第56話 謝罪と勧誘
狐塚先輩の言う部室とは、案の定、歴史編纂室のことだった。
手狭な部屋で、俺と守山さんは隣り合う形でパイプ椅子に座っている。
狐塚先輩は窓枠に腰かけ、いささか斜に構えてこちらと向かい合っていた。
「さて、まずは謝罪だ。この通り、すまなかった」
深々と頭を下げる狐塚先輩だったが、守山さんの不満顔はそのままだ。
「何について謝罪されてるんですか?」
「遠野くんがきみに、守山嬢に催眠術をかけた、と疑ったことについてだとも」
「初耳ですし、またとんでもない疑いをかけたものですね」
守山さんに腕をつかまれ、というか抱かれた状態で、俺は話を聞くことになる。
「歪んだものの見方だったことは認めよう。オカルトの臭いを感じると、どうしてもね。『ある』と思ってこそ、見つかることはあるのだから」
「結果的にないものをあると思いこんだのでは本末転倒なんじゃないですか」
「返す言葉もない。ただ、遠野くんが非道な行いをした、などと責めるつもりも侮辱するつもりもなかったことは、わかってもらいたい」
「俺としては別に、気にも留めてなかったんですけどね」
アンジュに言われて初めて、侮辱だったのかもな、と考えたくらいだ。
「そもそもさほど私は催眠術をかけることが非道とは思ってなくてね」
「何を、言ってるんですか。催眠術なんて便利――いえ興奮――いえ背徳的な!」
「非道で背徳的なのは理解する。しかし、さほど実害があるのかな」
「な――」
「ああいや違う。こんな話をしたいんじゃない。謝罪の次、償いの話だ」
机の下にあった鞄から、狐塚先輩は茶封筒を取り出し、中身を出してみせた。
「冬の温泉旅館へのペア旅行券」
「……それが?」
「償いとして、これを進呈したいと思ってね」
机の上を滑らされ、目の前に一枚の旅行券がくる。
それと狐塚先輩の顔を、俺は見比べた。
「ふたりで行ってくるといい。侮辱したなどと、誤解される言動をしたお詫びだ。もらいものだから気にしなくていい」
「ふたり、ふたり、きりで?」
わかるだろう、と言わんばかりに狐塚先輩は優しい眼差しをしていた。
「その、ありがとうございます」
「どうもありがとうございます」
守山さんと俺が礼を口にすると、狐塚先輩は首を振る。
「礼を言われることじゃない。それと、償いというのはもうひとつあるんだ。もちろんきみたちさえよければ、なんだが」
妙に照れた感じで、狐塚先輩は歯切れが悪かった。
「別に償いとか、俺はそもそも求めてなくて、この旅行券だって別に」
俺が返そうと旅行券に触れた瞬間、守山さんによって物理的に止められた。
「突き返すのは、失礼に当たると思うな」
「そう? そっか。ありがとう守山さん、教えてくれて」
「ううん、気にしないで」
「なんだかきみたちの関係性がよく見えてきた気がするよ」
ひとり繰り返しうなずき、狐塚先輩は納得したふうだ。
何が何だかわからないが、特に問題なさそうでもある。
「正直償いになるのかは別だがね。これは提案だ。きみたち、歴史科学研究同好会に、私が会長をやっている同好会に入る気はないかい?」
「ないです」
「ありません」
「もうちょっと迷うそぶりをしてくれてもいいのだよ?」
顔を覆って狐塚先輩は泣く真似をしだした。
簡単に泣くような感じの人ではないので、あくまで静観しておく。
「……話は最後まで聞きたまえ。きみたちにとってもメリットがあることなのだ」
「私としては今後一切遠野くんの百メートル圏内に近づかないようにしてもらえればそれで十分なんです」
「それやると私が学校に来れなくなるのだけれど」
守山さんの無茶な要求に、狐塚先輩はげんなりとしていた。
「あの、それでメリットというのは?」
「ん? ああ、きみたち、付き合ってるのは表向き秘密なんだろう?」
「そのはずです」
ちょいちょい守山さんが突っ走ってしまうのと、俺がぼろ出すの以外では。
「しかし学校で一切、クラスメイトのふりも厳しいんじゃないか」
「秘密の関係プレイはときめくのでいいかなと」
「隣の彼氏がお腹が痛そうだがいいのかい?」
「大丈夫徹くん!? 保健室のベッドで横になる?」
「あー、大丈夫大丈夫。すぐ収まるから」
秘密ということで守山さんが大人しくしてくれるようになってるのは確かだ。
けれど、別にバレたって構わない、というスタンスでもあるのだ守山さんは。
「委員会が同じということだが、もっと学校で親密に過ごせる時と場所が欲しいとは思わないか?」
「……保健室?」
「虎谷先生がかわいそうだからやめておきたまえ」
生徒のカップルがいちゃつく場所にされては、養護教諭の虎谷先生も困るだろう。
「ここだよ、ここ。歴史科学研究同好会の部室」
「けど狐塚先輩がいるんですよね?」
人差し指をあごに当て、守山さんはかわいらしく首を傾げている。
対する狐塚先輩は安心させるように微笑んでいた。
「私は別に秘密をもらしたりなどしないよ。自由に使ってくれたまえ」
「いえ、想像してみてください。私と私の徹くんと、狐塚先輩がいるこの狭い空間を」
「うん……うん? 今まさに、その状況だね?」
「狐塚先輩のことを無視して徹くんと好きに過ごしていいってことですよね」
「……なっ、なんてひどいことを考えるんだきみは!?」
「だってそういうことじゃないですか!」
彼氏彼女が人目を避けて過ごすための場所を提供する。
ならば、その提供者が邪魔者になっているようでは話がおかしくなる。
すれ違ってるなあ、と思いつつ俺はできるだけ口を閉ざしておくことにした。
話をこじらせる自信はあっても丸く収める自信はない。
何より守山さんの温もりと柔らかさを脳に刻みつけるので忙しかった。
「わた、私は、ここの会長だぞ。部室の主といっていい。それを無視? 三人きりしかいない空間で一人だけ無視? しかも二人は仲むつまじく談笑? 性格悪いんじゃないのか、何が百十二期生の天使だ、とんだどす黒い悪魔だよ! 我が部にぴったりだな!」
「何をわけのわからないことおっしゃってるんですか? それでもひとつ、訂正させてくださいね」
今日も守山さんの笑顔は素敵だなあ。
そしてそろそろ外も本格的に冷えてきたなあ。
反対にこの教室の中はヒートアップしているけれど。
「談笑するだけでは済みません」
「ここで何をする気だこのビ――」
さすがに狐塚先輩も口をつぐんだようだったけれど。
なんとなく何を言おうとしていたかは見当がつく。
俺も同じことを考えたことがあるのだから。
「遠野くん、きみも彼氏だろう、彼女をしかるべきところで止めるのが使命というものだ。何か言ったらどうなんだ」
傍観を決めこんでいたら狐塚先輩から飛び火してきた。
あー、やっぱりこっちにも来るよなあ。
ここはびしっと言っておかなければるまい。
「俺に何か期待したならそのハードルの下を見事くぐり抜けてみせましょう」
狐塚先輩の時間が少し止まったようだった。
「……おっ、おう? ん? ダメじゃないかそれ!」
「そう、俺に期待したらダメってことです」
「あの、狐塚先輩」
「なんだね守山嬢」
「徹くんのこと悪く言うのやめてもらえますか?」
「遠野くんが自分で言ったことだぞ……?」
複雑な顔をする狐塚先輩に、守山さんは断固とした口調で返した。
「徹くんはいいんです。狐塚先輩が言うのは許しません」
「さっきからひどくないかきみぃ!?」
頭を抱える狐塚先輩に、いたく共感してしまう。
もしかしたらこの先輩とは仲良くなれるかもしれない。
それはそれとして見捨てよう。
俺にできることはあんまない。
急に狐塚先輩は真顔になったかと思えば、
「出てけ」
「は?」
「出てけー! ここは神聖にして邪悪なオカルトの探求の場所なんだ! 天使の顔した悪魔とその彼氏にはぴったりだが帰れ!」
よく見たら狐塚先輩、涙目である。
「もう頼まれたって同好会に入れてやるものかっ!」
結局のところ、先に出ていったのは狐塚先輩のほうだった。
どうしたらいいんだ、これ。




