第52話 ユニークな先輩
「お前が、俺を、歴史編ナントカ室まで連れて行ってくれるまで、つきまとうのをやめない!」
「いやほんとやめてください勘弁してください」
生真面目でまっすぐすぎる眼鏡後輩に、俺はからみ続ける。
ウザがらみし続ける!
「はあ、もう、案内するだけでいいんですね」
「ちょっろ」
「ぶっ飛ばす!」
人を怒らせることは大得意な俺だった。
めぐむに割りとやる手ではあるのだが、アンジュにも有効らしい。
何ならめぐむよりよっぽど効果ばつぐんだ。
たぶんアンジュはめぐむより単純……いや直情的……いや、ゴリラ脳なのだ。
一方、俺は生まれたての小鹿か子牛みたいになっていた。
いい拳だ。お前ならきっとその右ストレートで天下を取れる、かもしれない。
「せ、先輩、本気で当てるつもりは……すいません、というか当たりにきませんでしたか?」
「き、効いてないし。後輩の女子のパンチなんかで俺の腹筋は破れ――やっぱきっつい」
立っていられず、俺は膝をつかされた。
「先輩!」
「いいパンチだった。何度もボコられ経験のある俺だが、アンジュのは効いたぞ」
「そんな、やめてください、ガチに気持ち悪いので。保健室行きます?」
「虎谷先生、受け入れてくれるだろうか……」
「無視してマイン○イーパやってるんじゃないですか」
「やっぱそうか?」
というか虎谷先生、不真面目ぶりを一年のアンジュにも知られてるんだな。
クビになったりしないんだろうかあの人。
「ほんとに大丈夫ですか?」
「あー、うん。殴られるのは慣れてる」
さっきああは言ったが、やはり年下の女子の拳だ。しかも本気でなかったというし、たまたまみぞおちに俺がクリーンヒットされにいったまでだ。
回復するのに三分とかからない。
「よしじゃあ歴史編纂室に行くぞアンジュ」
「まだ同意してないんですけど」
「うっ後輩に殴られた腹が痛い」
「卑怯ですよ!」
俺なんか別に無視すればいいのに、アンジュはついてきてくれるようだ。
ちょっろ。
「先輩って、普段ダメなくせに人に頼るときは要領よくないですか」
「何言ってんだ普段ダメだから人に頼るのがうまくなるんだろうが」
「知りたくなかったですそういうの」
太陽や雨のにおいが何なのか、知りたくないよな。
渡り廊下をアンジュと並んで歩いて話す。
「で、アンジュ」
「話しかけないでください」
「聞いたことあるか。人の嫌がることを率先してやれって言葉」
「先輩は間違いなく悪い意味で実践してますね」
そんなつもりはなかったりするんだが、どうしてもやってしまうことがある。
性格の問題でなく、能力の問題だ。
「便所メシってやっぱきついよな」
「私が経験あって同意するかのような話の振り方やめてくれます?」
「臭いもあるけど、やっぱ衛生的じゃないし、食ったもの出すことまで想像するし、上から水ぶっかけられることもあるし」
「ちょっと、私を泣かせたいんですか……?」
「こ、これは友だちの話なんだけどな?」
「こんなに悲しい嘘、初めて聞きました」
「で、その友だちがな」
「私は優しいですから付き合ってあげますけど、二度とないですからね」
「友だちの話だよ」
「先輩に友だちいましたっけ。あ、一方的な友だちでも空想上のお友だちでもなく」
……っ。
「便所メシってやっぱすげえ辛いって俺は経験して思ったわけだ」
「ついに開き直りましたね。無意味ですが」
話しているうちに、歴史編纂室の前まで着いた。
こんなところがあったとは、まるで意識しなかった。
「で、便所メシの話の続きなんだけど」
「まだやるんです? ていうか私もう帰っていいですよね」
しかし俺の粘着ディフェンスは続く。
心底蔑むような表情をアンジュから向けられた。
「ほんともう、いい加減にしてください」
「うっ腹が痛い」
「だから卑怯ですって!」
罪悪感に訴える手がまだ通じるとは。
いつかアンジュがろくでなしな男に騙されそうでかなり心配だ。
今まさに騙されているが。
「便所メシをするには職員トイレが一番いい、という結論に至ったんだよ」
「将来絶対に役立たないムダ知識をどうもありがとうございます」
「どういたしまして」
「一回殴るも二回殴るも同じですよね」
一人殺すも二人殺すも同じみたいなノリだ。
ついでに言うならそもそも俺を殴ってもなんら罪には問われないぞ。
「職員トイレはやっぱり先生が来るから、割りときれいにされてるし、生徒もまず行かないんだよな」
「はいはい、そうですね」
「だから、学校で泣きたいときに駆け込むのにも便利ってわけだ」
打てば響くように言葉を返していたアンジュが、急に止まる。
いや、急ではない。
なぜ止まったのか、俺にはわかる。
「だから、なんで、よりにもよって先輩が……!」
「何かあったか? 何なら俺がどうにかしてやろうか」
「何も、できないくせに」
「面池くんに土下座して頼み込むことはできる」
面池くんなら、面池くんならきっとなんかいい具合にうまいことやってくれる!
「先輩のそういうところ、ほんと嫌いです」
一部分でなく全部嫌ってくれても全然構わないぞ。
「助けはいりません。これは、私の問題です」
「そっか。強いな」
本当に。
誰かに助けてもらいたくて、けれど助けを求めることができなかった俺とは違う。
「これは、私が自分で解決しなきゃいけない問題なんです」
「アンジュならできるだろ。別にトイレで泣かなくてもいい」
「泣いて、なんか」
しゃべろうとすると余計泣きそうになるタイプのようだ。
「あーあー、わかったわかった。泣いてないもんなー? 目から鼻水出てるだけだもんなー?」
脇腹を的確に殴られた。
余裕あるじゃないか。
そして俺は呼吸の余裕があんまりなくなっていた。
「守山先輩と遠野先輩を、引き離そうとしたんです」
「何、お前、実は俺のこと好きなのか。早く言えよ」
すねを思い切り蹴られた。
おかげで廊下を転がって制服で掃除することになる。
悪気も怒らせるつもりもあったが、痛いものは痛い。
あと二度ネタなのでいつかもう一回やるから覚悟しとけ。
「泣いてたんじゃありません」
「俺のほうが今泣きたいことについてどう思う?」
「ただ、ちょっと、胸がつまっただけです」
「そのつつましやかな胸が」
「しもっちゃんに、引き離そうとしてることがバレて、それでちょっと叱られて、そういうところ嫌い、って言われて」
「俺を無視するのはいいがパンツ見えてるぞ」
顔面を踏まれた。
転がってたら見えてしまったのだから仕方ない。
「何ひとりで喋ってるんでしょうね、私」
「仮にも高校生なんだからもうちょっと大人っぽいの履いたらどうだ」
靴下が! 靴下が頬にねじこまれる!
わざわざ上履き脱いで踏んでくる点は甘すぎると評価してやろう。
「こうして先輩にひどい目に遭わされたのも、因果応報、ってやつなのかもしれません」
「物理的に酷い目にあっへるのは俺のほうな件について」
「やかましいですよ敷物は黙っててください」
さらに体重がかけられていく。
「まあ、ちょっと涙ぐんでしまって、職員トイレに逃げてしまった、というわけですよ」
「ふーん」
すっかりアンジュも元気が出てるみたいだし、これ以上ウザがらみする必要もあるまい。
ようやく踏まれるのから解放され、靴下の跡が残っているのを感じながら、俺は立ち上がる。
「なんだアンジュ、結局いじめられたんじゃないのか」
「いじめられてません。先輩じゃあるまいし」
「そうだな。俺じゃあるまいし」
「……ほんと、先輩と話してると、いらいらさせられます」
そうつぶやくと、アンジュは歴史編纂室のドアに手をかける。
「じゃ、いい加減入りましょうか」
「いやもうお前帰っていいよ。関係ないし」
「ほんと先輩と話してるといらいらさせられます!」
「照れる」
怒るっていうのは、期待の表れでもあるのだとどこかで聞いた。
「脅迫まがいの手紙をもらってるんですから、一人で行くべきじゃありません」
「そうなのか?」
「そうなんです。犯罪的なことには、秘密にせず複数で当たるのが、もっとも加害者側にとって嫌なことになるんですよ」
「さすがアンジュ、眼鏡かけてるだけはあるな」
「眼鏡は関係ないです」
なかったかー。
「いいから、行きますよ」
建てつけが悪いのか、ガタガタとさせながら、アンジュがドアを開ける。
歴史編纂室は、普通の教室の四分の一ほどしかない、細長い部屋だった。
左右と中央にスチールラックを本棚として設置してあり、夕陽に照らされる手狭な部屋は、何かが潜んでいそうでさえあった。
「やっと、来てくれたようだね」
本棚の向こういは長机があり、そのさらに向こうのイスに、女子生徒が座っている。
入り口からでは、本棚にさえぎられてよく姿が見えない。
だが、声も確かに女性のもので、詳しく言い表すなら――そう、凛としていた。
「ようこそ遠野くん。私が、きみに手紙を出した者だ」
イスの軋む音がする。
「私は、きみの知られたくない秘密を知っている。ついては、きみに聞きたいことがあり、こうして呼び出させてもらった。案ずることはない。きみが一人で来た勇気と、そして後ろめたさに敬意を払い、悪いようにしないと保証させてもらうさ」
イスに座っていた人物は立ち上がり、本棚の陰から姿をはっきりと現す。
見た覚えのない女子生徒だった。
校章の縁の色が青色だから、三年の先輩なことはわかった。
声のイメージ通り、凛とした雰囲気をまとった、胸のでかい――ん?
その女子の先輩は眉間にしわをよせ、手で『待った』をかけていた。
「遠野くん。きみ、一人で来なかったのかい?」
「どうしてもこいつが一緒に行くと言うもので」
「誰が! いつ! そんなこと言いましたか!」
俺にまともなコミュニケーション能力があると思うなよ。
「やり直させてほしい」
「は?」
「最初から、きみたちが入ってくるところからだ。てっきり一人で来るものと思っていたのだが、まったく、しょうがないやつだなきみは。ひどいことをする」
「はあ、すいません」
「ちなみにそっちの彼女は?」
「目代杏樹。自分の苗字がちょっとコンプレックスな正論眼鏡マシーン一年生です。アンジュって呼んでやってください」
「誰が正論眼鏡マシーンですか!」
「了解した。アンジュ嬢。ではやり直そう。一旦出ていってくれ」
居残ろうとするアンジュを連れて、俺は歴史編纂室に入りなおした。
すると、先輩は再び部屋の奥のイスに座っており、
「ようこそ遠野くん。そして、アンジュくん。きみたちが二人で来るのは、わかっていたよ」
なんだかユニークな先輩であることがよくわかった。
次回更新予定は明日5月13日です




