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第57話 衝撃的な一言

 その日、十五分ほど待ってみたものの、狐塚先輩は戻ってこなかった。


 開けっ放しにしておくわけにもいかず、職員室で鍵を借りて締めておくはめになる。変わった人だったね、とは守山さんの言葉である。


 これで終わった、ということでいいんだろうか。


 ちなみに一緒に帰りたがる守山さんを説得するのに十分ほどかかった。


 そして、どうにもすっきりしない。

 狐塚先輩の提案はなるほど魅力的なものだった。

 そもそもいつか、どこかで、守山さんと恋人らしいことをしたいのは、俺も同じなのだ。

 ただ健全な付き合いをしていきたい、できれば周囲に知られたくない、見せつけるようなことをしたくない、といった事情から、秘密にするということを俺はしている。

 そのいびつさで、守山さんにはムリをさせているけれど。


 秘密なんて、持たないに限る。特に俺みたいなやつは。

 守山さんも俺も、結局ムリをしてしまってるということか。


 入部して部室という場所を提供してもらえるというのは、いい話だ。

 はじめに提案されたとき、メリットがわからなくて拒否ってしまったけど。


 だから俺は、木曜日の放課後、歴史編纂室の前に立っていた。

 けれど立って、入ることもノックすることもできず、立ち尽くしていたのだ。


「何か用かい?」


 びっくう、と驚いてしまう。

 部室の中にいると思っていた狐塚先輩が、すぐ横にいた。


「なんだい遠野くん。そんなに驚かなくてもいいだろうに」


「ど、どうも」


「はいこんにちは。で、何か用か、と私は聞いたわけだが」


 そう言う狐塚先輩こそ、きょろきょろと見回して何のつもりなのだろう。


「彼女は来ていないのか?」


「彼女?」


「守山嬢だよ。来ていないならそれでいいのだが」


「ここには、俺ひとりで来ました」


「ならいい。で、立ち話で済む用事かな? でなければ中に入りたまえ」


「し、失礼します」


 狐塚先輩を立たせっぱなしというのも気まずい。

 昨日と同じように、部室奥の長机で、座って話をすることになった。


「改めて、用件は?」


「とりあえず、その。昨日は、すいませんでした」


 謝らないことには、話が進まないと思った。

 出てけ、とまで言われたのだ。

 実際に出ていったのが狐塚先輩のほうだったのはともかく。


「昨日?」


「守山さんが、先輩に失礼なことを言ったみたいで」


「一体きみは何の話をしてるんだ?」


「え?」


 何度となく味わってきた。話が噛みあわない感覚。

 それでも、あんなわかりやすく衝撃的なことで、すれ違うだろうか。


 狐塚先輩の眉間にしわを作る様子には、嘘も感じない。


「守山嬢とそもそも昨日話した覚えすらないのだが」


「やだなあ先輩、昨日涙目でここを飛び出していったじゃないですか」


「知らないな。おそらくそれは私ではない」


「えと、あなたは、狐塚先輩、ですよね」


「いかにも私は狐塚玲衣だ」


「双子なんですか?」


「私は双子ではない。秘密の生き別れがいるかどうかは知らないがね」


「けど確かに、昨日……」


 神妙そうに狐塚先輩はうなずいたかと思えば、人差し指を立ててみせ、


「おそらくドッペルゲンガー、というやつではないかな」


「ドッペルゲンガー……聞いたことがあるようなないような」


「ドッペルゲンガー。双子でも血縁でもなく、当人にそっくりな人物が、当人の知らない場所で目撃されるオカルト的存在だ。得てして当人の死期が近いとか、当人に迷惑をかける行いをすることで知られる」


「昨日俺が話したのも、それだと?」


「私は涙目で飛び出していくことなんてしない。しないったらしない」


「なるほどあんな醜態をさらしたのも迷惑なドッペルゲンガーだと」


「醜態……っ!」


「え、ドッペルゲンガーだったんですよね? どうして狐塚先輩がそんなにショック受けてるんですか? 昨日のは狐塚先輩じゃなくそのドッペルゲンガーだったのにどうしてです?」


「なんでもない、なんでもないとも!」


 狐塚先輩は笑っているような泣いているような、そんな感じだった。


「しかしまさか学校でそんなものを見ることになるとは……」


神秘オカルトというものは、ふとした時に顔を出すものだよ」


 つまり昨日会ったのは狐塚先輩でなくそのドッペルゲンガーだということ。

 ならば、狐塚先輩は昨日のことなど知らないし、謝ってもしょうがない。


「じゃあ、入部するなんて話をしても、わかってもらえませんよね」


「入部? きみと守山嬢がか?」


「まだ確定ではないんですが、入部許可をもらえるかどうかを聞いておきたくて」


「うーむ」


 あごに手をやって、狐塚先輩は考え込むふうだった。


「先日、めぐむ嬢と話してね。私は新入部員が欲しい。きみたちは学校で時間と場所を共有する口実が欲しい。ならばきみたちが歴史科学研究同好会に入るというのは、私もきみたちもありがたい、ウィンウィンの関係、になるはずだった」


「はず」


「そう、『はず』だ。けれどそこに認識のずれがあったようでね。てっきりそこそこは私の趣味に付き合ってくれるものと考えていたのだけれど、昨日話していると私がむしろ邪魔者みたいではないか。とても悲しかった」


「それは、なんというか、本当にすみませんでした」


「いや、きみが謝ることではない。あの様子だときみも苦労しているんだろう?」

「苦労だなんて。俺は、守山さんと付き合えて本当にうれしいんです」


「確かに見た目も中身もおおむねできたお嬢さんのようだ。しかし、目立つ欠点もある。昨日話した限り、節度、というものが足りないように見受けられたが」


「自分の好き、に正直なだけだと思いますし、俺としても悪い気分でもない、のが困ったところでして。のろけみたいですが」


「紛うことなきのろけだな」


 笑う狐塚先輩につられて、俺のほうも笑ってしまう。


「守山さんが突っ走ってしまうところがあるのはともかく、俺にとって本当にありがたい人なんです。俺だって、守山さんと仲良く過ごしたくて」


「その突っ走るところが、実際困ってるわけだろう?」


「まあ、そうなんですが」


「部室で一体何をする気だったのか、あえて昨日は言及するつもりもなかったが、今にして思えば、温泉旅行ペアチケットはアレだな、余計だったな」


「どうしてです?」


「ふたりきりの旅行で、守山嬢がきみに肉体的アプローチをかけまくるのが火を見るより明らかではないか」


「あっ」


「気づいていなかったのか?」


「いや、守山さんの湯上り姿を見られる、くらいにしか」


「男子高校生的欲望に正直で結構だが、もう少し危機管理意識を持つべきだ」


「悪いほうに考えるのは得意なんですが、うっかりするのも得意でして」


「だめだめじゃないかそれ」


「ですよね」


 わかりきっているんだけれども。


 しかし昨日のことはそういうことだったんだな、と納得した。

 同時に、別のことにも気づいた。気づいてしまった。


「あれ、昨日俺が会ったのは狐塚先輩のドッペルゲンガーですよね? なんで昨日のことを知ってるんです?」


 和やかだった狐塚先輩の表情が、ぴしりと凍りついた。

 そのまま黙って先輩はノートを取り出し、でかでかと漢字二文字を書き出す。


 『空気』


「遠野くん。これ、読めるかい?」


「そらき」


「これはね、空気くうき、と読むんだ」


 優しい眼差しで狐塚先輩が教えてくれた。

 いやあ、勉強になるなあ、なんて。

 さすがに漢字の読み方は知っているけれど、空気の読み方はよくわからない。


 つまり、狐塚先輩は昨日の痴態をなかったことにしたかった。

 そこでドッペルゲンガーを持ち出すことで解決しようとしたのだ。

 痴態をさらしたのは狐塚先輩でなく、ドッペルゲンガーだとするために。


 もしかしたら俺が空気を読んで、昨日会ったのはドッペルゲンガーだったかのように話すことを期待されていたのかもしれないが、


「あいにくそれをまともに読めたことってあんまりなくって」


「うん、なんとなくわかるよ」


 遠い目をして、狐塚先輩は息をつく。


 何度言われたことか、『空気読め』。

 どうやって読むんだそれ。


「私もあまり得意ではなくて、人のこと言えたものではないけどね」


「狐塚先輩なら大丈夫ですよ」


「きみに言われても信頼性に欠けるが……まあありがとう」


「いえいえ」


「それで、入部許可のことなんだけれど」


「そういえばそんな話もありましたね」


「きみが言い出したことだよ。結論だけ言えば、きみたちふたりに私個人は許可を出したくない」


「仕方ない、と思います」


 同好会に入る動機が不純、というよりまったく道を外れている。

 果てはまともに同好会で活動する気もないなら、当然すぎた。


「いっそ幽霊部員なら歓迎するんだけれどね。この同好会は幽霊部員が八割だ」


「残り二割もきちんと活動してるんですか?」


 昨日も今日も、狐塚先輩以外見かけていない。


「私がその二割だ」


「同好会は五人からだから、ああ、なるほど」


「つまらない見栄だと笑ってくれていいんだよ」


「つまり狐塚先輩がぼっちで活動しているだけの同好会なんですね」


「確かにそうだが傷をえぐってくるのはやめてくれ!」


 叫びながら狐塚先輩が長机を叩く。


 また余計なことを口走ったらしい。

 コミュニケーションって難しい。


「えっと、すみません、でした。申し訳ありません」


「私のほうこそ、取り乱してすまない。きみは事実を言っただけだ」


「ただ、ということは、部員は欲しい、んですよね?」


「実のところ、きみ一人なら、入ってもらいたいと思ってるんだ私は」



 それは、衝撃的な一言だった。



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