クリスマス⑥
肉球亭のディナーは、クリスマスらしくもあり、お腹と心を十分に満たしてくれるものだった。メニューの内容は、安定と安心のチキンにシチュー、そして苺のショートケーキはもちろんのことながら、罪悪感を打ち消してくれる野菜たっぷりのチーズ焼きに、鮮やかな桜色のローストビーフや色とりどりの具材を包んだライスペーパーロールで見た目にも楽しいものがあった。
つつがなく守山さんの手で温められたり盛り付けられたりなどしたそれらを食べ終えた頃、時刻は午後七時を少し過ぎていた。
片付けまでを守山さんに任せられず、かといって俺だけに任せてももらえなかった結果。
肩を並べて、食器や調理器具を洗うこととなる。
その間、俺は、そわそわとどうも落ち着かなかった。むずむずするというか、変な感じがする。守山さんとふたりでやってきたことなど、いくらでもある。なのに、どうも違っている。
たぶん、家事、家庭的なこと、という意味合いが、そうさせる要因だ。
妄想もはなはだしいことに、将来、一緒になった時の予行演習みたいだなどと、そんな、ことを……。
「ふん、ぬあああああああああっ!」
皿を棚に戻し終えてから、俺はキッチンを飛び出し、リビングを転げまわる。
「徹くん!?」
自分への罵倒がやまない。確かに、付き合っている。なんとかうまくいっている。
けれど、一緒になる、という想像は、おこがましく思える。付き合っているだけで、まだまだ釣り合っていないというのに、それ以上を望んだり、想像したりするなんて。
ソファにぶつかることで緊急停止。そのままシャットダウンしてしまいたい。
「えーと、大丈夫? 手でも切れちゃった?」
「うんにゃ、ケガはしてないです」
ソファの後ろ部分に、俺は寝転がった状態でぴったり向き合う。
守山さんに合わせる顔がない。
「また、変なこと考えたんだね?」
俺の顔の上に、影が落ちる。
たぶん、守山さんがしゃがみこんで、構ってくれているのだ。声が近づいたのもその証拠である。
「今度は何考えたの? よかったら教えてくれる?」
きゅう、と胸が締め付けられる。守山さんは優しい。優しすぎるほど。
それに引き換え、俺は、などと考えるのも、やっぱり、おこがましい。
「大それたことを、考えてしまって」
「いやらしいこと?」
「違うぞ!?」
今回だけは違う。
「違うの? じゃあどんなことなのか、私わからないな」
「いや、なんというか、その……あれだ」
嫌われないか、キモがられないか。そんなことはないはずで、たとえその気持ちがあっても、守山さんは表に出すまい。
俺は卑怯だ。またたぶん、卑怯なのが俺なのだ。
もうやめると思っても、ダメだと思っても、人間は、急に大きくは変われない。
「守山さんと一緒になった、未来のことを、考えてしまって」
手刀が首筋に振り下ろされた。
ぐぇ、とうめき声がもれ出る。痛くも苦しくもないが反射だ。
さらに、ノコギリみたいに、手刀は前後で動かされる。もちろん一ミクロンだって切れはしないのだが、何かがすり減っていく。
手刀の主はもちろん守山さんなのだが、
「な、なぜに?」
「これは、私の恥ずかしさとうれしさと怒りでできています」
なるほどわからん。
「大それたことなんて、そんなことないっていうのが怒り。徹くんも同じ想像してくれてたんだなっていうのがうれしさ。けどなんだか恥ずかしいな、と思った結果、こうしています」
「なんとなくわかった」
わかったので手刀で俺の首をゆっくり切断していこうとするのはそろそろやめていただきたい。
「大それたことじゃ、ないです。普通の、ごくごく当然の、未来です」
「……ありがとう。それとごめん」
「悪かったと思うならハグしてください」
さっきから守山さんの声に抑揚がないし、また言葉遣いも敬語だ。
不機嫌なのだろう、ということはわかる。
それとハグがどう繋がるのか、いまいちわからなかったけれど、言われた通りにするのがよさそうだ。
守山さんは立ち上がり、両手を広げて待っている。
俺はそんな守山さんの背中に手を回し、軽いハグをする。
体の前面はほぼ触れていない。本当にハグで、俺のほうからはっきり触れているのは、腕や手くらいのものだ。それでも、心配になるほどのやわらかさと、体温の高さを、俺は感じていた。それは、あっさりと顔の熱を急上昇させていく。
「これで、よろしいでしょうか」
「まだまだ」
五分は経過した。
顔が熱くて汗をかいてしまいそうだ。
「あの、そろそろ」
「まだまだ」
十分。
もう全身が熱い。なのに守山さんは許してくれない。
「あの、長くない?」
「えへへ」
あよかったもう機嫌よさそうだ。
守山さんの体から離れると、彼女は顔をしかめていた。
ええー……なんでー?
「もうちょっとだけしてくれててもいいんじゃないでしょうか?」
その声に抑揚は戻っていたし表情にも明るさが戻っていた。
が、敬語なのはまだ続いている。
うーんこのままだとエンドレス。
「あのさ守山さん、実はご飯食べた後にやること考えててさ」
「えっもうしょうがないなあすぐお皿片付けてくるね!」
為替相場並みに守山さんの機嫌は上下する。
今のところは完全に上り調子になってくれた。ありがたい。
というかちょっとちょろいとか思ってしまった。
ともかく、守山さんが片づけをしてくれている間に、簡単に準備をする。
俺にもできるお家クリスマスデートプランは、ほとんど大詰めだ。
「終わったよ、それでやることって?」
エプロンを脱いでたたみながら、守山さんは俺の座るソファまでやってくる。
「いや、ほら、クリスマス映画見るとかどうかな、と」
これでなんかそれっぽい感じで場が保つ!
映画について感想を話したりツッコミ入れたり自分たちに置き換えてみた話したりなんかそういう。
しかし、守山さんの反応は薄かった。
「あー、うん、いい、ね?」
「あっダメだった!?」
「ダメじゃない、ダメじゃないけど、今七時二十分だよ?」
「ソウダネ」
はて何が言いたいのだろうか。確かに今は七時二十分である。
「映画、中途半端なところで私帰ることになるよね。それとも短い映画?」
……おっしゃる通り。
用意したのは二時間を超える映画です。
「早送りで見れば……!」
「それは楽しみ方としてどうなの?」
「つ、続きはまた今度ということで……」
「そうなるよね。楽しみ方として、ちょっと邪道だけど」
「誠に申し訳ない……」
映画見るだけでなんかいい感じになると思っていた自分が甘かった。
時間のことはまったく考えていなかったのである。
俺の間抜け。
デートを最初から最後までプランするなんて完全にキャパシティオーバーだったのだ。落ち込むほどに頭が下がっていき、ついには額と膝がくっつく。
「いやいや! うん! お楽しみはまた今度、っていうのもいいよね。楽しみがまた別の日にあるっていうのも。私映画は一気に見たいほうだけど」
グサリ。
いやほんとすみません……。
「ごごごめんね!? 違うの、あ、あのほら、早く見よ? わー、楽しみだなー」
ディスクのセットは終わっている。あとは再生ボタンを押すだけだ。
守山さんの手によって映画は始まり、テレビによく見るロゴと音楽が流れ出す。
大きな橋を車で渡る男のアップから始まる映像を見ながら、失敗のことがぐるぐる回る。そもそも映画というチョイスでよかったのか? もっと何かあったんではないのか? 逃げに回った、いやしかし他に俺にできる選択肢はあったんだろうか。たらればの話をしてももう遅い。ただ今あるのは失敗という結果。ディナーまでは完璧だった。というよりディナーが完璧だった。さすがお店の料理であり、守山さんの手腕である。額を膝につけながら、顔を横に動かして守山さんの様子をうかがう。一見、楽しそうだ。しかしどこか浮かない部分が見て取れる。気を遣わせている。クリスマスに、もっとも楽しんでいてほしい人に、気を遣わせた。ほとほと自分というものに呆れる。
自分に呆れ、そして、守山さんに呆れられる恐れさえ、心に浮かんだ。
呆れられて、それから、どうなる。捨てられる。仕方のないこと、むしろこれまでが奇跡だったのだ。低スペック極まる俺と、才色兼備極まる守山さん。何がどうして恋人同士になれたのかもはや謎である。
捨てられ、それから?
この世の終わり、となるのは間違いない。けれど、それだけでは終わらない。一人で終わってしまえるならそれでいいが、そうはならない。味を知ってしまった。味を占めてしまった。
すがりつき、粘着し、どんな形であっても関わろうとする。たとえ遠くから見ることしかできなくなっても、そうすることに全霊を賭ける。
「徹くん? 映画、見ないの?」
「あー、や、見る、見るよ」
暗い考えに取り付かれていたところが、映画へと意識が戻る。
せめて、最後になるかもしれないこの時間を楽しもう。明日別れることになってもできるだけすっぱりと……できるといいなあ。
なんて考えていた俺の手に、そっと守山さんの手が重ねられる。
「徹くん、無理してる? してるよね?」
「……そんなことは」
ないと断言することができない自分が恨めしい。
「あのね、これは友達の話なんだけど」
「それ守山さんの話?」
「友達の友達に聞いた話なんだけど」
「一気に都市伝説っぽく」
「ともかく私じゃない人の話で、その人は彼氏とクリスマスにデートをしたの」
身につまされそうな話だった。状況が、共通している。
「その子はクリスマスを楽しみにしていたし、彼氏もいろいろがんばってクリスマスを楽しませてくれた。それはもう、すごくがんばって。けど、クリスマスから一ヶ月経たずに、別れちゃったの」
「俺、がんばって守山さんのことは諦め……られないかもだけどせめて視界に入らないようにするから……」
「別れません。いや友達の友達は別れちゃったってだけで。今ので感情移入しちゃったの? だめだよ。いい?」
「ぁい……」
鼻声になってやしないだろうか。上を向く。涙がこぼれないように。
「で、なんで友達の友達の子は別れちゃったのかっていうと、その子曰く、クリスマスががっかりだったから、って言うの」
「ごめんなぁ……!」
「だから徹くんと私の話じゃないってば。最後まで話聞いて、泣き止んで?」
「がんばる……」
袖で目元を拭き、ティッシュで鼻をかむ。少しだけ落ち着いた。
「続けるね。がっかりだったって言うけど、はたから聞く分にはとても素敵だったし、どうも楽しかったみたいではあるんだよね。別れた理由は、実はもっと別の、深いところにあった、というわけ」
「フリマに出せないクリスマスプレゼントだったから?」
「それはもともと別れてしかるべきカップルだよ。そうじゃなくて、たぶん、お互い、特に彼氏が、ムリをしたからなんじゃないか、だから、別れることになったんじゃないかな」
「彼女のために多少ムリするのは、むしろいいことなんじゃ」
「んんー、そうだけどね。ムリしすぎちゃいやすいって言うのかな。雰囲気に流される、気持ちだけ盛り上がるって言うのか。特別なことをしなきゃ、特別なことをしました、あれ? でもそんなに満足しない……なんでだろう? 理由を求めて行き着く先が、相手への不満、ってなったんだと思う」
「いまいち、わかるような、わからないような」
「まとめると、ムリは禁物、ほどほどの、普通の過ごし方がいいってこと。今日みたいに、ちょっと特別なご飯食べて、いつもと違うかっこうして、のんびり映画見て……その隣にいるのが、大切な人なら、もうそうれで十分すぎるくらいに十分」
「ばごとにぼうしわけない……!」
「また泣くー……はいティッシュ」
鼻をかむ。どんどん鼻水は出てくる。
「気を遣ってるとかじゃなくて、本音でね。クリスマスなんて言っても、私は、徹くんといられるだけで、もうそれだけで特別だから」
本当に、ありがたい話だった。
それでも、まだ、納得はしきれない。
「けど、だとしても、俺はもう少し、守山さんに何かができたらと、そう思うんだ。何かないか? 今すぐできそうなことで、何か。直接聞くあたり情けない限りだけれども」
「情けなくなんかないよ。それで、何か、かあ。えっちな方向は?」
「それはなしで」
「ちぇー。じゃあ、そのままじっとしてて」
何かと思えば、守山さんは、ソファで横になる。顔はテレビのほうを向いてこそいるが、枕として俺の膝が利用された。
実に新鮮な感覚である。
「徹くんの膝枕ー」
守山さんはにやけて、ご満悦っぽい。
「こ、こんなことで?」
「これがいいんです。徹くんに膝枕されながら、映画鑑賞。かなりゴキゲンです」
「そう、なのか」
なんだか、これまで悩んでいたのがバカみたいだ。いや実際俺がバカなのだという話なのだが。
「それともうひとつだけ、いい?」
「ひとつだけ、なら。もうけっこういっぱいっぱいに近いから」
「頭、なでてほしい」
守山さんは実は、甘えたがりだということに、今ここに確信を持つに至った。母親の前でそういう面があったけれど、あくまでそれは母と娘という関係性限定のことだと思っていた。だがどうも違う。
普段は自制して隠しているものの、欲求として甘えたいというのはずっとあったのではないか。
俺は、守山さんのこめかみあたりを、そっと撫でる。
猫のように守山さんは目を細め、ぐりぐりと俺の膝に頬をこすりつけてくるのだった。
擬似的にとはいえ、庇護しているというまったくの未知の感覚に心くすぐられる。もはや映画などまともに見ていられない。
九十分以上に渡って、俺は、守山さんに膝枕をし続けた。
* * *
そんな感じで、俺と守山さんのクリスマスの夜は終わる。
小学生の頃の、孤独なクリスマスは、今日の思い出によって完全に塗りつぶされた。ちょっとクリスマスの思い出話してみたら泣かれたが。
この日、印象に残ったことは三つ。
特別すぎない、のんびりとしたクリスマスでも十分意義があるということ。
ミニスカサンタの守山さんとの記念写真を撮ったこと。
最後に、時間通りに迎えに来た守山さんのお父さんが、泣いたばかりで目を赤くした娘を見て、俺に殺意の波動を向けてきたこと。
たぶんずっと、覚えている。
ちなみに、ボストンバッグの謎はきれいさっぱり忘れてしまっていた。
二十三歳のクリスマスになるまでは。
けっこう長くなりましたが、なんとかクリスマスが終わる前に終えることができました。
次の更新は未定ながら、また温泉編に戻ります。




