせ父上から聞いているだろう? 私はピアに心底溺れている。もともと政略の相手だったのだから、全く問題ない。父上も母上も認めている。以上だ」
トーマは一瞬瞠目したあと、ゆるりと微笑んだ。
「そうですか。あのように可愛らしい少女をルーファス様が選ぶとは……少々意外でしたがじいは安心しました。成長するにつれて、ルーファス様には心の底から安らげる場所が必要になります。素直なピア様の横ならば、それが叶うでしょう」
「ピアといれば……ピアと一緒ならばどんな相手でも戦えるだろうね」
「戦うには……ピア様は優しすぎるようですな」
「戦うのは私一人だ。ピアに母と同じ役割など求めていない。だがトーマ、間違うな。ピアはお飾りの奥方になる女でもない。惚れた贔屓目無しで見て、最高の原石だ。ピアの望みは小さなことであれ出来るだけ叶えるように通達しろ。そして些細なことであれ私に報告だ」
と言いつつも、大それたことなど頼みそうもない。ピアは世の中の相場をキチンと理解している。
トーマが不思議そうな顔をしつつも頷いた。
「……やがてピアが私の弱点だと知れ渡る。そのときは頼むよ」
「お任せを」
トーマはスタン侯爵家の影を全て統べている。
「ところで……言いにくいのですが、ピア様とルーファス様、どうも熱量が……」
トーマが面白そうに目を光らせてそう言うので、私は思わず苦笑した。
「はあ。その通りだよ。ピアは私のことをまだ私ほどは愛してくれていない。まあ私も自分の気持ちの変化についていけないくらいだったからね。でも……逃す気はない。ゆっくり心も手に入れる」
「……ほどほどになさいませよ?ロックウェルは我々とは人種が違います」
「わかってる。大事で大事で仕方ないんだ。傷つけるマネなどしないさ。早く私の想いがただの政略ではないことに気がついてほしいものだ」
トーマは穏やかに笑った。
「ルーファス様、じいのアドバイスです。今、屋敷は夏の花盛り。花をピア様にプレゼントしてはいかがですか?」
「花?」
「花を喜ばぬ女性はいません。この屋敷の花を好きになってくれたら、この地をもっと好きになってくれるでしょう。庭師はじめ使用人一同喜ぶでしょうね」
「そうか……そうだね」
翌朝、一足先に起きて小さなピンクのバラを一輪ハサミで切って棘を取り、客間で起きたばかりのピアに渡した。
「おはようピア。これ、部屋に飾って?」
ピアは目を大きく見開いて、そっと受けとった。
「バラ……私に?……なんて可愛いの……」
何を思い出したのか、ピアの目に一瞬孤独の影が差し、みるみるうちに涙が溢れる。
「ぴ、ピア!どうした!?」
慌ててピアを抱き寄せて、小さな背をさする。この年にして冷静だと言われる私だが、最近は慌てっぱなしだ。
「お花なんて……初めて貰いました。綺麗……ありがとう、ルーファス様」
ピアは手の甲で慌てて涙を拭って、私の腕の中で可憐に笑った。
「……喜んでくれてよかった。今、摘んできたんだ」
「ルーファス様自ら?……選んでくれたの?……嬉しい……」
たった一輪の手元のバラを、夢見るように眺めて、花びらをそっと撫でキスをするピア。
「ずっと……枯れなければいいのに……」
胸が締め付けられる。
「……毎日届けるよ」
トーマ、お前の策は間違っていたぞ。ますます好きになったのは、私のほうだ。
◇◇◇
「化石の宝石箱や〜〜〜〜!」
到着して数日たち、ピアの疲れが取れたと判断して、ピアのやりたいようにさせてみる。
なんの変哲もない山肌に、ピアは叫びながら見たこともない全速力で走っていった。急いでダガーとブラッドに追わせて守らせる!
「ピア!ちゃんと周りを見て動け!」
「はっ!? すいません! ドンピシャの石炭紀……コホン、理想的な地層を前に、つい体が先に動いてしまいましたっ!」
「ふーん、ここにピアが言ってた、昔の動物の死骸がありそうなの?」
「死骸言わないでっ!ルーファス様、化石ですカ・セ・キ! 化石を見つけることで、新しい発見があるのです!温故知新と言いますでしょう?」
「オンコチシン?」
「あ、まあいいです。とにかく、スタン領最高です。ここにずっといたいですルーファス様ありがとうございます絶対世紀の大発見してスタン領を一大観光地にのし上げますからねっ!」
ピアが興奮して、息継ぎ無しで言い切った。
「……スタン領、好きか?」
「大好きです!ルーファス様や、お義父様、お義母様が愛している土地ですもの!」
「……何もないだろう?」
少し身構えて聞いてみる。するとピアは眉間にシワを寄せた。
「……ルーファス様? ひょっとして慣れ親しみすぎて、そこにあるものが見えなくなってますか? レジェン川では美味しいお魚が取れて、川から運ばれた肥沃な土で美味しい野菜が出来て、ミルクも美味しいし、化石もほぼ決定で、ほら、一帯にヤブムラサキ咲いてるからココ鉱脈っぽい。おまけに……ヤブムラサキだけでなく、かわいいお花がいっぱい咲くからルーファス様は……毎朝お花をくださるのでしょう? パラダイスです!」
「パラ?」
「あっ、奇跡の楽園です」
「奇跡の楽園……ここが? そうか……ああ、まいったな……」
こんなに自分の想像の斜め上をいく、私を振り回してくれる女に出会えるなんて……奇跡だ。
「ルーファス様、発掘始めてもいいですか?」
「いいよ。頑張れ! ダガー、ブラッド! ピアから離れるな!」
「はーい!」
「「ワン!!」」
ピアがスタン領に馴染むかという懸念は……杞憂に終わった。
最初の山歩き? だからとついてきていたトーマが、音もなく背後に忍び寄っていた。二人で山肌に向けトンカチを振るうピアを眺める。
「驚きました……なんと地に足がついた……あれが、知のロックウェルの価値観なのでしょうか? 伯爵の教育? それともピア様自らのお考え?」
「どうだろうな」
「川から運ばれた肥沃な……ポルム地域についてお話になったことが?」
「ないな」
「鉱脈……ピア様には何が見えているのでしょう……なんともはや……。しかしルーファス様が甘やかしたくなる気持ちがわかります。結局のところ、性根がひたすらお優しい。善良でいらっしゃる」
ピアは神託をその身に受けるだけでなく、豊かな知識と発想を身のうちに秘めていることが次第にわかってきた。
大人顔負けの思考力を持ちながらも、同時にポロリと花びらのように甘く切ない言葉をこぼし、ゆっくりゆっくり気付かぬうちに私の心を温める。全てのピアが愛おしい。
そして……そんな愛するピアは、不安で重苦しい予言を心の中に澱のように抱えて生きている。歯がゆい。
「……くれぐれもピアを型にはめるなよ。ピアには好きなことをして笑っていてほしい。心優しいピアを、煩わせるな」
「御意に」
「ピアは……この私が全力で守る」
そして……誰にも渡さない。予言の運命とやらの思い通りになどさせない。
「私の女だ」
おかげさまで、コミカライズです!(詳しくは活動報告で)
トーマさんはWebではチラッとですが、書籍ではガッツリ出てくるスタン家の使用人のトップ。
ルーファス父の相棒的存在です。じいと言ってますが、50代です。
コミカライズでピアの領地生活が始まったら、このSSを思い出してくださいね!




