第60話 ただ今、運転を見合わせております
神庭温泉まで、電車で約三時間。
乗り継ぎは三回あり、特に最後のローカル線が厄介だった。
到着から待ち時間は三十分、電車の頻度は二時間に一本。
極めつけは、
『ただ今、昨晩からの積雪により運転を見合わせております』
雪のせいで、三十分待っても電車は来なかった。
山間にあるせいで、天気が変わりやすく影響が大きい。
秘境温泉、なんていうのはムシがよくないだろうか。
「スマホの通信も怪しいし……」
街中なら常に三本立っているところが、一本から二本にまでアイコン表示が減ってしまっている。
無人駅、なのは当然として、それだけじゃない。
周辺には店もなく、民家も数十メートル単位で点々としていた。
「このまま電車来なかったら……」
翌朝まで寒いホームに取り残され、俺はともかく守山さんがつらい目に遭う。
「つまり人類の危機だな」
「よくわからないけど、大丈夫じゃない?」
「守山さんは守山さんが凍えてしまってもいいと? なんて守山さんに厳しいんだ守山さんは!」
「えっと、落ち着こうね。さすがに凍えるとかはないし、言ってることめちゃくちゃだから」
「自分で言うのもなんだけどいつものことのような」
「私も認めたくないけどそういうとこあるよね徹くん」
眉間を軽く押さえてから、とにかく、と守山さんは仕切りなおす。
「帰りの電車は普通に動いてるから、帰る分には大丈夫」
「……き、気づいてましたよ?」
「はいはいかわいいかわいい。ぎゅっとしていい?」
「手を握るくらいで勘弁してください」
俺のほうがいつまでも抱きしめていそうで怖かった。
「やった」
はいかわいい。
駅のホームのベンチにて、俺と守山さんは並んで座り、手を握り合う。
ホームは電車が運転を見合わせるだけあって、五センチほど、ホームにも雪が積もっていた。
白銀の世界で、恋人同士が手を握る。
片方が俺でさえなければかなり青春っぽい。
「とはいえ、雪で電車が動かない、ってのは考えてなかったなあ」
「私も、ちょっと考えつかなかった。山のほうでは積雪注意報とかよく出てたけど、平地のほう住んでると意識しないよねやっぱり」
「昔からイベントあるたびに悪天候呼びこんでる気がするな、俺」
入学式・遠足・卒業式・修学旅行・体育祭。
うろ覚えだけど八割がた雨降ってた。
「ああでも、高校の入学式だけは、いい天気だったか」
「覚え、てるの?」
「いや、そんな大して覚えてないんだけど。入学式から緊張してトイレにこもってたのと、めぐむに蹴り飛ばされたのと、面池くんが同じクラスになったのと」
「他には?」
「他に……何か、あー」
覚えていることは、確かにある。
けどここで、言っていいことなんだろうか。
めぐむに教えられたしな、女の子とふたりでいる時にあまり他の女の子の話をするもんじゃない、と。めぐむは女子でないので守山さんの話をがんがんするわけだが。
「女の子のこと?」
「そうとも、言うかもしれない」
守山さんにはお見通しらしい。
意識しすぎるのも、逆に失礼ってこともあるだろう。
本当だったら、守山さんのことを覚えてたらよかったんだけど。
「トイレの前で、初対面だけどすごく優しい女の子に会ってさ」
「へー」
「あとなんというか、かわいかった、かな。いや守山さんのほうがずっとかわいいけど」
「そんなこともないんじゃない?」
「そんなこともあるに決まってる」
「うーん、まあ、続きをどうぞ」
「と言ってもなあ。なんか覚えてるのは、そんな優しくてかわいいのに、どうも不安がってて、それは間違ってる気がして、だから、失敗しても俺がいる、みたいなこと言ったんだっけか」
「うんうん! それでそれで?」
なんでテンション上がってるんだ守山さん。
「入学式の後、その子には普通に友だちもできてた、のかな。だから、一切関わらないようにと積極的に忘れにいったんだけど」
「そう……」
今の話のどこらへんで、守山さんは浮いたり沈んだりしていたのやら。
謎だ。
「とにかく優しい人が普通に幸せそうにやってて、うれしかった、と。以上終わり」
「そっか。たぶんその子も、徹くんの楽しい学校生活を応援してるよ」
「入学式で一回会っただけでそこまで。何その聖人」
「ついでに言えば、ずっと徹くんのこと気にして、気にかけて、気になって、素敵なところに気づいていってね?」
「それは、俺にとって都合がよすぎる話だな」
「そして好きになったって気づいて、今、徹くんのすごく近くにいる」
「あ」
「ん?」
「あの女の子は幽霊……だった?」
「こんなはっきり見えて触れる幽霊がいますか」
手を握ってくる守山さんの意図に、ようやく理解が追いついた。
「守山さん、ちょっと待っていただけますか」
「はい、いくらでも」
実に楽しそうな守山さんに対して、俺は気まずい思いでいっぱいだった。
彼女に違う女の子の話をしていたつもりが、実は彼女自身の話をしていた。
え? え? なんで? うそでしょ?
「いや守山さんがそんなあんなふうになるわけ」
「不安で、怖かったんだよ。そんなとき、私も、優しい男の子に出会えた」
「ごめんなさい」
「どうして謝るのかな」
「いやー、あのとき、調子乗ったこと言って後悔したような、だから、うん、ごめんなさい」
「ぜんぜんそんなことないよ。私は、ただあのとき、すごく徹くんのかけてくれた言葉に助けられた。ああ、こんないい人がいるんだ、って」
「そっかー、いやー、よかったよかった」
で、俺はついさっきまでその女の子のことべた褒めしてませんでしたか。
なんとも言いがたい感情が俺の中で渦巻いていた。
何もよくないとしか言いようがない。
いいんだけど、よくない。
「……マジで守山さんだった?」
「どこのトイレだったか言おうか? 徹くんがあのとき何て言ってくれたかも」
「や、ただの確認というか、どうしても結びつかなくて」
別に浮気の話をしたわけでもないのに、罪悪感がぬぐえない。
そもそも浮気なんかじゃなく、浮気していたら浮気じゃなくて本命彼女でしたというか、もはやわけがわからなくなっていた。
こういうとき、どんな話をしたらいいんだろうか。
コミュニケーション本に書いてあったことをかろうじて思い出す。
天気の話題は万能だ、と。
「いやー、それにしても今日の天気は」
旅行に行くところを、雪が降って足止めを食らっていて、
「最悪だな俺のせいだごめんなさい」
「そんなことないと思うけど」
ベンチから立ち上がり、守山さんはホームの塀に近寄っていく。
「徹くんのせいでもなくて、最悪というわけでもなくて」
塀の上に積もっていた雪を集めて、守山さんは雪玉を作る。
「えい」
ふんわりと握られた雪玉は、投げられた時点で崩れはじめ、俺にはほとんど砕けたものが届いた。
「雪なら雪でこうやって、遊んだりもできるよね」
天使じゃ。
天使がここにおる……。
「と、徹くん!? ごめん、固めてなかったつもりだけど、痛かった? ごめんね!」
「違うんだ守山さん。守山さんの心があんまりにもきれいで、まぶしくて」
「そういう話なの、それで泣くの? よくわからないけど泣き止んで、ね?」
背中をあやすように叩かれて、俺が泣き止むまで数分。
それから、小学生の頃のことを思い出して、雪だるまを作ったり雪玉をぶつけられようとしたり上半身裸になったり世にも奇妙な雪像を作ったりして遊んだ。
ほとんどろくでもない遊び方しかしてない。
「ふぇ……」
「ふぇ?」
「ぶぇっくしょい!」
盛大にくしゃみをしてしまう。
やっぱり雪の降る中、上半身裸はまずかったらしい。
「大丈夫? 寒い中ちょっと遊びすぎたね」
「平気平気。バカは風邪ひかないから」
「つい二週間前のこと思い出そうね?」
バカは風邪ひかない、というのはひいても忘れるからなのかもしれない。
「あの時は看病してくれてありがとう。すごく助かったし、癒された」
「風邪じゃなくてもいつでも言ってね。というか今はちょっと大人しく休もうか」
守山さんの勧めに従って、ホームの待合室に引っ込むことにした。
待合室といっても、申し訳程度に壁と窓ガラスがあるだけで、横はほとんど吹きさらしだ。
駅のホームで立ちっぱなしよりは確実にまし。
けれど、室内で風除けにも満たない。
「寒い?」
「大丈夫、平気」
と言ったそばからくしゃみを放つ俺の体。
相変わらず情けなかった。
「徹くん、コートの前開いて。……そう、足ももうちょっと広げて」
ベンチから立ち上がった守山さんの指示に、よくわからないまま従う。
どうしたかったのかは、すぐにわかった。
そのまま背中を向けた守山さんは、俺の太ももの間に座ってきた。
ちょうど俺が後ろから守山さんを抱きしめて座るみたいになる。
これはまずいんじゃないですかね、俺の股の事情的に。
下手すると押しつけてしまう。
「えへへー」
「今から泣くので耳ふさいでてもらえる?」
「なんでそうなるかな?!」
泣くよこんなの。
幸せオーラが注入されまくってあふれて泣ける。
「ほらちゃんと腕回して、ね、あったかいでしょ。私も、徹くんも」
くしゃみをしてしまうほど寒い思いをしていた俺を、暖めてくれるということらしい。
確かに守山さんの体は温かいし、体が冷気を受ける面積もぐっと減る。
ただ俺の体が温かく、というか別の理由で熱くもなりそうだった。
いい匂いするし、すぐそこにうなじがあるし、すごくやわらかいしほっとするし。
「ほんとにいいのか、守山さん」
「何が?」
「俺なんかに、こんなことして」
「なんかじゃないよ。まだ、そんなこと思ってるの?」
「変わりたい、とは思ってるんだけど。いろんな意味で、俺はまだ心配なんだ」
一番心配なのは、守山さんが傷つくこと。
その結果に至る要素は、いくらでも思いついてしまう。
「ちょっとずつ、変わっていければいいんだよ。徹くんなりのペースで、ね?」
「守山さんは俺に優しすぎる、というか甘くないか?」
「嫌?」
「嫌どころかありがたいのが困ると言えばすごく困る」
「じゃあ本気出すね」
「今まで本気じゃなかったのか!?」
驚きの新事実だった。
「今まで通りでひとつお願いします」
「じゃあ代わりに、もっとぎゅっとしてくれる? 思った以上にこれ、いいので」
――落ち着けマイサン。
いやらしいことは何も言われてないのだから。
触れる程度だったのが、軽く圧力をかけるくらいに、腕に力をこめる。
女の子、というか守山さんというのは、触れるとどうしてこうも癒されるのか。
ずっとこうしていたく、そして乗り換え電車が来るのはあっという間だった。
「ね、徹くん」
「ん?」
「一本、電車遅らせる?」
紛うことなき、天使による悪魔のささやきだった。




