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クリスマス②

 記憶がいまいち欠けている。

 忘れっぽいほうである俺だけど、さて。

 今どうしてこうなっているのかがわからない、そのことが不思議だ。


 なんだかんだ見慣れた守山さんの部屋にいる。

 これはいい。学校の帰り、守山さんの家に誘われたのだから。

 その部屋のベッドに横たわっている。

 これも、まあいい。そういうこともあるかもしれない。


 だが、手首に手錠がはまっている。

 これはちょっと、いやかなり、いただけない。


 手錠の片方は俺の手首にはまり、もう片方はベッドの支柱にはまっている。


 もちろん鍵は見当たるところにない。

 助けを呼ぼうと思うけど、いまこの部屋にいるのは俺ひとりだ。


 においをかいでおこう。


 あ、いいにおいがする。

 ミルクっぽいような、甘いような、落ち着くにおいだ。


 この部屋の空気を吸うことはあっても、ベッドのにおいまでかいだことはまだなかったので新鮮だ。


 俺がにおいに夢中になっていると、鼻歌が聞こえてきた。

 声の高さからして女性なのは間違いなく、状況と照らし合わせて予想は簡単にできる。


 その予想通り、守山さんがお盆を手に自分の部屋へ戻ってきた。


「徹くん、目が覚めた?」


「見ての通りだけども」


 手錠のはまった右手首を持ち上げる。じゃら、という音がする。


「この手錠は、というか、俺、守山さんの家に来てからの記憶がなくて」


「紅茶はアールグレイでもよかったよね。ダージリン切らしてて」


 話しながら、守山さんはローテーブルにお盆を置く。

 お盆の上には、紅茶とクッキーが載せられていた。


「あ、うん。守山さんの淹れてくれたものなら何でもおいしいし」


「そう? 照れるなあ。クッキーはね、あいにくお店のだけど」


 以前もらった、あの独創的なクッキーの味が思い出された。


「いいんじゃないかな。それでさっきの質問なんだけど」


「はい、あーん」


 手ずから、守山さんがクッキーを食べさせようとしてくれている。


 これを食わない手はない。素直に食べ、飲み込んでからもう一度。


「この手錠」


「はいあーん」


 食べた。


「この手」


「あーん」


「もり」


「あーん」


 これクッキー食べ終わるまで終わらないやつか。


 普通にうれしい状況である。


 手錠さえなければ。


 皿に盛られていたクッキーをすべて食べれば、腹に地味に溜まる。


「はいどうぞ」


 最後にティーカップを渡され、一心地ついた。


 これで話ができる。


「で、守山さん。この手錠のことなんだけど」


「え? なあに?」


「いやだからこの……」


「なあに?」


 ようやくわかった。

 質問しちゃいけないんだこれ。


 とりあえず俺に手錠をはめたのは守山さんっぽい。

 それなら安心……安心?


 事件性はない。


 笑顔の守山さんを前に、俺は黙らざるを得なかった。


 その短い沈黙の時間に、


「莉世ー、徹くん来てるのー?」


 守山さんの母、華恋さんが足音ともに近づいてくる。


 助けが来た、と期待する。


 エプロン姿の華恋さんは中に入ってくると、俺と、娘である守山さんを見比べてから、


「いらっしゃい。晩ご飯は食べていくのよね?」


「お母さん、あんまり邪魔しないでっていつも言ってるのに」


 いつもより子どもっぽく不満を口にする守山さんもかわいいがそれを鑑賞するよりちょっと優先したいことがある。

 助けを、助けを求めねば。


「お邪魔してます華恋さん。ところでこれを見てください」


 手首を持ち上げてみせる。

 そこには当然、手錠がはまっている。


「……手錠ね?」


「わかっていただけて何よりです。あとは、わかりますよね?」


「もう一本欲しいの? ええ、あるわよ」


「違う!」


 思わず叫んでしまう。

 ていうか叫ばずにはいられない。


「具体的に言います手錠を外すのを手伝ってください」


「莉世、鍵なくしちゃったの?」


「ううん、ちゃんと持ってる」


「じゃあ何の問題が?」


 いや、はい。守山さんが鍵を持ってるのはいいんです。


「じゃあ守山さん、この手錠を外してください」


「イヤです」


 そっぽを向かれてしまう。

 そうなるとは薄々わかっていた。


「華恋さん、何とか娘さんを説得してください」


「どうして?」


「どうしてって」


「手錠くらい、普通のことじゃない。私も昔あの人にはめていたもの」


「お母さん、親ののろけ話とか娘として聞きたくないから」


 おかしい。

 それともおかしいのは俺なのか? いや世間的におかしいのは俺であることのほうが多かった。

 そして守山さんのほうが常識人なのは明らか。


 俺の中の常識が乱れる。


「あら、お菓子が空じゃない」


 俺の苦悩をよそに、華恋さんはテーブルの皿に気づいたようだ。


「待ってて、いま持ってくるから」


「お母さんはいいから。私が持ってくる。お母さんは一階にいて」


「えー? やだもう反抗期?」


 手錠のことさえ抜けば微笑ましいと見てられるんだけど。


 母と娘のはたからは仲むつまじい様子を見ながら、どうしても手錠が重い。物理的にでなく精神的に。


 母娘ふたりは、一旦部屋から出ていく。


 たぶん守山家に助けを求めてもムダだ。

 ならば外部に連絡をすべきでえある。


 ただし、警察にまで連絡するのはやりすぎだ。大事にしたくもない。


 そうこう考えているところに、俺のスマホに電話がかかってきた。

 着信先は、俺の母親である。

 守山さんが戻ってくる前にと、即出た。



「もしもし母さん?」


『徹? 家にいる? 私、ちゃんとキッチンの窓閉めてたかしら』


「キッチンは閉まってたよ。それより助けてほしいことがある」


『またしょうもないゲーム買ったの? あれほどちゃんと買う前に確認しなさいって』


「そうじゃなくて、その、できれば迎えに来てもらえないかと。いや説得してもらえるだけでもいいんだ」


『どこに? 誰を説得しろって?』


「守山さん家に。守山さん母娘おやこを」


 電話の向こうで、息を呑む気配がする。


『あなたまさか、孕ませたんじゃ』


「違ぇよ!」


 あと言い方がすごく嫌だ。


『難しい問題よ。とりあえず急いでうかがうけど、不用意な不規則発言はしないのよ。というか黙ってなさい』


「何だよ息子に対する信用のなさは」


『そんなものあると思ってるの。それとも、信じていいのかしら』


「やめといたほうがいいな」


『でしょ?』


 残念ながらそういうことになる。

 けれど、困っているのはそんなことじゃないし、そんなことは起きていない。

 事実無根だ。


「はらま……とにかくそうじゃなくて。俺、手錠をはめられててさ」


『警察? 大丈夫、お母さんちゃんと塀の向こうに会いに行ってあげるからね』


「くっそ話が進まねえ……!」


 もたもたしていると守山さんが戻ってきてしまう。

 その前に、うちの母親に助けてもらえるようにしておく必要がある。


「守山さんに、手錠をはめられて、動けなくされているんだよ」


『それはあなたが悪いのよ』


「え?」


『あなたがはめてほしいとせがんだのか、あなたがよほどあの子を怒らせることをしたのか、あとはあなたが勝手に手錠にはまりにいったのか。あの子が悪いはずがないじゃない。となると残る可能性はひとつでしょう?』


「実の息子よりその彼女を信じるのか」


『あなただったらどっちを信じるの?』


「守山さんが悪いことするわけない」


『ほら』


 嫌な意見の一致の仕方ばっかりすんなあ。


 ていうか、うちの母親以外に助けを求めればいいのだ。

 電話がかかってきたから話してしまっていたが、めぐむならなんとかしてくれる……かもしれない。


「もういい、じゃ切るから」

 

 電話を切ろうとした直前に、スマホが取り上げられた。


 見上げれば、微笑む守山さんがいて、俺の代わりに電話に出る。


「もしもし? お母様ですか? はい、ご無沙汰してます。はい。はい。ふふっ」


 守山さんは相槌を打つばかりで、話の内容がとんと見えない。

 それがまた怖かった。


 三分くらいだろうか。

 その時間は続いて、守山さんは電話を切った。なおスマホは返してもらえない。


 さながら判決を待つ被告人の気分である。


「だめだよ、徹くん。お母様を困らせちゃ」


「あっはいそっすね」


 できるのは生返事くらいのものだ。


「そこがまた好きなんだけどね」


「ありがとうございます」


 怒ったそぶりはない。

 かといって、安心はしがたい。


 ベッドに座る俺の隣に、守山さんは腰かけた。

 スプリングが軋む音に、生々しさを感じる。


「あのね、徹くん」


「守山さん!」


 このまま話が進んではまずいと、とりあえず俺は名前を呼ぶ。


「ん、なあに?」


「えーとえーとえーと」


 ひねりだせ、この場を和らげるナイスな話題を!


「大丈夫、焦らないで」


 余計焦る。


「えーとえーとえーとなんでこんなことを?」


 あかんド直球ド真ん中だコレ。


「そうだねえ。んー」


「昨日ね、知り合いからね、聞いたんだ。徹くんとめぐむさんがデートしてるって」


「いやデートとかそんな」


「家でゲームしてるのはね、いいの。そんなの全然気にしてないし、私のせいで徹くんの楽しい時間奪いたいわけじゃなし。それにほら、私、束縛系彼女とかにはなりたくなくってね」


「そうなんだー」


 手錠が重い。


「けど、ふたりで、仲良くショッピング、しかも今モールでは巨大ツリーをイルミネーションで飾ってて……それを徹くんとめぐむさんが眺めてたかと思うと、うん、そうだね。やきもち、かなあ」


 そっかー、やきもちかー。やきもちてオレは縛られてるわけかー。

 うんうん納得。

 ……納得?


「つまり徹くんがいけない。わかってくれる?」


「百パーセント悪いのは俺だよ」


「違うの私が悪いの!」


 どうしろと。


 守山さん、情緒不安定になることあるよな。

 よほど普段、俺が負担をかけているんだろう。今回のことも含めて。


「ううん、そうだよ、徹くんがいけない。いけないの」


 あらー目が据わってらっしゃる。


 これは雨の降る日、自宅で押し倒されたパターンでは?


「守山さん? 落ち着こう」


「うん、わくわくするよね」


「俺はドキドキするなあ」


「私も。ドキドキ」


 守山さんの視線と吐息に、熱がこもりだす。


「ねえ徹くん。なに、想像してるの?」


 まず、守山さんは俺の手の甲に触れる。

 触れるか触れないかくらいの力加減だ。手の甲からさらに、腕を伝い、肩を伝おうとしていく。


 この触り方は完全にビッチのそれと思うんですがいかがでしょうか。


「何もエロいことなんか想像してませんよ?」


「嘘」


 やめてやめて耳元でささやかないで。

 らめになっちゃうぅ……。


 こういうとき、俺のやれることは限られている。

 とりあえず逃げよう。


 立ち上がり、部屋の外への脱出を試みる。が、


「うぉっと!?」


 手錠につながれたままなのであった。不覚。


 背後から、守山さんに優しく抱きしめられる。




「逃げられないよ?」





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