第39話 ハイヤ・ベーネ症候群
俺のスマホを脅迫材料に、明日香さんとのドライブを強要された。
そこまでは構わないといえば構わなかった。
けれど、明日香さんの口から、守山の血筋が、肺の弱い短命な家系と聞かされては、冷静でいられるはずがない。
「どういうことですか?」
「だからそのままの意味だよ。早くに亡くなってしまう家系だ、ってこと」
「まさか、いや、だって」
「莉世が過呼吸になったのもそう。肺機能が、弱いんだ」
「そんなの、俺だって過呼吸にくらいなったことあります。一体、どんな病気なんですか……?」
「え、えーと、ハイヤ・ベーネ症候群って病気だ。原因も治療法もよくわかってない、守山家固有の遺伝病になる」
「守山さんは元気そのものでしたけど、どんな症状が?」
「その、肺が、突然、破裂? する」
「肺が突然破裂!?」
ハイヤ・ベーネ症候群、まじやべえ。
明日香さんの肺も今すぐ破裂することもありうるのか。
「病気のディティールはどうでもいいじゃんか。なあ遠野くん。莉世がさっき、病院からかけてきたのはわかってるだろ?」
明日香さんは、車を小高い山の麓に停める。
ゆっくり話すため、運転しながらでなく、きちんと話すために。
「莉世の様子が何かおかしいな、ってことはなかったか?」
「それは、ありましたけど、けど、そんな、急に」
「きみにとっては突然でも、莉世にとっては、ずっと向き合ってきたことなんだ。それに、きみの身に起こることは常に前もって誰かが教えてくれるのかい?」
理不尽は、突然やってくるから理不尽であり。
世間一般の人々にもれず、理不尽としか思えないことは、俺もたくさん経験してきた。
「そんな、だって、それでも、やっぱり突然で……」
ハンドルに頭を預け、明日香さんは肩を震わせだした。
「莉世も、いつ、その命が尽きるか、わからない」
「どうして、俺にそんなことを教えてくれたんですか」
「きみが一番莉世に近しい、異性の他人だからだよ」
ずっと、明日香さんの肩と声は震え続けている。
「遠野くん、きみ、莉世のことは、ちょっとでも好きか?」
「命を投げ出しても構わないくらい、好きです」
「そうか、じゃあ抱け――」
背後から強い光に照らされ、クラクションが辺りに響き渡った。
「え?」
「あ、す、か、くん!」
クラクションが止んだかと思えば、聞き覚えのある声がした。
後ろから車のハイビームの光が来ていて、誰かが近づいてきているものの、姿はわからない。
しかし、守山さん以外の何者でもないことは、声で確信できた。
車から出ようとするものの、明日香さんに止められる。
「助けて」
「諦めてください。あとスマホ返してもらえます?」
「薄情者、いいもん、きみのスマホの恥ずかしい秘密を暴いてやる」
「ていうか守山さんすごい元気じゃないですか! ほら窓に、窓に!」
運転席側の窓を叩きながら、開けて、と守山さんが叫んでいた。
病気とは思えない、めちゃくちゃ元気だ。
「ばっか、ハイガヤ・ベー症候群だろうと大声は出せるんだよ!」
スマホを操作しようとする明日香さんに対し、俺はなんとか腕ずくで取り返そうとした。
「そういえば明日香さんもすごい元気ですよね! そもそも守山家の血筋じゃないかもですけど!」
「はあ!? この薄命な美人を捕まえて言う!? 立派に守山家の一員ですぅー。莉世! こいつのスマホ見たけどどぎついSM動画入っててたから! 後ろの穴開発されるのもすごい興味あるっぽい!」
「くっそ最悪! あることないことどころかないことしか言わないこの人! だから関わりたくなかったんだ!」
そんなことを万一守山さんに信じられたらどうするんだ。
明日からめちゃくちゃ気を遣われて俺が死にたくなる。
「ほら、証拠隠滅しようとすんな! 見てもらうがいい、きみのそのドン引きの性癖をさぁ!」
「だからんなもんな……ないっつってんでしょうが!」
否定するのに一秒、かかってしまう。
それがよくなかった。否定をすぐできなかったのも、実はそうなのかもしれない、というのを、一回検索してしまっているからだ。
「あ、これ入ってます、絶対入ってるわ、やべーやつがスマホん中入ってる反応だ! こうなりゃ道連れだふははははははは!」
魔王のごとく明日香さんが高笑いする中。
がぎん、と不穏な金属音が響いた。
俺も明日香さんも、スマホを奪い合うのをやめ、運転席の外を見る。
「え?」
車のドアが、バールのようなものと守山さんのお父さんによって、無理やり外されていた。
とんでもない怪力だと、ゆっくり感心している暇もない。
すぐさま明日香さんは外に引きずり出され、守山さんのお父さんの手によって、悲鳴とともに山の斜面の林へ消えた。
「イヤアアアアアアアア!」
かわいい悲鳴も出せるんですね。
ホラー映画でも見ている気分になる。
合掌だけしておいて、二度と迷い出ないよう祈る。
しかしまた現れかねないことを思うと、気持ちが暗くなった。守山さんの血縁者というだけで、今後十年間くらいは俺の前に姿を現しそうな気がしてならない。
「ご、ごめんね、徹くん。守山家の恥がまた」
顔が真っ赤になっている守山さんは、やっぱり病気とは思えない。
「あの人をもう守山さんの親戚とか思ってないから大丈夫」
苗字が同じなだけの他人だと思うことにした。
「本当にごめんなさい。家までお母さんに送ってもらえるようにするから」
「――久しぶりね、徹くん」
運転席のすぐ外に立つ守山さんの隣には、守山さんのお母さんがにこにこ笑顔で立っている。
娘が、そして自分が短命の家系だとはとても思えない明るさだ。
「いろいろ話はしたいところだけど、ここは寒いし、車の中でね?」
「ええと、はい、すみません、お世話になります」
「気にしないで、義息子の世話くらい当然だもの」
「お母さん、いまはほんとにやめて」
あらあら、とお母さんは守山さんに引っ張られて、乗ってきた車に向かう。
俺も明日香さんの車の中に落ちていたスマホだけは回収し、守山さん一家の車に乗せてもらった。
ドアが外されてしまった車とその所有者である明日香さんがどうなるのかは、この際どうでもいい。
車の後部座席に乗り込んで、シートベルトを締めたところで、運転席のお母さんから話しかけられた。
「ところで、徹くん?」
「はい?」
「SMが好みなの?」
「勘弁してください」
どうして好きな人のお母さんと、性癖の話になっているのか。
一体俺が何をしたというんだ。




