第58話 入部が決まった日
「きみ一人なら、我が歴史科学研究同好会に入ってもらいたい」
守山さんとの健全な交際のため、学校において秘密の時間と場所がいる。
狐塚先輩が会長である同好会に入ることで、それが可能になる。
けれどそれは、俺ひとりでは意味がないのだ。
「あの、そうすると、守山さんは」
「彼女はだめだ。昨日のこともあるしね」
根に持ってらっしゃる。
そこまで守山さんが悪いことをしていなかった、と思う。
ただ、狐塚先輩の心のやわらかいところを守山さんが突いてしまったということは、かなりありえた。でなければ十八歳にもなって泣いて飛び出すなんてことしない。
「俺がよくて、守山さんはだめって、わけを教えてもらえませんか」
「私が求めてるのは同好会の活動をしてくれる子だよ。ここでいちゃつく子がほしいわけじゃない。けど、きみひとりなら」
口元をほころばせ、狐塚先輩は微笑む。
「私とふたり、楽しい活動ができると思った」
唐突に、教室のドアのほうで物音がした。
なんだろうと振り返ったところで、ドアは閉まったままだ。
「何の音でしょうか。ちょっと見てきます」
「いや、いい。山から下りてきた動物じゃないかな」
「え、タヌキとかですか?」
「放っておきたまえ。それより話の続きだ」
学校は標高こそ低いが、山に面している。
見たことはまだないけれど、動物が入りこんでくる、というのは聞く話だった。
「端的に言えば、きみが欲しいんだ、遠野くん」
今度はひっかくような異音が聞こえてきた。
音がしてきた方向は、やはりドアのほうだった。
「また何か妙な音が」
耳慣れない音で、なんだか恐ろしい。
狐塚先輩の言うとおり、本当に動物なんだろうか。
「あっはっは」
「笑ってる場合ですか。動物っていうなら、人に噛みついたりひっかいたり」
「放っておきたまえ。さすがに中には入ってこない。きみがケガをするだけだ」
確かに動物全般に嫌われるほうであり、ケガさせられるほうだ。
浮かしていた腰を落ち着け、狐塚先輩との話に戻る。
「あの、すみません、俺はあくまで、守山さんとの付き合いのためなら、ってことで同好会への入会を考えていたわけで。守山さん抜きとなると」
「そこをなんとか頼むよ。卒業までの短い間、私の孤独をなぐさめてほしいんだ」
「いえ、俺なんかが、そんな」
「催眠術だのドッペルゲンガーだの、まともに取り合ってくれて、こうして私の相手をまっすぐしてくれる生徒など、きみ以外にいない。きみだけが頼りだ」
「俺だけが頼りになるってことは、ないですよ。きっと他に誰かいます」
それだけは、間違いない宇宙の真理だとさえ言ってのけられる。
「だとしても、きみを欲しいという私の気持ちはわかってもらえるね?」
「わからなくも、ない、というくらいです」
「ありがとう」
むずがゆい。
前までの俺なら、もっと陰謀だの悪意だの考えていたかもしれない。
その考えが完全にないわけではない。
けれど、言葉通りの好意を受け入れてしまう自分も、いたのだ。
「ではさっそく入部届けを」
「けどやっぱり、俺は守山さんのために」
「守山嬢のことは一旦忘れてくれ。ただきみが、私を助けてくれるのかくれないのか。今の問いかけは、それだけなのだよ」
助けられるなら、助けたい。
用意がいいことに、さっと狐塚先輩は入部届けを棚から抜き取ってくる。
「俺なんかで、本当にいいんですか? 何もできないどころか迷惑かけますよ」
「構わない」
「不快にさせたり、怒らせたりはざらですよ」
「楽しくもなるだろうさ」
「オカルトなんて興味もないですし、理解できるほど賢くもないです」
「丁寧に教えるし、そこは私の努力するところだ。いいかい、遠野くん。繰り返すようだが」
ペンと入部届けを俺の前に置きながら、狐塚先輩がそばでささやく。
「きみがかわいそうな私を助けてくれる気持ちがあるなら、サインしてくれ」
すでに歴史科学研究会と、入部届けには書かれている。
あとはクラスと名前を俺が書けば、書類は完成する。
必要とされるなら、応えたい。
ペンを手に取り、
「ちょっと待って!」
ターン、と背後のドアが勢いよく開き、忘れようもない人の声が聞こえた。
「守山さん?」
「そのサイン、待ってください」
律儀に守山さんはドアを閉めなおしつつ、中に入って、近づいてくる。
「狐塚先輩、話は聞いてました」
俺からすると、背後に守山さんが立ち、正面に狐塚先輩が座っており、挟みこまれたかっこうだ。
ものすごく居心地が悪いというか、プレッシャーを感じる。
「品がないね。盗み聞きとは」
「たまたまです。たまたま」
「とか言ってほとんど最初から遠野くんのことをストーキングしていたのでは?」
「そんなことより。やり口がちょっと問題あるんじゃないですか」
「きみこそ遠野くんの自由を束縛するものじゃないよ」
「私は徹くんと束縛し束縛される関係でありたいと思っています」
「うわ話通じそうにない子だ」
顔を片手で覆い、狐塚先輩は短く息をつく。
「守山嬢、きみ、いつか徹くんをどうにかしそうだね」
「正直私も徹くんにどうにかなってるのでおあいこかなと」
「おあいこってどういう意味だったっけ?」
たぶん俺をめぐって繰り広げられる会話に、当事者の俺が入れなかった。
というよりどこで入ればいいんだろう。
「まあ、確かにちょっとよくない話の運び方だった。途中で、ドアの向こうに性格の歪んでそうな動物がいるのに気づいたものでね。意地悪させてもらったよ」
「ドアの向こうでなく、ドアのそちら側に動物がいたのでは?」
「すまなかったね、遠野くん」
守山さんを無視するように、狐塚先輩は俺に謝ってきた。
「いえ別に……謝られるようなことされましたか?」
「だとしてもいずれ償いはさせてもらおう。今度食事でもどうだい」
「さっきから狐塚先輩、何の真似です」
いつになく、守山さんは怒っているふうだった。
見たことがない、と言ってもいい。
そういえば守山さんが怒るところ自体、あまり覚えがない。
「私の徹くんにちょっかい出して! この泥棒猫!」
「堂々と恥ずかしいこと叫ぶねきみ」
俺としても、誰かに聞かれてやしないかとひやひやした。
「いいかい、きみの遠野くんへの執着はちょっと歪だよ」
「人を好きになることの、何がいけないんですか」
「好きになるのはいいことさ。けれど、きみはどうしてそこまで、遠野くんを好きなんだ?」
それは、俺がずっと投げかけるべきだった問いかけ。
けれど、問いかけることができてこなかった問いかけ。
ここで聞いてしまうのか?
何も口を挟まず、知ってしまうのか?
守山さんが口をつぐむ様子に、俺もまた口を閉ざしてしまった。
「人を好きになる理由、いりますか」
「いいや。私も遠野くんを気に入った。そこに理由があるかと言われればそうだし、なんとなくとしか言えない部分もある。そんなものだ。けれど、人は意味を求めるものだ」
「先輩に説明する必要、ありません」
「ああ、ないさ。ないとも。ただの、警告みたいなものさ。あと仕返し」
最後がメインではないんですかね。
とは、言わないでおく。
「遠野くんは確かにステキな男の子だ」
「当然です」
「いやそんなことないよ?」
全力でそんなことないです。
狐塚先輩のほめ言葉はありがたいし守山さんが認めてくれるのはうれしい。
けど世界中探してそんなこと言ってくれるひとここにしかいないと思う。
「こちらのことを尊重して話を聞いてくれる」
「人のために全力で尽くしてくれようともします」
「誰かをかばい、誰かのために思いやることができる」
「弱さを知り、強さを知っている人です」
「助け合いを、深く身につけている」
「どこまでも優しいんです、徹くんは」
「もうらめぇ……」
そんなにほめないで。
そんなんじゃないから。
めぐむがこれ聞いてたら鳥肌立てた上に悲鳴上げて転げ回るレベル。
「きみの彼氏は、実にかっこいい男の子だ」
「わかっていただけていて彼女として鼻が高いです」
なんだこれ。
何が目の前で起こっているのかわけがわからない。
ケンカの雰囲気がなくなってよかったけども。
今度は違う意味で俺にとって厳しい展開になってる。
「だから、守山嬢」
「なんです狐塚先輩。何でも言ってください」
いつの間にか、美しい和解の光景が繰り広げられていた。
こうなったらもう安心だ。
狐塚先輩と守山さんは過去を乗り越え、豊かな関係を持っていく。
そんな予感がした。
「遠野くんを我が同好会にくれ」
「いえそれはだめです」
まあ俺の予感なんて外れるものだ。
「徹くんは私の大切な彼氏なので、理解者である狐塚先輩にはちょっぴり心苦しいですが、徹くんとの時間はさしあげられません」
「もちろん、守山嬢も入会してくれて構わない。部活中は過度の接触と、私の無視を禁じさせてもらうけれどね」
やっぱ根に持ってらっしゃった。
しかし、守山さんの入会も認めるとは、どういう心変わりだろう。
「どういうことでしょうか。いえ、入会するつもりはないんですけれど」
「まあまあ、少し耳を貸してくれ」
なぜか狐塚先輩は、俺に聞こえないよう、守山さんを手招きしてそばまで来させると、何事かささやきはじめた。
秘密めいていると同時に、どこか背徳的でもある。
隠し事されているのはともかく、ちょっとずっと見ていたくなる。
話の内容は、守山さんの表情の変化から推測するしかないが……。
最初は難しそうなものになり、次に驚いたものとなり、終わり際にはまったくの無表情になった。
「……わかりました」
「いやあ、よかったよかった」
「何の話してたんですか?」
うまくまとまったらしいが、秘密にされた手前、気になってしまう。
「な、なんでもない。なんでもないよ?」
なんで顔を赤らめてるんですか守山さん。
「狐塚先輩、まさか」
「うん? もしかして、悟られてしまったかな?」
「さっきの間に守山さんを口説き落としたと?」
「間違ってないがきっときみの考えは間違ってるね」
日本語、難しい。
「違うの徹くん。狐塚先輩は確かに尊敬できる人だけど」
あっれー?
狐塚先輩の心変わりもそうだけど、守山さんの変化も不思議だった。
「私は徹くんが好きで、大好きで、愛してるから、先輩の話を受け入れたんだってことは、わかって」
「いや、えっと、ありがとう。俺も好きで、大好きで、愛……してる」
最後のほうは恥ずかしくてごにょごにゅ言うことになってしまった。
「え? 何? もう一回愛してるって言って?」
「それ聞こえてたやつ!」
困った守山さんだった。
「きーきーたーいーなー」
腕を引っ張られて、守山さんにねだられる。
くそうかわいいなあ。
「だから、愛し、てます。守山さんが女子を好きになっても、俺は守山さんに奉仕したい気持ちは同じだ」
「気になるところはあるけどうれしい! 今夜うちでパジャマパーティしよう?」
守山さんが喜んでくれて俺もうれしいけど、守山さんのパジャマすごく見たいけど、どこかおかしな話になってないですかね。
と、俺が困惑していたところで、狐塚先輩がわざとらしく咳払いする。
「あ、すみません狐塚先輩。私、つい」
「まあ、追い追いね。すぐに完全に守られるとも思ってないさ。で、どうだろう。守山嬢と遠野くんは、我が同好会に入ってくれるということでいいかな」
「はい」
「俺は、守山さんがいいなら」
話はよく見えないが、俺は俺より守山さんのことを信じている。
こうして、歴史科学研究同好会への入部が、よくわからないまま決定した。




