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第59話 打ち合わせ

 温泉旅行ペアチケット。


 迷惑をかけたお詫び、ということで狐塚先輩からもらったものだ。

 かけられた迷惑に対してこのチケットは、正直行き過ぎという感じはあった。

 それでも、先輩の誠意だというし、どうせ一緒に行く相手も暇もない、かといって売り飛ばすのも気が引ける、そういうチケットであるとの確認は取ることができた。


 というわけで、週末。


 守山さんとの旅行が決まった。


 木曜日、今日はその準備ということで、こっそりと肉球亭で落ち合うことにした。

 いつもいつもこの軽食屋で長時間過ごすわけにもいかないが、今回は特別だ。


「また違う女の子? 意外とやるのね、遠野くん」


「人聞きが悪い!」


 飲み物をサーブしつつ、肉球亭のウェイトレスであるミカさんが爆弾を投げ込んでくる。

 投げ込むだけ投げ込んでおいて、さっさとカウンターへ引っ込むところ、意地が悪いというしかない。


「また?」


 いつもと変わらない守山さんの笑顔が逆に怖かった。


「違う、前は単にアンジュと来ただけで」


「また、あの子と?」


「前の話で、守山さんと付き合う前の」


「名前」


「名前って、いやほら、もうこれで慣れてて」


「他にお客さんもいないんだから……お願い」


 前半部分について、ミカさんの機嫌を損ねてないかうかがっておいた。


 口パクで五文字、お、い、お、い、え、とミカさん伝えてきていた。

 うむ、わからん。


「ミカさんが気になる?」


「まあちょっと」


「きれいだし、スタイルいいもんね」


「けど休日は飲んだくれらしいぞ、そんなだから男関係で嘆くことに」


 思わず出た失言に、ミカさんのほうを見ることができなくなった。

 風切り音も聞こえないふりをしておこう。


「えっと、だから、莉世、さん」


「うん、なあに?」


「旅行の話、進めてもいいかな」


「もちろん。土曜日の朝出発、でいいよね。旅館への連絡は私が明日しておくから」


「お願いします。で、行き先が、神庭じんば温泉? だっけ?」


 都市部から山間部に数百キロ、山奥の観光地だという。


「特徴は、温泉街があって、山菜とそば、滝と洞窟に……あとは、ああこれは関係ないね」


 スマホで調べているらしく、守山さんはスワイプしていた。


「一泊二日。夕食と朝ごはん付」


「昼は、どうしようか」


「温泉街に、そのあたりでは人気のお店があるみたい。問題は、交通手段だね」


「山奥だもんなあ」


「電車を三本乗り継いで、約三時間」


「それは狐塚先輩も行く暇がないとか言うよな」


「話してればあっという間だよ」


 確かに、かの有名なアインシュタインも言っていた。

 ストーブに手を置く時間に比べれば、好きな女性と話す時間など瞬く間だ、と。


「そこを含めて、楽しみ、か」


「ですです。あとは、持ってくもの、だね。基本的にはお財布と、着替えくらいだけど。足りないものはある程度あっちで買えるだろうし」


 持っていくものについて、ちょっと俺は固まってしまった。


 好きな女の子とのふたりきりの旅行。

 冬の、温泉旅行。


 守山さんと、知り合いのいない遠い場所でふたりきり。


 めちゃくちゃ恥ずかしいし、つくづく自分に嫌気さえ差したが、準備しておくべきものがあった。

 万が一。

 いや億が一。

 いやいや百億万が一ね。


 ゴム、なるものとかをね?


 誰よりも守山さんを守るために、一生使う予定のなかったものを明日までに買っておく必要があると思っていた。


「徹くん、どうしたの? すごい顔」


「そそそんなことないよいつも通りですってよ」


「なあに、その口調」


 短く笑って、守山さんは紅茶を一口含む。

 ストローから口を離した瞬間、はにかみがちに、「もしかして」と言う。


「もしかして……あれ、を想像した?」


 たった、あれだけのこと。

 だとしても守山さんならば、気づいてしまってもおかしくない。

 俺の挙動によってだだもれ同然になっていても、ごく自然なことだった。


 気づかれたかもしれない、それだけで余計に顔が熱くなる。

 恥ずかしくて恥ずかしくて、奇声を上げて店を飛び出したい。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、ほんとうすみません」


「ううん、徹くんも、男の子、だもんね」


 言いつつ、守山さんも暑がるようにセーラーの胸元をぱたぱたさせる。


「暖房、効きすぎかな」


「いやそんなことないんじゃないか恥ずかしくて体温上がりまくってるだけで」


「あはは」


 ……やらかしたー!

 守山さんの鮮やかなフォローにマジレスドストレート。

 今なら創作ダンスだって踊れそうだ。もう何も恥ずかしくない。


「ちゃんと、徹くんの好みのもの、持ってくるね」


「俺の、好み?」


 はて好みと言われても、よくわからない。


「ほら、黒の」


「黒の!?」


「レースの」


「あるの!?」


「声、おっきい……」


 消え入りそうな声で守山さんがつぶやいているのに、俺は興奮をまるで隠し切れなかった。


 世界は広いなあ。


 あと、「おっきい……」だけにめちゃくちゃ反応してしまった。

 ふとした瞬間に何度も脳内リピートしそうでさえある。


「ある、っていうか、買い足して……やっぱウソ、忘れてください」


 教室では見たこともない、自信なさげに肩身を狭くして座る守山さん。

 なんというか、とても男心をくすぐられる。


 俺にあるのは男心なんかじゃなくてただの下心かもしれないけれど。


「けど、そっか、わざわざ買ったんだ」


「買う時は勢いづいてたけど、いまこうして改めて徹くんに言われると、すごく……もう、この話はナシ、終わり!」


「いやできればもっと聞きたいんだけど」


「……いじわる」


 きゅんときた。


 テーブルに胸を押さえて突っ伏さざるを得ない。


「だから、黒の、レースの、下着をね?」


「下着?」


 何の話、それは下着の話でした。


 あ、あ、あー、なるほどなー。


「『着替え』から、下着のこと連想したんじゃないの?」


「う、うん? そうだよ?」


 やばいめっちゃ目が泳ぐ。

 今なら世界記録も夢じゃない。


「徹くん」


「はい」


 鋭く呼ばれて、さすがに俺も背筋を正した。


 静かに威圧感をかもし出す守山さんが、対面に座っていた。

 今度こそ奇声を上げながら店を飛び出したい。


「何のことだと思ってたのか、教えてくれるよね?」


 この質問にだけは、まともに答えるわけにいかなかった。


 生まれてからこの方かつてない脳みそのフル回転を強いられた。





 そんなこんなで旅行に向けての打ち合わせは終わり。



 土曜日の朝、予定通り、神庭温泉に行くため、俺と守山さんは電車に揺られる。



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