第38話 命短し
守山さんの様子がおかしかった日から、二日後、金曜日のことだった。
「ドライブ行こうぜ、遠野くん」
家に帰ると、真正面に車が止まっていた。
確か英語でカブト虫の名前がつけられた車だったはずだ。
あるいは、イギリスの有名ロックバンドとよく似た名前だった。
運転していたのは、守山さんの従姉妹で俺よりダメ人間なのではないかと疑惑がある、明日香さんだった。
明日香さん、なんでいるんですか。
二度と会いたくないと星に願いまでかけたのに。
家に帰りたくても、帰れそうにない。
ちょうど自宅の門の前に車を停めやがってくれているのだ。
素知らぬ顔でUターンして逃げようとしても、
「照れんなってー、ったくかわいいなもう」
明日香さんの足はとても速かった。
自転車の荷台を明日香さんにつかまれて、一メートルも進めなくなる。
ここで自転車を放り出して走って逃げたかったが、明日香さんのほうが足は速いのをすでに確認している。
悪あがきするだけ、ご近所の目が冷たくなるだけだった。
「わかりました、逃げないですから。ちょっと待ってください」
スマホを取り出し、電話をかける。
「もしもし、守山さん?」
「莉世にチクるとか小賢しいわ!」
「俺のスマホ!」
あっという間にスマホが明日香さんに奪い取られてしまった。
「もう遅いですよ、俺が電話をかけるのは明日香さんが俺の前に現れたときだと、示し合わせているんです。じき守山さんは、あなたを連れ戻しにやってきます!」
あれ俺またヒロイン属性ついてないか、とか思ってしまうけれど。
明日香さんに単独では勝てないので仕方ない、仕方ないんだ。
「お、おのれ、これで勝ったと思うなよ!」
「勝ちたいどころか勝負したいとも思ってないです」
「だが残念だったな、すでにオレはきみのスマホを握っているんだぜ?」
不敵に笑って、明日香さんは俺のスマホを頭上にかざす。
「さて、遠野くんは一体どんなエロワードで検索しているのかなあ?」
まずい、黒髪ロング女子高生で検索していたことが明日香さんにバレる。
「き、汚い! 明日香さんそれはあんまりにも汚い!」
「莉世に教えてやったら、どんな反応すると思う?」
観念、するしかないのか。
この、男の敵ともいうべき相手に、屈するしかないのか。
「何が、目的なんです」
「最初に言ったろ。ドライブデートしようぜ」
俺のスマホを持ったまま、明日香さんは車に乗り込んだ。
ちょいちょい、と窓から出した腕で俺を手招きする。
「どこまで、いつまで付き合えばいいんですか」
「ほんの一、二時間だよ。飯おごってあげるし。何食べたい?」
窓から頭を覗かせた明日香さんは、得意げに笑っている。
年上風を吹かせて優越感に浸りたいのかもしれない。
「ご飯は結構なんで。あまり長引くなら、俺は恥を捨てますからね」
「何する気?」
「脅迫された上に誘拐された、と周囲の誰にであろうと泣きつきます」
「本気、じゃないよな? ちょっとお姉さんを脅かしてるだけだよな?」
「俺の自尊心は他人の一パーセント以下です」
「目がマジだよ……わかったって、一時間だ。それしか時間を取らせない」
ここまで言っておけば、また前のように振り回されることもないはずだ。
明日香さんの車に乗り込み、俺はシートベルトを締める。
「で、どこに?」
「テキトーだよ。あ、何か食べたいもんあるならそれ優先するけど」
「晩ごはんは家に用意してるので」
「きれいでかっこいいバンドマンのお姉さんとの食事デートだぜ? むしろオレが金もらってるレベルのことしてあげてるんだから、感謝は随時受け付けてる。耳元で百遍ささやいてくれていい」
「さっさと帰りたいんですが」
話している間に、明日香さんが車のエンジンをかける。
そのとき、俺のスマホに守山さんから着信が入った。
画面を確認すると、明日香さんは慣れた手つきでスマホを操作し、ハンズフリー通話設定に切り換えた。
ただし、まだ電話に出てはいない。
守山さんからの着信でスマホは鳴りつづけている。
「いいか遠野くん。莉世には『何でもない、間違い電話だった』と言うんだ。さもなくばきみの性癖を電話でバラす」
「まだ知らないでしょうに。いえ、わかりましたよ」
「よし、いいか、一言でも」
「わかりましたから。あんまり出るのが遅いと疑われます」
つまらなそうに口をとがらせ、明日香さんは受話器のマークをタップする。
『もしもし、徹くん?』
「守山さん? うん、俺。ごめん、間違ってかけちゃって」
『ううん、いいよ。話す機会なかったけど、水曜はごめんね』
「別に、全然大丈夫。むしろ守山さんの役に立ててうれしいくらいだ」
『また、徹くんは、私をどきどきさせるよね』
「それで、間違い電話だから。ごめん。また、水曜の委員会で話そう』
『このまま、話してちゃだめかな』
「えっと、それは」
俺としてもできれば話していたかった。
けど、守山さんは俺にもう関わらないほうがいい、と考えておいて、守山さんにほだされてすぐ曲げるのはどうなのか。
あと明日香さんがすっごいにやにやしてるのが気に食わない。
「ちょっと他に、話をつけないといけない人がいるから。用事が終わったらまた連絡する」
ふと電話の向こう、守山さんのいる場所が気になった。
佐藤さーん、と呼ぶ、聞きなれた調子の女性の声。
「もしかして守山さん、病院にいる?」
『えっと、うん。けど電話しても大丈夫って、ちゃんと書いてあるとこだから』
「病院って何か……や、探り入れてキモかったよな。これ以上変なこと言わないうちに切る」
『あ、その前に、徹くんこそいまどこにいて、誰といるの?』
車の中にいて、明日香さんと一緒だということは言えない。
明日香さんも、俺に向かって盛んにバツ印のジェスチャーを送っている。
誰と一緒にいるか言わないことで、俺の性癖の秘密も守られるのだ。
「ひ、ひとりだけど? どうして?」
『うん、わかった。全部わかったから、心配しないで――』
どういうことか、俺が聞こうとする前に、明日香さんに電話を切られた。
さらに明日香さんは、安全確認をした後、車を発進させた。
「え、ちょっと、明日香さん?」
「ばっか、完全に私といることバレてるじゃんか! 逃げないと!」
「ひとりで逃げてくださいよ、俺を巻き込まないでください!」
「きみにはまだ話がある! あと人質の役目もな!」
「絶対後半のが理由でしょうに!」
住宅街をすぐに抜けて、車は国道へと出た。
夜の混み合う国道を走る中、
「あの、下ろしてもらいたいんですけど」
「話があるって言ったろ? とても大事な話だ。二人きりでないとできない、秘密をきみに話すために、こうして少し強引な手を取った」
「少し?」
「ほんのちょびっと、かな。スパイのごとき自然さでもって、オレはきみを連れ出したというわけさ」
「どちらかというと場当たりの強盗のが近いような」
「しかしオレにもったいぶるメリットはない、今すぐきみに、オレの抱える秘密を話そうじゃないか」
「映画やドラマでよくあるフラグを折ってるつもりですか」
秘密を話そうとして、二人で落ち合おうと電話で約束を交わす。
しかし、秘密を握る人物が行方不明になったり殺されたりするのが、よくあるお約束だ。つまり、秘密をひとりで抱え込んでいたのを話そうとすれば、死亡フラグになる。
そのフラグを明日香さんは折っていると言えなくもない。
「莉世のお母さん、オレにとっての叔母さんなんだけど、若かったろ?」
「何の話ですか。確かに若かったですけど」
三十代前半、ともすると三十手前っぽかった。
守山さんが一人目の子どもにしても、早いほうだ。
「守山家が愛に関して情熱的な血筋なのも理由だけど、それは本質的な理由じゃあない。いや、情熱的になる理由が、守山家の血に隠されているんだ」
赤信号に差しかかり、一旦車が停まった。
ここで逃げようかとも考えたが、ドアはロックされている。
ドアロックを外せば、明日香さんに勘付かれる。
大体、明日香さんにスマホを握られたままなのだ。
黒髪ロング女子高生で検索していたのがバレるならまだいい。
しかし、それよりも、決して明かすべきでない秘密が、俺のスマホには眠っている。そこに明日香さんがたどりついてしまう可能性は、皆無ではない。
どれだけ可能性が低かろうと、バレたときの被害が大きすぎるなら、リスクはでかい。
明日香さんのジーンズのポケットに入れられたスマホを抜き取りたいが、気づかれたり抵抗されたりすると厄介だ。
機会を、うかがう必要がある。
「守山家は代々、肺をやられやすい、短命な家系なんだ」
世界の時間が、停止したような気がした。
次の更新は11月5日11時頃の予定です




