第68話 フレッド再び(後半)
「計画書? なんだいそれは」
「……へ?」
あれ? この世界では計画書とは言わないのかしら?
前世で言うなら、銀行からお金を借りるのに明確な返済方法と共に、計画書、もしくは企画書なるものを提示して、相手を納得させる事が融資の第一歩だ。
例えばある会社で社屋を増設する計画をたてるとしよう。その場合はその増設した施設でどのような物を作るのか、はたまたそれで事業が成り立つのかを、銀行側は調査をするのだ。
これが大手の企業なら簡単な書類で通る事もあるようだが、今にも潰れそうな会社に、無条件でお金を貸す人はいないだろう。
「えっと、私が融資するお金で、どのように男爵家を建て直すかの、設計図? みないなものなのですけれど」
「なぜそのような物が必要なんだい?」
「……は?」
別に私がおかしな事を言っているわけではないと、まずは皆様にだけでもご理解いただきい。
私が経営するローズマリーでも、事前にローレンツさんと何度も打ち合わせをしながら今の形に落ち着いたのだ。
当然そこに至るまで幾つもの案と、消えていった企画はいくつも存在している。そもそも私はもっと小さなお店で細々とエリスと暮らしたかったのに、ローレンツさんやフローラ様がこれぐらいの規模がないとダメだと、押し切られてしまったのだ。
結果的に実家を遥かに超えるほど裕福な生活を送り、尚且つお店の経営も安定しているのだから、感謝しなければいけないのだが。
「あのぉ、フレッド様。もし私が男爵家に融資するとして、その資金をどうされるおつもりだったので?」
「さっきも言っただろう。僕は男爵家の者として領民達のために使うんだ」
……ダ、ダメだぁーーーーーー!!!
今までの話で多少なりとは見直したつもりだったのに、彼の中身はまるで何も変わってはいなかった。
どんなものにも計画という行動は必要なもの。よく前世のCMでも流れていたが、お金を借りるにもまずは『ご利用は計画的に』が大原則だ。これが明日の食べ物にも困るような状況ならいざ知らず、領地を管理するような男爵家がこれでは、下手をすれば逆に借金を増やすだけだろう。
「フレッド様、この様なことは言いたくはございませんが、そのような無計画では男爵家を潰すだけです。そもそも融資する側にしても、どれぐらいまで融資できるかも、測れないじゃありませんか」
何も貸す方は相手側が提示する全額を融資するとは限らないのだから。
「僕が無計画だって!」
「そうではありませんか。領民の為とかおっしゃっていますが、それがどの様なものかも明確ではありませんし、プリミアンローズを立て直すにしても、どの様な方針で進めるかも不明のまま。もうお忘れですが? 今のプリミアンローズが、どうして経営不振に陥っているかを」
バカだバカだとは思っていたが、ここまでおバカだとは思ってもみなかった。
どうせフレッドの事だから、自分が動けば全てが上手く回るんだと、妄想にでもかられていたのだろう。
「それを君が言うか? そもそもアリスがあんな噂を流さなければこんな事にはならなかったんだ」
はぁ……。全くどこまでお目出度い性格しているのだろう。
「勘違いしてもらっては困ります。プリミアンローズの経営不振はなるべくしてなっただけです」
よもやそんな事にすら気づいていなかったとは。
私が行った仕返しなんて可愛らしいものだろう。そもそも例の噂は男爵家に向けたものであって、プリミアンローズに降りかかった噂は、言わば自分が撒いた種が戻ってきただけのもの。だいいちライバル店への悪評だけで、肝心の中身が空っぽだったのだ。
パフェやクレープといったスィーツだって、ニーナは私が考えていた以上に返してきたのだ。ただ不運だったのがオーナーがあのブリュッフェルで、偵察にでていたのがラウロだったという点だけで、クリームの秘密に気づけていれば、ここまで酷い結果にはならなかっただろう。
「アリスちゃん、もう行こう。話しているだけ無駄だよ」
「そうですね。要らぬお手間を取らせました」
隣で聞いていたルテアちゃんもどうやら私と同じ気持ちのご様子。
今の状態ではフレッドにお金を貸しても返って来る見込みは望めないし、言っている事は素晴らしいが、そのどれもがただの机上の空論の域を越えていない。ルテアちゃんにもその辺りは伝わっているようなので、話をきいているだけ無駄と判断されたのだろう。
「なんだ君は! 僕とアリスとの話し合いに勝手に割り込まないで欲しい!!」
いやいや、こちらとしては一方的に話しかけられた為、答えを返していただけであって、別に話し合いをしていたつもりは全くない。
「フレッド様、それはこちらのセリフです。私とルテア様との間に勝手に割り込まないでください」
「なっ! 君という人間は……」
貴族のプライド、というべきなのだろうか。
今までは融資がらみで必死で抑えていたであろう感情が、ここに来てフレッドの表の顔が徐々に剥がれ始める。
「申し訳ございませんが、フレッド様との話はここまでです。それでもまだ融資をお求めなのでしたら、明確な計画書をお持ちくださいませ。もちろん謝罪の件も踏まえてですが」
「ふざけるな! 君は一度融資をすると言ったじゃないか、それを今更無しにするだなんて!!」
「ですから、後日改めて計画書を持参の上でお越しくださいと申したのです。それともなんですか? フレッド様は無条件で資金だけをお求めだったとでもいうのですか?」
大まかな考えもなければ、再建するための計画書も作りたくはない。だけどお金は提示するだけ全て欲しいでは、もはや融資とは言わないだろう。
「融資する側にも選ぶ権利はございます。まさかとは思いますが、融資されたお金は返さなくてもいいとでも、思っていらっしゃいませんよね?」
「!?」
コラコラ、なにそこで驚いているんですか! まさか本気で融資=寄付だとでも思っていたわけじゃないわよね。
融資はあくまでも金貸し、当然利息も発生するし、返済が滞ればそれ相当の手続きもする。
もっとも私としては屋敷を奪ったり、金目の物を差し押さえるつもりは毛頭ないが、こちらも其れなりのリスクを背負うわけなのだから、生涯かけてでも貸したお金は返してはもらうつもりだ。
「わかったよ、君がそういう考えなら僕の方にだって考えがある」
いや、カッコつけているところ申し訳ないのだが、私はただ一般常識を求めているだけであって、フレッドが平然と開き直っている意味すら分からない。
はぁ……
「もういいです、お好きにどうぞ」
本日一体何度目かわからないため息をつきながら、私も諦めの言葉を告げる。
「行きましょうルテア様」
「うん、それはいいんだけれど、アリスちゃんは大丈夫? ちょっとこの人危険な気がするんだけれど」
本人の前で危険人物と言えるルテアちゃんの方が怖いけど、フレッドのようなおバカが何をしたところで大した被害も出ないだろう。
「構いません。どうせ口だけでしょうから」
「っ! 君はどこまで僕を侮辱すれば……」
ついつい売り言葉に買い言葉、ぽろっと本音が出てしまった事でフレッドの表の顔が剥がれてしまい、彼が今まさに動ことした瞬間……。
「そこまでにしておけ」
お姫様のピンチに駆けつける白馬の王子……もとい、颯爽と現れたの本日私のエスコート役のジーク様。
こっそりルテアちゃんが私の耳元で、『二人が来ていたの知っていたでしょ』と、苦笑まじりの言葉を囁いてくる。
私だって考えも無しで相手を挑発しないわよ。ジーク様とアストリア様が近くに来ていたのは見えていたし、ジーク様が私のピンチに駆けつけないとも考えていないので、フレッドがもし手をあげる様な素振りをみせれば、必ず助けに入ってくれるだろうとは思っていた。
「お、お前は!」
「フレッド様、先に忠告しておきますが、その方はハルジオン公爵家のジーク様です」
「なに!?」
こんなところで揉め事は困るからね。前に会ったときはただのデート……もとい、非公式のお買い物途中だったため、あえてジーク様の身分は明かさなかったが、ここに来てまでわざわざ隠す必要もないだろう。
さすがのフレッドも公爵家のご子息に、手をあげる様な真似はしないだろうから、これ以上の騒ぎにはならないはずだ。
「な、なんでアリスがハルジオン公爵家の人間と……」
「あれ? 言ってませんでしたか? 私が経営するローズマリーはハルジオン公爵家の支援を受けてるんですよ」
そういえばフレッドは男爵様との話の場にはいなかったわね。
男爵様から私がハルジオン公爵家と何らかの繋がりはあるとは聞いているだろうが、以前出会っていたジーク様が公爵家のご子息だったとは、考えてもいなかったのだろう。
「アリス、誰なんだこいつ?」
私とフレッドのやり取りを見ていたアストリア様が、公爵家のご子息とは思えない態度で話しかけてこられる。
「アストリア様、私が言うのもなんですが、こういった場にはもう少し振る舞いを考えられた方がいいと思いますよ」
「アリスがそれを言うか?」
「うん、アリスちゃんが言っても説得力が全くないよ」
「だな。アリスが言っても説得力が全くねぇ」
自分なりに結構いい事をいったつもりだったのに、3人からは逆に注意されてしまいしょぼんしてしまう、かわいそうな私。アストリア様なんてゲラゲラと声を上げて笑ってるのよ、失礼しちゃうわ。
「もういいです。あとアストリア様は笑いすぎです!」
「わりぃわりぃ、それで最初の質問に戻すが、こいつは誰だ?」
アストリア様のこういった性格は嫌いではないが、時と場合を考えて欲しいものだ。
「アルター男爵家のフレッド様です、アストリア様」
「あぁ、こいつが例の」
私の事情はアストリア様には話していないが、ルテアちゃんの婚約者だったという話なので、一連の話は一通りは耳に入っている事だろう。
「アリス、誰なんだこの失礼な男は!」
こちら側の話ばかりになり、完全に蚊帳の外となってしまったフレッドが、今度は反撃とばかりにアストリア様に向かって怒りを向ける。
「アストリア様よ。ストリアータ公爵家の」
「なっ!?」
「一応説明しておくと、さっきから失礼な言い方をしているルテア様は、エンジウム公爵家のご令嬢。よかったわね、公爵家の方々と話せる機会なんてそうあるものではないわよ」
もっとも既に3人からは警戒すべき人間だと、認定された様なものだが。
「な、なんでアリスが公爵家の人間と……」
「友達だからだろ?」
「友達だからだね」
「ま、まぁ、友達といえば友達だな」
前者からアストリア様、ルテア様と続き最後にジーク様の言葉が続く。
「なに今更恥ずかしがってんだ」
「そうだよ、ジークさんの場合は友達じゃなくて恋人でしょ」
「!?」
「「ブフッ」」
こらこら、どさくさに紛れてなにトンデモナイこと言い出すんですか!
前にも言ったが私とジーク様の間に、お付き合いをしているという事実は存在していない。そらぁ、公爵家に顔パスで入れたり、フローラ様からはまだキスもしていないの? と呆れられたりしているが、そのような事実はないのだから仕方がない。
「その話は本当なのか!?」
「違いますよ。もう、二人ともからかわないでください」
「だってなぁ?」
「うん、別に隠すようなことでもないでしょ?」
いやいや、隠すとか隠さないとかそう言う話ではなくてですね。慌てて誤解を解いたが、何も知らないフレッドが本気にしちゃうじゃないですか。
「まったくアリスちゃんは頑固だなぁ」
ルテアちゃんはそう言うが、私とジーク様の間には大きな身分の差というものが存在する。私を気に入ってくださっているフローラ様ならいざ知らず、ご当主であるエヴァルド様までもが同じだとも限らず、周りから見てもどこぞの小娘かもわからないような私では、公爵家がいい笑い者になることは間違いない。そうなればジーク様だって変人扱いにされかねないのだ。
「どうせアリスの事だから身分の差がどうのとか、考えているんだろう? そんなこと心配しなくてもいいぞ、なんなら俺ん家が後ろについてやるからさ」
「うぐっ」
アストリア様はこういう勘だけ鋭いのよね。
確かに別の公爵家からご支援があればそれも可能なのだろうが、問題の私が全く貴族社会に疎いのだからしかたがない。
でもまぁ、その心遣いだけは感謝したいところだ。
「わかりました、ですがその話はまた別の機会に!」
「まぁいいけどな」
お気持ちはありがたく頂いておくが、ここでそれを公言してしまうのは些か問題の方が大きいだろう。とにかく今はフレッドにご退場を願わない事には始まらない。
「それでフレッド様、まだお話は続くのでしょうか? 私としましてはこれ以上実りのない話はしたくはないのですが」
「……っ」
まぁそうなるわよね。
少々脅しているようで申し訳ないのだが、このまま続いたところで今すぐ決断なんて出来ないのだし、計画性も見えないままでは融資する気すらも起こらない。
フレッドにしてみれば何がなんでも私から資金を得たいのだろうが、ジーク様達がいる為大それた行動を起こす事もできないだろう。
「……わかった。この話は後日改めるとするよ」
私としてはこのまま綺麗サッパリ諦めてくれた方がありがたいのだが、彼方も引き下がれない事情があるのも理解している。
一時の事を思うと、すっかり形成が逆転してしまった形にはなるが、フレッドが本気で男爵領の事を思っているのなら、可能な範囲で融資の話は進めてもいいとは考えているのは本当だ。
「そうそう、次お越しの場合は事前にアポを取ってくださいね。こちらにも用意というのは必要なので」
これだけはしっかり伝えておかないとね。フレッドもそうだが、男爵家の関係者は相手の予定を無視して乗り込んでくる傾向があるから、そこだけは念押しに伝えておかなければいけないだろう。
私の話を聞き終えたフレッドは、最後に私に対してだけ一睨みし、一人そそくさと人ごみの中へと消えていく。
「よかったのか?」
「よくはないのでしょうけど、仕方がないですね」
「でもアリスちゃん。とてもお金を貸して欲しいって態度じゃなかったよ」
「だな。アレは金だけ踏んだくって、後は知らぬ存ぜぬで貫くつもりだぜ」
そうなのだ。3人が注意してくれるが、私も全く同じ考えを抱いてしまったのだから反論のしようもない。
先ほどのフレッドの言い回し。単純お金を得るために知っていた融資という言葉を使っただけで、その後発生する返済という思考がまるで見当たらなかった。
もしかして私から奪えるだけ奪って、そのあと正妻だか愛人だかに迎えて全てをチャラにしようなどと、考えているんじゃないかとすら思えてくる。実際前にローズマリーに来た時も、私を脅す形でそのような事を口走っていたし、今も私がジーク様と付き合っているという、アストリアの言葉にも真っ先に反応していた。
これは少々警戒しておいた方がいいのかもしれないわね。




