【書籍化記念SS】お兄様とお買い物
ピアが記憶を取り戻して一年、11歳の初夏の話になります。
書籍版で何かと出番の多いラルフ兄ちゃんの話です。
この番外編からピア・パルメザン→ピア・ロックウェルに変更します。
(商標だとご指摘があったため)
トントン、とノックすると、目を擦りあくびをしながら、私と同じ薄灰色の目に黒髪を襟元でくしゃっと結んだ、ラルフ・ロックウェル伯爵令息が現れた。
「なんだ、ピアか。どーした?」
「お兄様、相談に乗ってください!」
「俺がピアの相談に乗れるわけないだろう?」
そう言いつつも、兄は自室に私を招き入れてくれた。
相変わらず兄の部屋はごちゃごちゃしている。
「ピア、配線絶対踏むなよ」
「わかってます」
私と同じく研究肌の兄の関心事は『音』だ。まだアカデミーの学生ながら、あれこれ一人で研究し、一定の評価を得ているらしい。いろんなコードが床を這い、訳の分からない兄作成の器具に繋がっている。
テーブルどころか椅子の上まで、書類かゴミかわからないものが積み重なっていたので、私は兄のベッドに腰掛けた。
「で、なんだ? 相談事って?」
「ルーファス様へのお誕生日プレゼント、何がいいと思いますか?」
「おい……なんで俺に聞くんだ?」
兄が片手を額に当てて目を閉じる。
「昨年は一生懸命刺繍したハンカチを渡したんですが、イニシャルも入れたのに、あんまり喜んでもらえなかったの。で、今年はどうしよう? と考えてたら、サラが同性のお兄様に相談したらって?」
「サラめ……俺に丸投げしやがったな? でもルーファス様がお前からのプレゼントを喜ばないとかありえんだろう、一体何の図案だったんだ?」
「アンモナイトの化石ですっ!張り切って三匹!」
「あのグルグルで黄土色の……そりゃ問題は図案だろ……」
兄が視線をどこかはるか彼方に移した。
「ちょっと! お兄様! アンモナイトのどこがダメだというのですかっ!」
「あー、もう、化石バカは面倒くさいなあ……。ハイハイ、化石は高尚すぎて、ハンカチの図案には向かないの! これで納得しろ!」
「えええ!? そうなんですか? 知らなかった……では一体何がいいでしょう?」
「ケーキでも焼いたら………って、ピアは三回オーブン爆発させて、料理長にキッチン出入り禁止にされてたんだっけ?」
「……はい」
私の数ある黒歴史の一つだ……。私は料理の腕が壊滅的だ。絶対、〈マジキャロ〉ヒロインを優位に立たせるための罠だと思っている。
「今、父上が作ってる麦畑用の肥料は?」
「それ、宰相閣下はとっても喜ばれるとは思いますが、私が全く喜べませんっ!」
「めんどくさい女だなあ」
「普通ですよっ!」
口を尖らせて怒っていると、テーブルの上に、兄の使い込んだ長財布があった。
「あら? お兄様、そのお財布見せてください」
「いいよ、ほら。自分の使いやすいように仕切りやポケット作ってもらったから、結構値が張ったなあ」
なんと、硬貨入れのポケットもある財布だった。小銭入れつきのお財布はこっちの世界で見たことがない。兄のイニシャルが焼印で入れてある。革も柔らかく手に馴染む。
「使い込んだ風合いが素敵です」
「俺も気に入ってる。でも、ルーファス様は財布なんか持たないだろう? 高位貴族の買い物は大概ツケ払いで、それ以外は従者が持つはずだ」
言われてみればそうだ。
「でも、だからこそ、まだ持ってないかもしれませんし、これから使うかもしれません。お兄様、このお店に連れて行ってください!」
「えー? 今からか? しょうがないか。ルーファス様にはこれから目一杯面倒かけることになるんだから。じゃあサラに言って、街歩きできる服に着替えてこい」
「はーい」
◇◇◇
兄と二人、木綿の着古した服を着て、家を出る。地味な黒髪兄妹はどこから見ても、ザ・庶民だ。
私は病弱なため、街歩きなどほとんどしたことはないけれど、兄は実験の素材集めにしょっちゅう下町の商店街に出向いているらしく、慣れた調子で手を上げて辻馬車を止めて乗る。うちの唯一の馬車は父が通勤で使っているのだ。
他の乗客数人に頭を下げて席を詰めてもらい座る。兄は腐っても伯爵令息なのだが、無駄なプライドは一つも持っていない。自分が快適に研究生活を送るためならば、どこへでも行くし、簡単に頭を下げる。貴族としてはどうかわからないけれど、私は好きだ。
「辻馬車って、こんなにガタガタ揺れるんですね」
「おまえ、スタン家の馬車と比べるなよ。これが普通だ」
デコボコ道でポンっと体が浮き上がるのを、兄にしがみついてごまかしながら、小声で話す。
「お兄様はアカデミーを卒業したら、お父様のように研究所勤務ですか?」
「別に選り好みはしない。好きな研究をさせてくれるならどこでも行くさ」
「どこでもって、一応次期伯爵でしょう?」
「伯爵だからって、王都にいなくても構わない。領地さえしっかりまとめていれば」
王都で受ける、舞踏会や社交という貴族らしい恩恵など、兄は全く興味ないようだ。そんな兄だから私にも貴族らしいことを強制しない(悪目立ちはやめろと言われているけれど)。
それは助かるけれど果たしてこんなんで、兄はお嫁さんを見つけられるのだろうか? そこがちょっと心配だ。
御者に二人分の運賃を支払い、馬車を降りた。
そこは商店街というよりも、工房街だった。独特の匂いが充満している。
初めての空間に緊張して、兄の手をギュッと握りついていく。
なぜか通りすがりに視線を感じる。
「お兄様、私たちじろじろ見られてますけど、格好が浮いてるのでしょうか?」
「ん? そうか? 見慣れない顔だからだろ。気にすんな。あ、油屋開いてるな。値段の割に質がいいんだ。母上が喜ぶ。帰りに寄ろう」
「お兄様はどこでそういう情報を仕入れるのですか?」
「最初はアカデミーだな。男子学生は案外、うちと同じく貧乏貴族なことを隠さない。お互い情報交換するんだよ。まあ女性には無理だろうな。そうして仕入れた情報をもとにそこに足を運んでまた新しい情報を仕入れるって感じだ」
「お兄様、研究のためならばマメですねえ」
アカデミー。そのような人脈もできるのであれば、有意義なところなのだろう。でも私にとってアカデミーは断罪の現場。将来入学することが今から憂鬱だ。
しばらく歩くと、煙突からもくもくと煙があがる、民家に到着した。
兄は軽快にトトトンとドアを叩くと、返事も待たずに扉を開けた。
「こんにちは〜」
「ん……ああ、ラルフか。久しぶりだな。いらっしゃい。今日は何が欲しいんだ。ん? なんだそのちっちゃい子は?」
ここの主らしい、大きなエプロンをした白髪まじりの中年男が立ち上がりながら言った。
「ああ、妹だ。今日はこれと同じような財布を作って欲しいんだ」
兄が胸ポケットから財布を取り出した。
「こりゃまた、使い込んだなあ。職人冥利に尽きるってもんだ。これと同じでいいのか」
兄が私を見るが、結局お財布を使ったことのない私は、兄に任せる。
「じゃあ、これをベースにして、ここに仕切りを増やして。あ、スーツの内ポケットに入れるからもうちょっとタイトのしたい。薄くて丈夫な革がいいな。それと……」
兄と職人があれこれ相談しているあいだ、私は工房の中を見渡す。あの壁にかかったウエストポーチ的な道具入れ、丈夫そう。採掘する時に便利そうだ。
「な、何か気になるもの、ございますか?」
赤毛の、私と同じくらいの歳の少年が、硬い表情で聞いてきた。お弟子さんだろうか? もう働いているなんて偉いなあ。
「上に掛かっている、腰に巻くタイプの工具入れ、見せてもらえますか?」
「え? 女の子が!? えっと、ちょっとお待ちを……はいどうぞ」
「ありがとうございます」
私が兄にならってペコリと頭を下げると、彼は真っ赤になった。営業は緊張して大変だよね。
金づちや、たがねの持ち手部分を仕切りに入れるイメージをしながらスカートの上から巻いてみる。カッコいいけどやはり重い。前世の軽くて強い化学繊維のようにはいかない。でもかっこいい。
「何を入れるつもりですか?」
「トンカチ、大きな釘、小さな釘、あと縄かなあ」
「と、トンカチ? ええっと、トンカチは仕切りがあればいいけど、釘は蓋のあるポケットじゃないと飛び散るか……」
少年も何やら思案してくれる。真剣に検討する表情は大人のようだ。
「ピア、焼印はどうする? それと色は……何やってるんだお前は?」
「お兄様、これがあれば発掘作業のとき化石を左手で押さえながら右手で道具を取り出せるので便利だと思いませんか?」
「まあお前の仕事は屋外だからな」
「それにこれをつけて作業すると、テンション上がると思うんです!」
「そっちかよ……親方、これいくら?」
「三万ゴールドだ。なんだ嬢ちゃんが使うのか? なら腰のベルト短くしないとな」
「三万……」
お財布が一つ一万。ルーファス様と私の分で二万これから使うのだ。このうえ三万なんて逆さに振っても出てこない。肩を落とす。
「残念だったな。自分でもっと稼ぐようになってから買え。で、財布の色は?」
私は気持ちを切り替える。
「ルーファス様のものは焼印はRで。あと、色は無難に黒でいいと思うんです」
「まあ、汚れても目立たないしな。じゃあ俺は茶色で。ピアも作るんだろ?」
「もちろん!」
「ふむ、嬢ちゃんは手がちっちゃいから二回りくらい小さくしとこうか。女の子だし、この赤茶色なんてどうだ?」
「いえ、私も黒で! 汚れが目立たない方がいいです」
「子どもなのに……オシャレよりも実用最優先なんだなあ」
兄が注文書を確認し、サインする間、革の生地を見せてもらう。
「すごい、案外カラフルに染まってますね」
ピンクや青、グリーンの革もある。
「実験的に染めてみたものの、売れ筋ではないな。案外王都の人間も保守的なんだよ」
親方が苦笑する。
「その細いカラフルな紐は何ですか」
「裁断あとの切れ端だ」
「これ、買ってもいいですか?」
「何に使うの? 靴紐にしては硬いし短いよ?」
先ほどの少年がお茶を持ってきてくれた。購入したからかな?
「ちょっとしたお遊びに使いたいのです」
「な、何を作るの?」
「ああ、俺も気になる。ちょっとおっちゃんにも教えてくれよ!」
職人師弟が目をギラギラさせて詰め寄る!
「あ、あの、うまく出来るかわかんないから……まだ……」
「おい、妹はまだ子どもだ。圧をかけるなって! 何やらうまく作れれば、見せるから。なあ?」
私はコクコクコクと頷いた。
結局色とりどりの革紐は、財布を三つ買ってくれたからと、おまけとしてくれた。
お財布は二週間ほどで仕上がるそうだ。オーダーメイドのお財布なんて前世では考えられないほど贅沢だ。ルーファス様も喜んでくれたらいいけれど……。
店を出るとき、師弟が玄関まで見送ってくれた。
「あ、あのさ、道具入れのこと、オレ考えておくから、また来て!」
お弟子さんが顔を真っ赤にして声をかけてくれた。
「ありがとうございます。また伺います」
何かビッグな発見をして、三万ゴールドもお金が手に入ったらね……と心でトホホと思いながらも、ニッコリ笑って手を振った。
そばの生垣がガサガサっと鳴った。猫かな?
「……やべえ。ひょっとして買い物に出ることも一言連絡した方が良かったって話? オレ寿命縮めてないよな?」
「お兄様、聞こえない。何?」
「ピア、速攻で帰るぞ!」
「あれ?油は?」
「油買ってる暇はないっ!!」
結局お金は、兄が全額出してくれた。
そして明日の『ルーファス様のお誕生日』につづく。
本日、KADOKAWAビーズログ文庫より、弱気MAX、発売されました!
なかなか外出できないご時世ですが、どうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m




