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 1.0話 覚醒前夜

 あらすじにも記載しておりますが、本編である『半脳少女 ~ボクは美少女になった。でも脳は半壊している~』に於いて、長らく伏せられていたTSの過程の描写を含む為、本編151.0話までお読み頂く事を推奨しております。















「らっちゃっちゃー♪ らっちゃっちゃー♪

 らっちゃっちゃーちゃちゃー♪」




 ―――12月24日(土) クリスマスイヴ





 窓を見下ろせば、そこには色とりどりのイルミネーション。

 外は雪景色が一面に……、なんて事は無い。

 星が少し見えるだけの、晴れた単なる普通の夜だ。


 だが、道行く人々の様子は違った。

 男女のペアが多い。異常な率と言えた。

 帰宅中と思しき者たちも、どこかソワソワと家路を急いでいる。


 そんな日に当直。彼氏が居れば、周囲に愚痴を飛ばしていた事だろう。

 いや、彼氏が居なければ、それはそれでやっかみを周囲に漏らしていたかも知れない。


 ここはNS(ナースステーション)


 陽気に聖夜の歌を口ずさみ、電子カルテに入力する。その手荒れを感じさせない指先は、軽快にキーボードの上を踊っている。



【呼吸安定、バイタルサイン問題なし。左側臥位→仰臥位へ。手指に反射と思われる反応(+)】

【声かけへの反応(+)、口角に微かな動きが見られた】




 看護師・山崎 佑香は上機嫌だ。

 現在、29歳。彼氏不在。


 眠り続ける少女・優を想えば、自然に頬が緩む。



【意識レベル-Ⅲ2】



(不謹慎だよね。やっぱり)


 この時期のナースにしては荒れていない手を、キーボード上から外し、首の後ろに回し指を組む。背中の中ほどの背もたれに体を預け、天を仰いた。蛍光灯をぼんやり見つめ、自身が担当する儚くも美しい少女の姿を脳裏に浮かべてみた。


 細く柔らかな淡い栗色の髪。

 ふっくらとした桜色の唇。

 小ぶりだが形の良い鼻。その鼻からは1本の痛々しいチューブが通っている。経鼻胃管栄養法の(カテーテル)だ。

 薄く閉じられたままの瞼の下には、長い睫毛が扇を形成している。

 それらの極上のパーツが、小さな輪郭に絶対のバランスを持って配置されている。


(優さんは天使さんになっちゃったのかな?)


 佑香の勤める病院は蓼園(たでその)グループに所属している。

 地域の中核として設立された、まだ若い、最先端の設備を備えた高層の総合病院である。


 佑香は、そんな蓼園総合病院の最上階にいた。



【22°KT(体温)=36.8 Hr(心拍数)=73 BP(血圧)=91/44 SPO2(血中飽和酸素濃度)=98%】



 22時の巡室の記録を、手慣れた様子で入力していく。

 


 生体情報監視装置、人工呼吸器、補助循環装置等の医療機器とモニター。経鼻胃管、膀胱(ぼうこう)留置カテーテル……。

 2本の管と1本のコードが小さく美しい少女に伸び、無機質な器具が周囲を固めている。ちなみに、容体の安定した現在は指先のパルスオキシメーターだけが生体情報監視装置に繋がっている。


 初めてその光景を目にした者は、100人中99人までが眉を顰め、悲哀の眼差しを向ける事だろう。



 だが佑香は違った。7ヵ月前に思いを馳せる。





―――この病院に運び込まれたその時、この患者は酷い有様だった。

 頭部は大きく陥没し、体の至る所の皮膚が裂け、或いは不自然に隆起していた。左の二の腕は折れ、尖った大きな骨が皮膚と衣類をまとめて突き破り、突出していた。


「生きてるの!?」


 急患を見た時、裕香は思わずそう叫んだ。

 当時、救急救命室に詰めていた。社会死判断の付かない、酷い状態の心肺停止の患者を目の当たりにした事は何度かある。

 しかし、それは搬送直後に死亡と判定された。あくまで遺体だった。


 ストレッチャーが手術台に横付けされる。

 すぐに数人が取り囲み、誰かが数字を発した。


「1・2・3っ!」


 ストレッチャーから手術台に迅速かつ慎重に移乗させる。

 その反動により、急患が「ぅ……」と、小さく呻いた。


(この娘……やっぱり生きてるんだ……)


(でも……)


(楽にしてあげても……)


 ちらりと救命チームのリーダー・島井の顔色を窺う。

 島井は急患の呼吸を確かめ、素早く顔を上げると、救命室全体に届く淀みない口調で口を開いた。


「クランケは歩道橋から転落。総帥の乗車するリムジンに撥ねられ、続けて後続車に轢かれた。総帥たっての依頼だ。思う事はあるだろうが、出来るだけの事はする! 協力してくれ!」


「「はいっ!」」


 いくつもの声が重なる。裕香は記憶に無い。おそらく返事したんだろうとは思っている。目前の消え去りそうな命を全身全霊を以て、救う。医療従事者としての最低限の心構えを再度、胸に刻み余計な考えを打ち消す。


(今は、この人に全力を尽くす!)


 幾度となく繰り返した儀式だった。


 島井は、協力依頼を終え、次々と指示を出し始めた。



 裕香はレスキュー鋏で衣類の除去に取り掛かる。

 創部を露出しなければ話が始まらない。出血は今も尚、治まっていない。


 ジャージ上と思われる、それのファスナーを降ろし、その下のインナー。元は白いTシャツだったはずの赤黒く染まった衣類を、首元から真下へ裁断する。続けて、肩口から手首に掛け、ジャージ上をインナーごと切り裂く。


 違和感を感じた。


 裂いた部分から見えるその腕は少女にしては、筋肉質だった。


(……男の子?)


 違和感を感じつつも、その手を動かす。


 ジャージ下の腰回りの右サイドに鋏を入れる。

 そのまま足首部分まで裁断する。


 右足は酷い内出血と共に、不自然な方向に曲がっており、息を呑んだ。向かいでは島井の補助に回った、応援の脳外科医が自らジャージ下の左サイドを裁断した。それを確認すると、躊躇なくインナー、ボクサーブリーフの右側を切り落とした。


 向かいの脳外科医と協力し、いくつかの部品へと別れた衣類であった布切れを排除していく。


 全身状態を観察しつつ、脳外科医は報告の声を上げた。


「頭頂部から左側頭部にかけ頭蓋の露出及び広範の陥没あり! 脳の損傷甚大!! 左上腕、左足関節に解放骨折! 中量の出血を確認!」


 裕香は次々と続く報告の叫びを、どこか遠くで聴いているかのようだったと記憶している。


 そして……。


 その時、運び込まれたクランケは間違いなく男性だった―――――






(ホント。あのぐちゃぐちゃだった男の子が、あんな綺麗な女の子に『再構築』されちゃうなんてね)


 小さな小さな溜息を零した。


(医学の常識無視もいいとこだよ)



 佑香は1人きりの部屋で微笑みを浮かべる。


 彼女には予感があった。近く、閉じたままの瞳がそっと開かれると。


 優が昏睡状態に陥ってから5ヵ月目。再構築が終了した頃からだった。


 痩せこけ、骨が浮いていた細い体には、ほんの少しふっくらと脂肪が付いてきた。くすんだように青白かった肌は、ミルクに微かな食紅を加えたような白さに変化した。ドス黒かった尿は綺麗な淡黄色になった。長く続いた血便も、今はもう影もない。


 そして、何より今月から裕香たちの声かけに反応するかのように、ピクリと目元、口元が動くことがある。

 体交や清拭、陰洗の際には嫌がるかのように、眉間に力が入り、表情が変化する。



 初めて彼の姿を診てから早7ヵ月。


 笑みを引き締め、独り呟く。



「神様。優さんにお慈悲を……」



(……なんてね。私は神サマなんか信じてないけど)



 神が存在し、慈悲を授けるのならば、そもそも不幸な事故など起きないはずだ……と、裕香は思う。


 隣室へ続く、場違いで豪奢なドアへと視線を向ける。




 折角、引き締めた表情は、ごく自然に、優しく変化していた。




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