第47話 ローズマリーの閉店
「いらっしゃいませラナ様、チェリーティアちゃんもいらっしゃい」
ジーク様の胸で泣きじゃくった翌日、ご来店頂いたラナ様とチェリーティアちゃんをお迎えして、私が今できる精一杯の笑顔でお持てなし。
「こんにちはアリスちゃん」
ラナ様はこのローズマリーの常連さんの一人で、チェリーティアちゃんは今年で8歳になるお嬢様。他にも10歳になる息子さんもおられるそうなのだが、とても二児の母親とは思えぬ若々しさ。
本当はここにエリスがいれば喜ぶのだろうが、生憎とこの時間はまだ学園でお勉強中なので、今日は私が一人でチェリーティアちゃんの可愛さを堪能させてもらう。
そう言えばラナ様の名前って偽名なんだっけ? 本当の名前は知らないけれど、フローラ様やレティシア様のお知り合いだと言うので、すっかり忘れちゃっていたわ。
「ねぇアリスちゃん、目が赤いようだけれど大丈夫?」
「うぐっ……」
昨日は散々泣きまくっちゃったからね。お屋敷に帰ってからは敢えて気を使われたのか、誰も目が腫れている事を教えてくれなかったのだが、お風呂上りに鏡をみて自分で驚いた事だけは覚えている。
よく物語なんかで泣いて目を腫らす、なんて聞くけど、まさか自分がここまでなるとは思ってもみなかった。幸い朝に鏡を見た時は随分元どおりになった気がしていたのだが、どうやらラナ様の目にはこの変化を気づかれてしまったようだ。
「まぁ元気そうならよかったわ」
恐らくフローラ様から私の状況をお聞きになられているのだろう。
目を赤く腫らしている理由なんてそう多くもないのだし、私が動揺している姿をみれば容易に想像ぐらいはつく筈。
ラナ様もそれがわかっているからこそ、これ以上追求するような真似はされなかった。
「その……ありがとうございます」
「ふふふ、いいのよ。私もフローラ義姉さん同様、アリスちゃんのファンですもの」
ここ最近、常連さん達とはすっかりご無沙汰だったから、こういった暖かな声を掛けられるのは、むず痒しい中で勇気をもらった感覚を味わってしまう。
……あれ? フローラ義姉さん?
「あ、あの……、ラナ様ってフローラ様の?」
「あら、いけない。ふふふ、今のはなかった事にしておいて」
んんんんん??? ラナ様の素性って一体何!?
フローラ様を姉と呼ぶのなら、なんらかの親族関係だとは思うのだが、お二人の顔を知るものとしてそこに血のつながりがない事は明らか。
流石に隠し子だとか、実は生き別れの姉妹だと言われれば納得するしかないが、見た感じラナ様もフローラ様同様の一流貴族の雰囲気が感じられる。
するとフローラ様のご実家に嫁がれたとか、そういったところなのだろうか?
そういえば私って、フローラ様のご実家が何処か聞いた事がなかったわね。
まぁ、どちらにせよ、ラナ様がなかった事にしておいてと言われるのならば、深く追求するのは止めておいたほうが懸命だろう。
私だって聞かれては困る事はたくさんあるんだしね。
「それで今日は何をご用意しましょうか?」
「実は私もチョコレートが食べたくなってしまってね。さっきもフローラ達が自慢げに話すものだから、そのまま我慢が出来なくなってしまって、帰り道に来ちゃったのよ」
あぁ、なるほど。フローラ様達には途中までチョコレートの試作品をお願いしていたので、その辺りを自慢げに話されたのだろう。
ここ一ヶ月ほどはすっかりスランプに陥っていたので、随分とご無沙汰にはなっていたが、ジーク様から私が元気になったと聞いて、このタイミングでうっかり話されてしまったのでないだろうか。
「わかりました。まだ試作品の段階なんですが、フローラ様達にもお出ししていない最新版をご用意しますね」
「ありがとう、それならフローラ達にも自慢ができるわ」
私はカナリアに今ある最新の試作品を用意するよう言い渡す。
「それにしても今日でよかったです。明日なら無駄足を踏ませる結果になってしまうところでした」
カナリアがチョコレートの試作品を取りに行ってくれている間、ラナ様とチェリーティアちゃんの為にお茶を用意する。
「明日って、お休みするの?」
「いえ、お店を閉じるんです」
「えっ?」
ローズマリーは年始を除く年中無休。たまに店側の都合でお休みする事はあっても、基本は毎日営業しているというスタンスをとっている。恐らくその辺りを考えられたのだろうが、今回ばかりは……
「アリスちゃん、まさかお店を閉じちゃうの!?」
って、この言い方じゃマズかったわね。
「すみません言葉足らずでした。実は新商品の準備の為に、しばらくお店を閉めようって話になっていまして」
昨日お屋敷に帰ってきた後、私はローズマリーのスタッフ達を集めて、溜め込んでしまった不安や恐怖、お父様を失った悲しみやスランプになってしまった原因など、包み隠さず皆んなに話した。
そして全てを暴露したうえで、私が目指している真のローズマリーの姿を語ってみせた。その結果が……
「ならばこの際店を一旦閉じると言うのは如何でしょうか?」
「閉じる?」
「はい。今お伺いした話では根本的に体制を変えなければなりません。キッチンの方の人材の補充、フロアスタッフの再教育、そしてそれらに伴う新商品の開発。そのどれを取っても一長一短ではいけませんので、この際一旦店を閉じ、準備が整った後でリニューアルオープンさせるのです」
確かに、私が今語った理想論には時間も教育もまるで足りない。その点通常営業を一旦取りやめ、準備と教育に専念すれば、より短い期間で用意する事はできるだろう。だけど……
「まって、今私は話した内容はあくまで理想論よ。いずれちょっとずつ準備するつもりだったけれど、それは今じゃないわ。何より新商品の試作すら取りかかれていないのよ、とてもじゃないけど簡単には用意できないわ」
作り方はわかっているが、この世界でケーキを再現するのに1ヶ月もかかったのだし、チョコレートに至っては未だ完成の目処すら立っていない。
それなのに新商品の開発だなんて、とてもじゃないが間に合わせる自信が私にはない。
「アリス様、またご自身一人で抱え込もうとしていませんか?」
「えっ?」
「たった今ご自身でもおっしゃったじゃないですか、自分はこんなにも弱い人間だから、もっと他人を頼らなければいけないんだって」
「あっ……」
そうだ、私はまた自分がどうにかしなくちゃいけないと考えていた。ついさっき散々反省したというのに、私はまた同じ過ちを犯そうとしてた。
「もっと私たちを頼ってください」
「そうですよ、僕だってこのローズマリーのキッチン担当なんです」
「ですです、私やディオンさんもいるんですよ。試作品だって分担して作ればいいんです。だってここにいる皆んなは家族なんでしょ?」
「やりましょう、アリス様」
「私だってまだまだ頑張れますよ」
「むしろもっと頼ってください」
ワァァァァー……。
私はなんてバカなんだろう。ここに来てようやく皆んなと一つになれた気がするだなんて。
そうね、そうだったわね。私はこんなにも暖かい家族に見守られているんだ。皆んなの力を合わせれば、出来ないことなんて一つもないわね。
「皆んなには迷惑をかけちゃうけど、やってみたいわ」
「どうやら何時ものアリス様に戻られたようですね」
「随分と心配させちゃったわねランベルト」
「構いません、それが我らの役目ですから」
ホント、なんていい人たちに囲まれているのだろうか。
このスタッフ達ならば必ず成功出来るに違いない。
「ありがとう皆んな」
こうしてローズマリーは新たに生まれ変わるために、一旦その歴史を閉じることになる。
再び女神が羽ばたくため、傷付いた翼を休めるように。




