34.5話 看病(後)
テスト前に風邪をひいてしまったので、守山さんが見舞いにきてくれた。
オッケー、一万歩ゆずってこれはいい、ここまではいい。
よくわからないし自覚ないけど電話で助けを求めたらしいし。
そこで『は? マジキモイ』と言われて当然なところを、どういう心理であれ守山さんは来てくれた。頼んだものを買ってきてくれた。
しかし、『あーん』とすり下ろしたりんごをスプーンで差し出されているこの状況はどうしたことか。
わけがわからなかった。
「あの、徹くん? りんごですよ? 何も入ってないすり下ろしただけのりんごだよ?」
「いや別に何か入ってるのかと疑ってたわけじゃなくて」
すり下ろしたりんごに何か入っているとかいう発想がない。
はちみつとか? 塩とかレモンとか?
もしかすると守山家独特の食事療法があるのかもしれない。
俺が気にしているのは、あーん、のことだ。あーん。
甘えている、甘やかされている証拠じゃないか。
同時に、守山さんとすごく親しい関係になってるみたいな。
ダメだ。
それは、いけない。
けれど守山さんの純粋な好意を、台無しにするわけにはも――、
「い、嫌だったかな。ごめんね、それは私なんかにあーんなんてされたら嫌だよね?」
「そんっなわけないです!」
喉が張り裂ける? そんなもんいくらでも張り裂けてしまえくらいの勢いで叫んだ。
すぐさま差し出されていたスプーンにぱくつき、あーんを達成。
五臓六腑にりんごが染み渡るかのようだ。
なぜ俺はさっきまで拒んでいたのか、不思議でならない。
「この遠野徹、何百回だろうと守山さんに餌付けされる所存」
「ずっと私の手料理が食べたいなんて、そんな」
よし。
話がかみ合ってないことだけはわかった。
「まだちょっと早いと思うの。あ、ちょっとだけね? けど、そうだ、朝ごはんとお弁当と晩ご飯だけは私が通いで作るっていうのもありだよね?」
顔を真っ赤にした守山さんが不可解なことを呟いている。
とっくに守山さんは病気になってしまっていたんだ。
「守山さん、今すぐ帰ってしっかり食べてしっかり休んでくれ! いや救急車、救急車なのか!?」
「また徹くんはわけのわからないことばかり。救急車が必要だとしたら徹くんでしょ? まあ、入院になったって毎日お見舞いに行って、毎日ふたりきり……えへへ」
どうやら頭が沸いてしまっているらしい。
熱が頭に完全に回っているのだ。
手遅れ、という言葉が頭をよぎる。
俺の、せいで、なんてことだ。
取り返しのつかないことを、しでかした。
「ほら、ちゃんと布団かけて、いまお薬とお水持ってくるから。あ、お薬飲むためにコーラを買ってきてって言ったの? だめだめ、せめてお茶でね」
「守山さん」
「ひゃいっ!?」
守山さんの両肩をつかんで、一旦彼女の暴走を止める。
まっすぐ目を見つめ、誠心誠意伝えれば、きっとわかってもらえるはず。
「取りきれないかもしれないけど、ちゃんと責任は、取るから」
「せ、責任……?」
守山さんは目がうるみ、呼吸は荒く、顔は完全に茹で上がっている。
風邪の症状がここまでひどいとは。
「俺の人生、すべて捧げてでも、責任を取る。だから、全部じゃなくても、ほんの少しだけでも、許してもらいたいんだ」
「しょうがないなあ」
笑って、守山さんはエプロンを脱ぎ、上着も脱ぎ、ブラウスのボタンも外しだした。
「いやいやいやいや、ストップ守山さん」
「え?」
守山さんの手首をつかんで、無理やりにでも止める。
もうさっぱりわけがわからない。
「なんで脱ぐの?」
「き、着たままがいいの?」
「それは着たままのが、いや別に守山さんの肌が見たくないとかじゃなくて見たいんだけどああもう何口走ってんだ俺は」
「どっちなのかはっきりして」
「着、着たままがいいです」
「うーん、スカートだけは脱いでいい? 明日学校あるし」
ヴィッチ!
守山さんのヴィッチ!
最近の若者はここまで乱れておるのか!
「守山さん。自分は大事にするんだ。親御さんが泣く」
「何それ。徹くんから迫ってきたんじゃない」
「はあ???」
「えー……え?」
「熱で頭がいつも以上にだめなのかな、もう守山さんの言ってることは完全に意味不明なんだけど」
「せ、責任取るって言ったよね!」
開けたブラウスの胸元をかき寄せて、守山さんが叫ぶ。
「風邪を伝染した責任の話だよ!?」
「え、は、はー……?」
目を真ん丸にした守山さんは、その場にへたりこんだ。
放心状態、というやつだった。
「ご、ごめんなさい?」
とりあえず俺が謝ると、
「ほんとだよ!」
とキレられた。
けれど何を間違ったら、守山さんに俺が服を脱ぐように求めて、それが受け入れられる話になるのか、どんな奇跡が連発されたっていうんだ。
「徹くん」
「はい」
ベッドの上で正座してから、見下ろしてはいけないと考えを改めて、ベッドから下りて、守山さんと同じ床に正座した。
「一発、殴らせてもらってもいい?」
「百発でも千発でも、いくらでも」
「私が徹くんを殴れるわけないじゃない!」
「ごめんなさい!?」
まあ、そういうものか。
そうだよなー、守山さんは優しいもんな。
俺みたいなゴミカスに優しすぎる天上の女神だものなあ。
殴っても構わないし、殴られたところでまるで評価は揺らがないんだけど、さすが守山さん、底が知れねえぜ。
* * *
胃に食べ物が入ったところで、守山さんに薬と水を持ってきてもらった。
「粉薬じゃないけど、コーラじゃなくてお水で飲むようにね」
「別に薬をコーラで飲む気はなかったんだけど」
ホットコーラにして飲むつもりだった。
これが意外に風邪に効くのだ、原理はよく知らない。
素直に薬を飲んでおいて、一言つぶやく。
「治った」
「早すぎない!?」
「守山さんの看病あってこそ、薬が一瞬で効いたんだ。どうもありがとう、このお礼はいつか必ずする」
「そう言ってくれるのはうれしいけど」
守山さんの手が伸びてきて、俺の額の熱を測る。
「んん……ほんとに熱下がってる? 確かにこれなら、一晩寝てるだけで全快になりそうだね」
「ああ、だからもう大丈夫だよ守山さん」
「まだ看病したりないんだけど、もう一度くらい熱を上げられない?」
「無茶な」
気力で熱は下げられても、上げられる気はしない。
そんなことができたら小学生の頃は風邪にかかりまくって学校を休んでいたはずだ。
「なんて、冗談。順調に治ってるのはいいことです。あとはゆっくり休んで――あれ?」
枕元に置いていた暗記の一問一答本が、守山さんに見つかってしまった。
「これは何ですか、徹くん」
「それは本です」
「風邪をひいてるとき、これはいりませんよね?」
「それが近くにあるならよく眠れます」
「徹くん」
「や、すいません」
暗記本は、机の本棚へ差し込まれてしまった。
「風邪なら寝て治すことに集中しなきゃ。そもそも、どうして風邪をひいたの?」
「冬だからかなあ……」
「勉強のしすぎ?」
「いやあ」
「偏った食生活?」
「いやいや」
「ここ数日、近所のスーパーに行ってないよね」
「いいいい行ってますけど」
「行ってないね。で、つい先日、私の欲しがったぬいぐるみを取るために、ゲームセンターで青い顔してクレーンゲームやってたような。財布の中身を確かめてたような」
「ゲーセンに行くと男子はそうなるんだよ」
「これらのことを総合して考えると」
あごに人差し指を当てて考えていた守山さんは、苦い顔をした。
「私のせい、だよね」
「そんなことは絶対にないぞ、守山さん」
「これは私が徹底的に看病しないと」
「おかしい、何かが、おかしい」
嬉々として守山さんは目を輝かせている。
おかしいなあ、嫌な予感しかしないぞー。
「今日はお泊りしないとだね」
「か、母さんが帰ってくるから」
「いつも夜十時過ぎる、ひどいとき三日も帰ってこないこともある、んだよね?」
「そ、そんなこと言ったっけ?」
「大事な友だちの個人情報を忘れないって。安心して、お泊りセットは買ってきたから」
「その心配はしてなかった」
俺の家に、守山さんが泊まる。
朝、守山さんが俺の家から出てくる。
万一、そんなところを目撃でもされたら、俺は一生守山さんに償いきれない罪を背負うことになる。
助けてめぐえもん。
俺じゃ守山さんを説得できそうにないんだ。
スマホを手に取ったところ、守山さんに手首をつかまれた。
「どこに電話をしようとしてるのかなあ?」
「め、めぐむに」
「だめだよ、めぐむさんは部活に勉強に忙しいんだから」
「それでもめぐむなら、なんだかんだ言いつつ俺の頼みを……」
「だーめ。私ひとりで、しっかり、看病させていただきます」
スマホは没収されてしまった。
「さて、三択です」
「選択問題は得意なほうだ」
何しろ確率で当たるからな!
「一、添い寝。二、汗を拭かれる。三、晩ご飯。どれにする?」
「その中に正解ある?」
確率以前の問題のような気がしてならない。
問題が間違っているという話。
「四、守山さんには帰ってもらう」
「一から三まで全部ね、わかった」
「晩ご飯作ってください」
示された選択肢を選ばないと、エラー処理でも起こるんだろうか。
全部て。
第三ならぬ第四の選択肢などなかったのだ。
「じゃあ作ってくるから、大人しく寝ててね」
脱いでいたエプロンを再び守山さんは着なおす。
その様子を、じっと見つめてしまう自分がいた。
これは、なんというか。
不思議な気持ち、というやつだった。
エプロン装備だけで家庭力増すし、制服+エプロンは背徳的ではないか。
守山さんが部屋を出ていったのを確かめてから、俺はそそくさと机の上の暗記本を取りにいくべくベッドから下りて、
「と、お、る、くん?」
なんと守山様が見ていた。
ドアの隙間から、中を覗いてきている。
「あ、汗をかこうと少々ストレッチを」
ほら、と屈伸したり腰を回したりしてみる。
「休むことに集中して」
「はい」
素直に俺がベッドに戻ると、ドアは閉められたが、ドアの向こうでしばらく守山さんが聞き耳を立てているような気がした。
わずかな足音や布のこすれる音でさえ聞き逃されないような。
本当に大人しく寝ているしかないようだ。
守山さんが何を作ってくれるつもりなのかはわからないけど、たぶん三十分くらいかかるはずだし、いまの時間も午後六時前、夕飯時まで一時間近くある。
ちょっと一眠りしてしまっても大丈夫なはずだった。
さっきまで、守山さんが来ているのに気づくまで、散々寝ていたのだし。
大人しく寝てるように言われたし。
料理ができあがる頃には、寝てしまっても大丈夫なはず。
目を閉じ、ゆっくりと休むことに――
* * *
結論から言えば、起きたときには完全に風邪は治っていた。
少しでも症状が残っていれば、本気で守山さんが自分を責めて俺の家に泊まるとかいう事態になりかねなかった。
そのことを思えば、グッジョブである俺の体。
しかし俺の体というのか本能というのか、たぶん電話で守山さんに助けを求めた内なる俺の存在が、また悪さをしたらしい。
守山さんの手を握ったまま、ついさっきまで眠っていた。
「ええ……」
もちろんすぐに離したけれど、自分でも何をしていたのかわからない。
すやすやと、それはもうすやすやと、守山さんは寝入ったままだった。
ベッドの端にうつ伏せになるように、眠っていた。
時刻はすでに八時を回ったところである。
実に二時間以上寝ていたことになるし、もしかすると一時間以上、守山さんの手を小さい子どもみたいに握って寝こけていた可能性さえあった。
守山さんの目が覚めたとき、一体どう謝ればいいのか。
風邪の治った頭でも、まったく、見当がつかないのだった。
ただ、初めて見る守山さんの寝顔によって、ついつい、考えを中断させられてしまったのもまた、事実である。
彼女が自然に目を覚ますまでの間、結局俺は何もできなかった。
起き抜けで寝ぼける守山さんもまたかわいらしかったことだけ、ここに記しておく。
ちなみにこの後、夕ご飯のみならず明日の朝食や弁当まで守山さんは作ってくれていたことが判明する。なおそれらは俺の母さんの口に入った上に、誰が作ったのかという話にまで及んだほか、学校においても小さなトラブルに発展したのだが。
それはまた、別のお話である。
次は『前日譚 入学式』です




