第72話 バカ兄との対決(後編)
「き、貴様ぁぁぁ!! この俺様をバカにするのかぁぁ!!!!」
怒号、というべきなのだろうか。見下す存在であるはずの私に、無能な領主とバカにされたのだ。ここが国の誕生を祝う聖なる夜会だというのに、怒りの感情が抑えきれずバカ兄の怒号が会場内に響き渡る。
「あなた、落ち着いて」
「落ち着けだと? これが落ち着いてなどいられるものかぁ!」
私はよほど兄のプライドを傷つけたのだろう。クリス義姉様の静止さえも振り切り、鬼の形相のごとく私を睨めつけてくる。
狼狽えておられるお義姉様には申し訳ないが、理不尽な要求をしてくるような人にはこちらも引くつもりはないし、ここで引き下がっては私と兄との関係は何も進展しないだろう。さすがに争いごとをするような場所でない事は十分理解はしているが、ここまで来たら行けるところまで行くしかない。
「覚悟は出来ているのだろうな?」
「覚悟? それはお兄様の方ではございませんか、無能な領主は領民のためにはなりません。それを今一度ご理解ください」
「貴様ぁ、まだ言うかぁぁ!!!」
私は別に本気で兄を領主の座から引きずり降ろそうとは考えてはいない。そもそも私にも、そして実家を出たツヴァイ兄様達にも、既に王都で第二の人生を歩んでいるいるのに、今更貧乏領主の座などに興味はないだろう。
それなのに未だ兄様達にお金を要求したり、チョコレートの売り上げを寄越せとなどと言ってくるバカ兄の方が、私達を騎士爵家という檻から解放してくれないのだ。ツヴァイ兄様達が実家に送るお金を作るために、どれだけ苦労されているかをいい加減に気づく時が来たんだ。
「何度でもいいます。お兄様は領主になられてから一体何をされて来られたのですか? 生活が苦しいのは皆んな同じなのです。それなのに弟や妹からお金を要求し、ご本人は領主らしい改革は何一つとしてなされてはおられない。私が知らないとでもお思いですか?」
父が死に爵位を継承してから僅か半年ばかりで、成果を求めるのは些か厳しい話かもしれないが、今までも父の元で領内を見て来たわけだし、領主の仕事には随分と前から携わっていたのだから、いつまでもこのままという訳にはいかないだろう。
「領主たる私が何もしていないだと? ふざけるな! そもそも王都にいる貴様が、俺の何を知っているというのだ!」
やれやれ、私の情報網も甘く見ないでもらいたい。
これでも私はそこそこの規模を持つお店のオーナーだ。当然仕入れに関していろんな商会とも付き合っているし、その土地々々で栽培されている生産物とかにも精通している。
そしてその中で真っ先に仕入れの先の対象と考えたのが、実家であるデュランタン領だったのだが、残念なことに目立った特産物すらなければ、何処の商会にも取り扱いが存在しなかったのだ。
恐らく理由としては出荷できるほどの作物が無かったのだと思われるが、出荷が出来なければ領民の生活は変わらないし、出荷が出来るほどの量が確保出来ないのならば、領主である父や兄が動かなければその地は一生潤わない。
少々亡くなったお父様を非難する形で心苦しいのではあるが、やはり領民の事を思うのであれば、例え一時的に借金を抱えてでも、農地や特産物の開拓を行うべきだと私は思っている。
「お兄様はご存知ないかもしれませんが、王都に居る方がより多くの情報が舞い込んで来るのです。知っていますか? お隣のポーチュラカ騎士爵領が、特産物の開発を始められた事を。ご存知ですか? 異母方の従兄弟であるマインラート様が、昨年から始められた事業の事を」
「くっ、それが何だというのだ! 俺だって領主として日々の仕事はこなしている!」
仕事とはお父様から引き継いだ通常業務の事だろう。
父の頃は執事のオーグストが取り仕切ってくれてはいたので、書類面での負担は今の兄の方が多いのだろうが、それでも私が日々こなしている業務の方がより濃くて、労働時間も遥かに長いと思っている。それを言い訳にするのは上に立つものとしては失格だろう。
「日々の仕事、それは当たり前の話ではございませんか。領主として求められるのは新しい改革。ただお父様から託された業務をこなしているだけでは、領主の仕事とはいいません」
「……っ」
私から正論をぶつけられ、怒りとも苦痛ともとれる表情で言葉を詰まらせてしまうお兄様。
3年……いや4年前に起こったレガリアの大飢饉。それ以来各地では新たな農地開発が進んでおり、今こそ領主としての手腕が試されている時なのだ。
比較的被害の少なかったデュランタン領でも、フィオーネ姉様が身売りをしなけばならなかったというのに、兄はあの時の悲劇をなんとも感じてはいないのだろうか。
「もし私の言葉に悔しいと思われたのなら今までの考えを改めてください。これでもデュランタン領に育てらてた恩は忘れてはおりませんので、お兄様が領民の為にと言うのなら喜んで支援もいたしましょう」
「……支援……だと? この俺が貴様に施しを乞えとでも言いたいのか!」
「そこまでは言っておりません、私はただ……」
「勘違いをするなよ、貴様もツヴァイ達も全員俺の家来だ! お前達が得た金を俺がどう扱おうが、誰にも文句は言わせん!」
「……」
これは考えていた以上に救いようがない大バカ者だ。
私は何も救いを乞えとは一言すら言ってはない。それなのに私たち弟妹を家来と罵り、働いて得たお金は全て自分のものだと呆れる言動、しかもこの場にいるのは私たち二人っきりでないのだ。
私は深いため息をつき……
「どうやら私の想いは届かないようですね」
「当たり前だ! なぜ俺が貴様のいう言葉なんかに従わなければいけない!」
「残念です。お望み通り本日の収益をお渡ししようかとも思いましたが、私からの施しは受け取れないという事でしたよね?」
「なっ、誰が要らぬと言った、貴様が得た金はすべて俺のものだと言ったのだ!」
やれやれ、施しは要らないが今日得るであろうお金はどうしても欲しいようだ。
「お兄様は私が騎士爵家を出ると決めた日の約束をお忘れですか?」
「約束だと?」
「えぇ、どうやらお兄様は記憶力も乏しいようでので、今一度申し上げさせていただきます。あの日、私はお父様とお兄様の前でこう申しました、妹を連れての生活は非常に苦しいものと考えられるため、既に王都で働いていらっしゃる兄様達のように、毎月お金を求められても入れられないという話です。忘れたとは言わせませんよ。16歳で実家をでる決意した私に、お兄様は無慈悲にも『この家に金を入れないと言うのなら、二度とデュランタン家の家名を名乗るな。流れ着いて娼婦になんぞになって、家名を汚されてはたまったもんじゃない』とまでおっしゃられたのです」
それがどれだけ酷い言葉かは、周りのざわめきを聞けば一目瞭然であろう。例えその場限りの言葉であったとしても、血の繋がった妹に言う言葉ではない筈だ。
「五月蝿い……ぅるさぃうるさいウルサイ五月蝿い!! 何が約束だ、そんな昔の話など無効に決まっている!」
「昔って……ほんの1年と少し前の話ですよ?」
「うるさい黙れ! 貴様は俺の命令に従っておればいいのだ!」
まったく、これじゃまるで子供の言い訳ね。
別にこうなる事が分かっていて、あんな約束を取り付けたつもりではないのだが、ここに来て効果は絶大だと言っても過言ではない。
さすがのバカ兄も、1年足らずで綺麗さっぱり忘れるなんて事は出来ないだろうし、子供のように必死に誤魔化している辺り、案外当時の記憶を思い出してしまったのかもしれない。
いずれにせよ騒いでいる時点で、私の言葉を裏付けているようなものだろう。
ザワザワザワ。
「なんだあの男は、あれで本当に貴族なのか?」
「夜会で騒ぐとはなんと恥知らずな」
「だが言っている内容があれでは女性の方も簡単には引けんだろう」
「おい、そろそろ誰か止めないと、間も無く陛下が来られるぞ」
頭に血が上っている兄は気づいていないようだが、周りのざわめきがそろそろ限界に近づいて来ているようだ。
幸い玉座に陛下のお姿は見えないが、そろそろ招待客の挨拶周りも終わった頃だろうし、そろそろ本気で締めくくらないと、今度は私がフローラ様から大目玉を食らってしまう。
私は兄に見せつけるよう、ワザとらしく周りに視線を送り……
「まだ私に文句を言いたいのでしたらどうぞご自由に、ただし今日のところは場を改めてください。お互いこれ以上騒がすのは何の得にもなりませんので」
ここに来て、兄もようやく騒ぎになりかけている事に気付いたのか、慌てて冷静さを取り戻していく。
「い、いいだろう、今日のところは見逃してやる。ただしこれで終わったとは思うなよ」
「えぇ、私は逃げも隠れもしませんので」
バカ兄との再会で一悶着あるとは覚悟していたが、思っていた以上の口論となってしまった。私も随分感情が出てしまったし、溜まっていた怒りの捌け口になってしまった事は認めるが、さすがにお城の夜会でこれはマズかったのかもしれない。
さきほど近くの人ごみの中に、チラッとフローラ様の笑顔が見えたような気もするが、きっと恐怖の感情からの幻でも見えてしまったのだろう。うん、きっとそうに違いない。
「で、ではそういう事で。あ、私の家は大通り沿いでローズマリーと尋ねられたらわかりますので」
逃げるが勝ち。本物のフローラ様に気づかれる前に、そそくさと兄の元から逃げ出す。
途中呆れ顔のジーク様と合流し、隠密スキルを全開にして会場の隅っこに避難した。幸い夜会は音楽と人々の会話で賑わっているし、有名人でも来ているのか、会場の一部は妙に密度が濃くもなっているおかげで、思った以上に騒ぎになってはいないようだ。
うん、セーフセーフ。
「いや、アウトだろう」
ごめんなさい。直後にフローラ様に捕まり、止めに入らなかったジーク様共々お説教を受けました。
しくしく、私悪くないもん。




