第49話 ホイップクリーム
「アリス様、プリミアンローズがパフェとクレープの類似品と思しき商品を販売し始めました」
「そう、やっぱり真似てきたわね」
私専用の執務室で、ランベルトからの報告を受け取る。
「それでどんな感じなのかしら?」
「やはりアリス様のおっしゃっていた通りですね。見た目の器や形を変えたり、フルーツを使ったジャムなどで大きくアレンジは加えられているようですが、肝心部分はそのまま使われているようです」
やっぱりね。
新商品の中で、パフェやクレープは生クリームの製造方法さえ分かっていれば、比較的真似しやすい商品だ。だけど今回私はケーキの製造過程を見直すに当たり、生クリームの部分にも大きく手を加えた。
皆さんは生クリームとホイップクリームの違いはご存知だろうか?
まず生クリームだが、これは動物性脂肪分……つまり純粋な牛乳100%から作られるものを指す。
一方ホイップクリームは、動物性脂肪分で作られたクリームに、大豆油・ヤシ油・コーン油などから採れる植物性油脂を加えたもの。もしくは植物性脂肪分のみで作られたものがホイップクリームと呼ばれている。
この二つ、動物性クリームは満足度や甘さが引き立つに対し、植物性クリームはあっさり感と甘さが控えめという特徴を持つ。他にもホイップクリームの方が白さがより際立つとか、コスト的にも安く仕上がるとか、生クリームに比べて保存が効くだとか、いろいろな部分でも異なるのだが、今回ケーキの製造過程を見直すに当たり、私はこのホイップクリームの方を採用した。
その最大の理由は生クリーム独特の『クドさ』をなくす為。
実は私がいた前世では、このホイップクリームを採用したケーキの方が大半を占めていた。
ならば何故、最初からこのホイップクリームを採用しなかったと言えば、それは公爵家で試食会を開いていた際、大勢のご婦人方が甘さが際立つ生クリームの方を多く支持されたからなのだ。
理由はおそらく公爵家にご招待されるようなご婦人方は、そのテーブルマナーから食べる量を制限されていたから。
元々体型をよく見せるために、コルセットで締め上げられているからと言うのもあるが、目的が試食会という名目だったので、同時に複数のケーキがテーブルに並べられていた。そのため一口くちにされては次、一口くちにされては次という感じで、切り分けたケーキを完食されるような事がなかったのだ。
以前フレッドがマリエラとローズマリーに来ていた時の事を覚えているだろうか?
あの時マリエラはクリームの満足感で一杯になり、平凡な生地に飽きてしまったという出来事があった。
私はご婦人方が言われる通り甘さが際立つ生クリームの方を採用したのだが、ローズマリーがオープンして約半年、ケーキの種類も増えたし、一人当たりが口にされる量も増えてきたので、パフェを商品化するに当たり従来のケーキの姿ともあるべき姿に戻させていただいた。
その変わりと言ってなんだが、生地の方をもっと味わってもらうため、カスタードクリームやフルーツの果汁を加える変化を施したというわけ。
「それにしても生クリーム自体に手を加えず、パフェとしてそのまま出すとは思ってもいなかったわ」
私が発案したパフェには当然ホイップクリームの方が採用されている。
甘さが控えめで軽めの食感のホイップクリームは、そのまま量を口にしてもさほどずっしり感は感じず、生クリーム独特の満腹度もある程度は抑えられる。
更に味の変化を加えるため、中層に今回初のお目見えとなるムースやアイスを添えながら、季節のフルーツや甘さや酸っぱさといったソースをアクセントに加えさせてもらった。
一方報告を受けたプリミアンローズのパフェは、器や盛り付けで大きく変化は付けているが、肝心のクリームは牛乳100%の動物性脂肪分のもの。
他にもフルーツジャムやら果実から作ったソースなどで、味にアクセントをつけているようだが、その生クリームの量はこちらと同等かそれ以上。上部に添えられている彼方特有の焼き菓子は、味に変化をもたらすものとしても評価に値するが、ただでさえ動物性生クリームは甘さが引き立つというのに、フルーツやジャムの甘さが重なり合えば、当然甘さの主張は大きくなる。
これがまだ、外生地を甘さ控えめにしたクレープだけならいざ知らず、パフェまで動物性脂肪分で作った生クリームを使えば、流石に良家のお嬢様やご婦人方には少々厳しいのではないだろうか。
つまり甘さ×甘さでは、一時の目新しさはあったとしても、そう長くは続かないということになる。
「恐らくはニーナという少女は、直接当店のパフェを食べてはいないのでしょう」
「でしょうね。そうでなければこんな単純な落とし穴には引っかからないわよ」
別に狙った訳ではないが、この最初の商品となる印象は、お客様にとっては非常にインパクトが大きいものといえるだろう。例えすぐに気づいて対処したとしても、恐らく評判を取り戻すには時間が掛かってしまう。
ただでさえパフェは生クリームを食べているという感覚が強いので、一皿完食する頃には気分が悪くなるお客様も出てくるのではないだろうか。
「それで如何いたします?」
ここまでは私とランベルトが描いていた筋書き通り。
正直生クリームに何らかの変化を加えてくるだろうとは思っていたが、それすらなされていないのは恐らく余程無能な人物が視察へとやって来たのだろう。
パティシエならば日頃から手がけている生クリームと、今回ローズマリーが採用したホイップクリームの違いは見ただけでも区別は出来る。
何と言ってもきめの細かさや、白さの際立ち方がまるで別物なのだ。それは味の変化でも十分感じられるというのに、今回はそれがまるでなされていない。
この程度の調査ならば、恐らくチョコレートをつかったメニューの数々も、所詮はアレンジレシピの一つだとでも思われているのではないだろうか。
「わざわざ勘違いを正す必要もないでしょ。ここで一気に男爵家の方を潰させて貰うわ」
今やプリミアンローズの経営には、アルター男爵家が関わっている事は知れ渡っている。本人がパーティーや茶会で言い回っているのだから弁解のしようもあるまい。
そこで兼ねてよりお願いしていたフローラ様に例の噂を広めて貰い、男爵様には大恥を掻いてい早々王都から退場して貰うつもりだ。
「なるほど、アリス様に無理やり婚姻を求めたとなると、その非難はそのまま男爵家へと向かい、男爵家の経営店でもあるプリミアンローズは、今後ローズマリーの方へは手出しをしにくくなる、ということですね」
「そういうことよ」
こちらが圧されていた時なら然程効果は出なかっただろうが、形勢が逆転した今なら効果は増大。私がハルジオン公爵家と繋がっているのは周知の事実なので、その利用価値を貴族ならば理解できるだろう。
立場上弱い身分の私に、貴族たる男爵様が無理やり婚姻をせまったというだけでも噂の的だというのに、そこに店絡みが加われば弱みに付け込み脅しにかかったと捉えるだろうし、形勢が逆転した今なら盗作の疑惑を上回る噂になる筈。
もしかすると全てが男爵家の陰謀だったのではと、勘違いする人も出てくるのではないだろうか。
実際そのとおりなのではあるのだけれど。
「それにしてもよろしいのですか? このままあの店を潰す事も可能ですが」
ランベルトの言うとおり、流れは完全にこちらに向いている。
聞けばプリミアンローズは開店に合わせて、随分と借金を抱え込んでいるようだし、ここで更なる追い込みをかければ倒産に追い込む事も出来るかもしれない。
彼方はあの規模の店を維持するため、ローズマリー以上の売り上げが必須なのだから、1・2ヶ月程度の売り上げ金では到底持たないだろう。だけど……。
「そんな親切な事はやらないわよ」
「親切……ですか?」
「だって今潰しちゃうと赤字を最低限に抑えちゃうじない。あの店は規模が大きすぎるから、経営すればするほど人件費や食品ロスで赤字が膨れ上がるのよ。どうせ潰すなら、大赤字で破綻してもらわないとね」
ただでさえ卵や牛乳・フルーツといった製品は、長期間の保存が効かないのだ。そのうえ彼方はケーキの種類が多いうえに、焼き菓子やら今回新たに加わったパフェやクレープの中間素材を作り置きしなければいけない。その全てがロスなく捌ければいいのだが、現実はそう甘くはないだろう。
これは私が昔聞いた話なのだが、大赤字で店を倒産する場合、多くは昔に大繁盛した経験をしており、もう一度あの時のようになればと、店を閉じるタイミングを見誤ってしまうのだという。
プリミアンローズも僅か2ヶ月程ではあるが大成功をしているのだし、売り上げも恐らくローズマリーをも上回っているのだろうが、逆にその時の栄光が枷となり大失敗をもたらすことにもなるというわけだ。
「傷が浅いうちならば店を売るなり規模を縮小するなりすれば、赤字を最低限に抑えられるのでしょうけど、そんなんじゃ私の気が済まないじゃない? それにいい加減フレッドとも縁を切りたいから、ここは男爵家ごと再起不能なってもらないとね」
別にフレッドに仕返ししたいだとか、この前の事をまだ根に持っているだとか、ちょっと調子がいいからといって上から目線で迫られた事を、悔しくて悔しくて、未だに根に持っているわけではないとご理解していただきたい。
「なんとも末恐ろしい……」
「あら、私は自分を善人だとも、心やさしき性格だとも思った事は一度もないわよ?」
私だって一人の人間だ。恨み言も言うし、やられたら普通に仕返ししたいとも考える。
「まぁ、恨みだけで言うのならば、私も同じ感情を抱いてはいますがね」
「そうだったわね。ランベルトも以前男爵家に仕え、不当な扱いで解雇されたという経歴を持っていたのだったわね」
理由はどうあれ、解雇という不名誉なレッテルはそのまま今後の人生に大きくのしかかってしまう。執事になるために努力と苦労を味わってきた筈なので、相当怒りと絶望を感じた事だろう。
「ふふふ、それじゃ全部まとめて倍返しという事で、男爵家にはさっさと王都から退場してもらいましょう」




