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第54話 また明日、と狐塚先輩は言った

「俺に催眠術を教わりたいって……」


 俺と守山さんが付き合っていることは秘密だ。

 その秘密を守る条件として狐塚先輩が出してきたのは、俺が催眠術を教えるというものだった。


「一体何の話をしているんですか」


「だからこそ順を追って話をしておきたかったのだがね」


 お茶を一口含み、狐塚先輩は唇をしめらせる。

 そのしぐさに、どこかなまめかしい自分が少しうらめしい。


「遠野くんと守山嬢が交際していることを、私は、日曜日の電車内で確信した」


「電車……?」


 日曜日のことが思い出される。

 そういえば、駅のホームでこちらをじっと見てくる少女がいた。

 学校の先輩ではないかという結論になったが、放っておいてもいいとも判断していた。その因果が、いまこうして巡ってきている。


「もしかして、あの駅のホームでこっちを見てきていた人が」


「ああ。電車内でえらくいちゃつくカップルがいるものだと思ってね。それに記憶との符号も見られた。かわいい変装をしていたようだが、印象を変えてもそもそも私は印象というものを持ってない。顔を見たことがあるか、ないかだ」


「先輩がた、電車で何してるんですか」


「そんな別にいちゃついてはなかった……はずだ」


「まああの守山先輩ですからね。独占欲まる出しなのは目に浮かびます」


「だがそのカップルは不自然に感じた。何より、遠くにいても聞こえてきた、きみたち二人の会話における、『催眠術』というキーワード」


「どういう経緯でそんな単語を口走るんです」


「いや……すっかり忘れた」


 そもそもそんな言葉を口にしたのかあやふやだ。


「今日一日で、少しだけ遠野くんと守山嬢について聞いたよ。恋愛の前に、理由などあってないようなものだ。しかしそれにしても付き合うには、釣り合いが取れているようには思えない」


「まあ当然ですね」


「とっとと別れるべきです」


「そこまで言うことはないんじゃないかな……?」


 自分で言い出したことなのに、狐塚先輩は自分の理屈を訂正しにかかる。

 さっきからユニークでどこかわかりにくい人だ。


「付き合うはずのないふたり。しかし、催眠術という概念がこれを結びつける」


「つまり、遠野先輩が、守山先輩に催眠術を使って惚れさせた、と?」


「その通りだ」


「ありえますね」


「いやありえないだろ」


 催眠術なんて使えない。

 そもそも、催眠術なんて科学で否定されている。


「科学とは再現可能なものを突き詰め、より正しい法則を導く学問だ。決して、何かをありえない、と断言することはできないよ。ありえないと判断することはできるけれどね」


「な、なるほど」


「遠野先輩、ぜったいわかってないですよね」


 よくわかった、たぶん俺は狐塚先輩が苦手だ。

 難しい話をするので、ついていけない。


「そこまで難しいことはおっしゃってないと思いますが、まあ遠野先輩ですからね」


「そうです、もっとわかりやすく話すようにしてください」


「……努力しよう」


 間違っていたのは俺だった、この人はいい人だ。

 俺にわかりやすく話そうとしてくれるならそれだけで尊敬せざるを得ない。


「遠野くん、きみは催眠術を使えないと?」


「使えませんよそんなの」


「しらばっくれなくていい、私も言いふらすつもりはない。ただ、催眠術を教わりたいだけなのだ」


「知らないものをどう教えろって言うんですか」


「遠野先輩は知ってるものでさえ満足に教えられない人ですよ」


「それな」


「どうしても、教えてくれないというんだね?」


「だから教えるも何も、できないんです」


「だがそれ以外に、きみたちが付き合っている理由が説明できないだろう?」


「確かに……?」


「ぐうの音も出ませんね」


 俺もアンジュも、狐塚先輩の完璧な論理の前に先入観が壊される。


「無自覚に俺は催眠術を用いていた……?」


「遠野先輩のエキセントリックな言動が結果的にそうなっていた可能性も否めません」


「くっ、俺は守山さんになんてことを……!」


「すぐに遠野先輩は守山先輩と別れるべきです」


「けど、まず俺は償わないと」


「それは遠野先輩が人間的に成長しないと始まりません」


「成長して、どうなる?」


「ちゃんとした償いができるようになるとは思いませんか」


「頭いいなアンジュ、伊達に眼鏡はかけてない」


「眼鏡は関係ないですが、褒め言葉は一応受け取っておきましょう」


「あの、ちょっといいだろうか」


 わざわざ挙手して、狐塚先輩が声を上げる。


「私のことも構ってくれ。あと、すると私はどうやって催眠術を学んだら?」


「本を読んで勉強されればいいんじゃないですか」


「そんなことはとっくにしてきたさ。だが一向に、成果はない」


 ユニークな人とは思っていたけれど、はて。


 普通の人は、催眠術を実践しようとはしない。やろうとしても今の狐塚先輩のように、ああまで熱心にはならない。


「身内に試したり自己暗示したり、本を読んだりセミナーに行ったりしたが、まるでダメだ。どれも実践心理学の応用かただのインチキだった」


「きっとどこかに本物があるんじゃないですか」


「そう! 今まさに、私の目の前に、無自覚とはいえそれを成し遂げた人間がいる!」


「は?」


 急に目を輝かせだした狐塚先輩は、立ち上がって俺の両手を握ってきた。


「ぜひきみのことを研究させてくれ! 私のことを助けると思って!」


「俺なんかが人を助けられるならそうしますけど、どうしたら?」


「きみには特別何か求めない。ただ、観察と聞き取りをさせてほしい」


「それが、研究、ですか」


「ああ。手始めに、できる限り長い時間、きみのそばにいさせてほしい」


「ちょっと待ってください」


 物理的に割って入ってきたアンジュが、俺と狐塚先輩に手を離させる。


「催眠術なんてあるわけないでしょうが」


「どうしたんだアンジュ急に! ついさっき狐塚先輩に真実の世界を見る眼を開かせてもらったじゃないか!」


「先輩は金輪際宗教とうまい話には近づかないようにしてくださいね」


 俺から狐塚先輩へと、アンジュは話の対象を変える。


「正気ですか狐塚先輩。まさか本気で催眠術があると?」


「あるかもしれず、私はそれを追い求める人間だよ」


「バカバカしい。そこの底抜けに阿呆な先輩はやりこめられても、私は引きませんよ。遠野先輩と守山先輩を別れさせる好機と思って話に乗りましたが、今度はあなたが邪魔になってくるのならそうはいきません」


「お前、こりてなかったのな」


 しもっちゃんに叱られてべそかいてたのは何だったのか。


「バレなければいいんですバレなければ」


 ぜったいバレるやつの言い草じゃん。


 狐塚先輩は腕組みし愉快そうに、


「ふふ、かけたのは一人とは限らないと思っていたが、アンジュ嬢まで催眠にかけていたとはな」


「うわあ張り手かましたい」


 暴力はいかんぞ暴力は。


 殴るなら俺にしとけ。


「私のことはどうでもいいです。とにかく狐塚先輩、遠野先輩に関わらないでもらえますか」


「そうはいかない。せっかく見つけた手がかりなのだ」


「一体どうして催眠術にこだわるんですか。かけたい相手でも?」


「いや、今のところそのような対象はいないな。話し合ったほうが億倍ましだ」


「じゃあ催眠術なんていらないでしょう」


「確かに取り立てて催眠術に入れ込んでいるわけではない」


「あー、それはよかったです。それじゃ遠野先輩、おいとましましょうか」


「待てアンジュ」


 汚いものでもつまむように、アンジュに袖をつままれて連れていかれかかる。

 だが、聞いておくべきことがあった。


「オイトマ、って何だ」


「いいから行きますよ」


 オイトマが何なのかは確かにいいにしても、だ。


 狐塚先輩の反応は気になる。


「ああ、私のことは気にしなくてもいい」


 穏やかな笑顔で、彼女は手を振っていた。


「また明日」




 つまりはそういうことだ。



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