第23話 眼鏡後輩が何か企んでいるようだ
遠野徹のスマホには、守山さんの連絡先が入っている。
しかし気軽に守山さんに「今何してる?」とメッセは送れない。
俺のほうからメッセは送らず守山さんには穏やかに過ごしてもらう。
守山さんが俺からのメッセを待ってくれている妄想とか。
昨日一晩はそれだけで顔がにやついていた秘密は墓まで持ってくが。
ただ、俺のほうからもメッセを気軽に送れるようになりたい。
少しでも、守山さんに近づきたい。
最低かもしれないけれど、最低な状態から脱出したい。
そこで俺がやろうとしたこと、というのは単純だった。
放課後に学校の図書館で勉強する、これだけ。
そう。うちの高校にあるのは、『図書室』でなく『図書館』だ。
校舎の中の一室でなく、独立した一戸の建物なので『図書館』。
成績がせめて中の下クラスになれば、守山さんにメッセを送れる。
そのために、予習と宿題に加えて、復習をするようになった。
というわけで俺が図書館の自習コーナーで勉強していると、
「まさか、先輩ですか?」
女子から声をかけられた。
顔を上げると、見覚えのあるようなないような眼鏡女子がいた。
眼鏡の奥で目を見開き、驚いている。
「うわ、ほんとに遠野先輩だ」
「そんな驚く……ことか。まあ」
驚かれても特に不思議はなかった。
ベッドで活字を読むと必ず寝落ちしてしまうタイプだし。
「近所の野良猫がイリオモテヤマネコだったくらい驚きです」
天然記念動物か。
「あとすみません、あいさつをしないとでした。こんにちは、遠野先輩」
誰だったろうか。
俺のこと知ってるみたいな口振りだけど。
「覚えてませんか?」
校章の縁の色は橙色、つまり一年だ。
一学年下で、俺に話しかけてくるような女子。
「えーと……エビちゃんか。五年ぶり? まだ肉屋の前で行き倒れたりしてる?」
「違います。誰ですかその愉快な子」
「小学生のとき同じ登校班だった一つ下の女の子だ」
「知りませんし、つい最近のことです。美化委員のときに、一年生の女子ふたりが先輩を訪ねてきたじゃないですか」
「なぜそれを知っている、まさか!」
驚き怯える俺に、眼鏡の一年女子は鼻にしわを作る。
「何がまさかですか。先輩は一体何と戦ってるんです」
「あえていうなら世界が俺の敵だ」
世界は俺に厳しくできている。
守山さんやめぐむといった、優しすぎる個人も存在するけれど。
「ふっ、あ、スミマセン」
後輩に鼻で笑われた。
やっぱり世界は俺の敵だ。
「ですから、放課後、先輩が美化委員の仕事で守山先輩といらっしゃったとき、ふたりの一年が来たでしょう」
「んん?」
「まだわかりませんか。その、告白する子の付き添いに来たのが、私です」
だんだんと、おぼろげながら思い出してきた。
女子ふたりはあだ名で呼び合ってて、前髪パッツンのしもっちゃんと眼鏡っ子の、
「アンちゃんか。ちょい久しぶり?」
「誰がアンちゃんですか馴れ馴れしい」
心底蔑むような目つきでアンちゃんに見られてしまった。
ぬるいな、めぐむで慣れ切ってしまっているのだ。
もっと修羅場をくぐってきてから出直してきたまえ。
「アンジュ、と呼んでください。そこまでは許します」
「普通に苗字じゃダメなのか?」
「魚みたいで、あまり好きじゃないんです」
目代、めじろ、メジロ。
なるほど。
「そっか。杏樹、か」
「違います」
「さすがに十秒前に聞いた名前を間違えないぞ!」
そうではなくて、と杏樹は手で俺に落ち着くようジェスチャーする。
「イントネーションが違います。杏子の感じでなく、外国の名前みたいに、カタカナでアンジュと」
「めんどくさ」
まあ別にどう呼んだって構わないが。
アンジュ、ね。
女子を下の名前で呼ぶのは、めぐむ以来だ。
「それで、先輩はどこかで最近強く頭でも打ったんですか?」
「その質問をした理由を一応聞こうか」
もっともな質問だけど一応な。
「先輩が放課後、図書館で勉強をしていたので」
「べべべべつに俺が図書館で勉強してちゃ悪いのかよ」
「別に悪くないですけど。そうキョドられると悪いことしてるのでは? と思えてきますね」
「俺だって図書館で勉強することもあるんだよ」
「いえ、半年以上一度も見たことなかったので」
俺が何かの気の迷いで図書館にきててもおかしくない。
そうでなくても、本を借りにくることくらいはありえる。
それでも、そこまではっきり断言できるというのは、
「もしかして半年間毎日通ってるのか?」
「はい。勉強しやすいんですよ」
「すごいなあ」
「大したことじゃありません」
「いや、すごいって。本気で。尊敬する」
別に、と目をそらすアンジュ。
「先輩だって、勉強してるじゃないですか。偉いですね先輩のくせに」
「ちょっと思うところがあってな」
そうですか、とアンジュは軽く答えて、
「私、真面目な人は好きです」
「ごめん俺ってば守山さんが好きなんだ」
「なんで私がフられたみたいになってるんですか!」
大声を出してしまうアンジュ
図書館だということにすぐ自分で気づいたらしい。
周囲に頭を下げた後、俺のせいだとばかりににらみつけてきた。
「真面目な人が、異性としてじゃなく人として好きって話です」
「ふうん、まあ確かに真面目なのはいいことだよな」
「まあ先輩のことは嫌いですけど」
「持ち上げといて落とす!?」
「そこ、静かにしてください」
鋭く、声が飛んでくる。
入り口のほうを見れば、図書委員の女子が静かに、と人差し指を唇に当てている。
「先輩のせいで叱られたじゃないですか」
「悪かったよ」
「そう思うならちょっと土下座してきれくれません?」
「しょうがないなあ……」
「冗談ですよなに本気にしてるんですか!」
小声ながら、アンジュは叫ぶ喉の使い方をする。
十年間喋ってなかった引きこもりが急に大声出そうとするのと似てる。
「なんでしもっちゃんはこんなの好きなったんだろ……」
と、アンジュは俺が机に広げているものに気づいたようだった。
「それ、一年の教科書ですよね」
「ああ、これはな」
「二年から一年になったんですか?」
「違うぞ!?」
さすがにそんなことは起こらないはず。
「留年はあっても学年が下がるってことはない……と思う」
「日本全国歴史上なかったことですけど、先輩ならあるいは、と」
「逆にすごいかもだけどやっぱり遺憾の意を表させてもらおうか」
別に、一年の教科書を持ち出しているのは学年が下がったからじゃない。
「基礎からやり直してるんだ。成績上げたくて」
「へえ、感心ですね。どういう心境の変化ですか?」
「あんまり言いたくない」
「あれです? 守山先輩が理由ですか?」
「ぐっ」
「わかりやす。そして単純ですね。ほんと男子ってのは」
「誰にも言うなよ」
「言いませんよ」
にやついた笑みを、アンジュは浮かべる。
「ま、守山先輩が彼女っていうのなら、がんばりたくなるのもわかりますけどね」
「え、彼女?」
「何ですか驚いたみたいに。ははあ、とぼけてるんですね」
顔を近づけて、アンジュがささやいてくる。
「秘密にしたいんでしたね。遠野先輩と守山先輩は、恋人同士だから、先輩はがんばってるってことも隠したいってわけですか」
「は? 彼女じゃないけど」
「……どういうことです? しもっちゃんをフるとき、すでにもう守山先輩が彼女だから、って」
ぴかーん。
今、はっきりと思い出した。
気の強そうな眼鏡っ子。
気の弱そうな前髪パッツンっ子。
告白しに来た子と、付き添いに来た子の、女子ふたりがいた。
しかし俺が断る前に、守山さんが気を利かせてくれた。
そのとき、守山さんは自分が俺の彼女だと嘘をついた。
嘘をついた理由は、何も俺に嫉妬したからででも何でもない。
俺が直に断れば前髪パッツンっ子をきっと傷つけるから。
傷つけない、ためだった。
ま、そんなことはすっぽり頭から抜け落ちていた俺であった。
嘘が良心からでなく頭が悪いからつけない俺。
どじった、と思う。
「まさか守山先輩が嘘を? けどどうして」
「嘘じゃないし付き合ってるよ。けど絶対に秘密な」
本当は嘘なので、言いふらされでもしたら困る。
「もしかしてしもっちゃんの告白を断るための方便でした?」
「ソンナコトナイヨ?」
「嘘ド下手ですか」
「言っておくが、守山さんは悪くないからな」
「弁明できるものならどうぞ」
「まず、俺が断るのは確定だった。次に俺は告白を断るのもド下手だ」
「今、嘘がド下手だって認めました?」
「最後に、守山さんの嘘はあくまでしもっちゃんを傷つけないためだ」
アンジュの目が細められる。
疑っているか、納得しかねているか。
守山さんが悪くないと、わかってもらいたい。
「納得、できないか?」
「いいえ。しもっちゃんにも私にも、都合よかったとわかりました」
しもっちゃんが、深く傷つくことにならなくてよかった。
俺とアンジュは、わかりあえたのだ。
「わかったところで、先輩。私、ひとつ提案があるんですよ」
意地が悪そうに、アンジュが笑う。




