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華都のローズマリー  作者: みるくてぃー
二章 陰謀の渦巻く中
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第45話 無力な負け犬(裏)

 はぁ……。

 アリス様の痛々しい姿を見るに見かね、ディオンと共に無理やり仕事から遠ざけたのだが、それが何の効果もなさない事は今までの経験上で学んでいる。

 今頃はカナリアが頭を悩ませながら、必死に休ませようとしているのではないだろうか。


「私は何と無力なのだ」

 親友でもあるローレンツの紹介だったとはいえ、私はあの方に救われた。

 貴族に仕える者として、一度でも首を切られてしまえば二度と同じ業界には戻れない。それがたとえ理不尽な解雇であったとしても、誰も曰く付きの人間など雇い入れてはくれないだろう。

 あの時、男爵の不正を問い正した自分の行いに後悔はない。それでも何年もの学びと、10年近くもの下積みで、やっとたどり着いた執事という立場だ。まったく未練がないと言えば噓になる。

 一時は酒の量が増え、荒れた時期もあった。それでも時間が経つにつれ、前向きに第二の人生を歩もうと整理がつき始めた時、私の前に嘗ての親友が現れたのだ。このローズマリーの執事という仕事を携えて。

 初めは私の人生の半分程度の少女を前にし驚きもしたが、いつしかこの方ならばと考えている自分がいて驚いたものだ。

 今じゃすっかりあの方のペースに巻き込まれ、随分と執事らしくない振る舞いを取るようにはなってしまったが、自分の人生を掛けてお仕えしたいと思っているのは私だけでないだろう。

 そんな大切な主人に、私は何もしてあげる事が出来ずにいる。


「それは私も同じですよ、ランベルト」

「ディオン……」

 そういえば彼もアリス様に助けられたのだと言っていた。

 詳しい経緯は知らないが、アリス様が居られなければ息子のエリク共々路頭に迷うところだったと聞いている。

 彼は私よりも近い場所で仕事をしているので、一番アリス様の様子に気づいている事だろう。


 アリス様は今、父君の死に激しい後悔の念を抱いてしまわれている。

 ご本人はそんな様子など微塵も出されてはいないが、あの日を境に明らかな変化があったのだから間違いないだろう。

 アリス様は強い。まだ16歳の少女だと言うのに非常に心が強いのだ。

 そしてその強さの元は恐らく家族。必要以上にエリス様を可愛がり、生活に困られていた兄君様の仕事を斡旋され、娼婦の館に縛られていた姉君様まで救われた。挙句の果ては共に過ごす私達使用人にまで家族として接して来られるのだ。

 唯一例外があるとすれば一番上のアインス様だが、それが逆に家族という絆に執着される原因なのではないだろうか。

 そんな家族を大切に思われているアリス様が、最愛の父君を亡くされたのだ。その心情は私なんかが理解できる筈もないだろう。


「私は時々アリス様は別の世界の住人なのではと、そう思う時があるのです」

「別の世界ですか?」

「えぇ、アリス様の知識は完全に私たちとは次元が違います。それでも技術の方は年相応というか、エリク達でも十分通じるレベルなのですが、時折ふと見た事もない手法で料理を作っていたり、聞いた事もない単語を並べては、慌てて誤魔化されたりされるのです」

 ディオンが言うその感覚は私にも何度か感じた事がある。

 まるで16歳の少女とは思えぬ考えを出したかと思えば、年相応の振る舞いで周りを明るく照らされたり、お菓子作りに夢中で、顔にクリームが付いたままで没頭される姿を拝見した事もある。

 実際学園に通った事が無いと言うのに、文字の読み書きは出来るし、売り上げの計算は店の誰よりも早いし、極めつけはアリス様が独自で付けられている貸借対照表という店の売上表。

 内容を聞けば『なるほど』とも思えるが、素人が見ても何が何だか理解にすら苦しむ事だろう。

 一体どこでそんな知識を得られたのかと聞きたいが、ご本人が口を割る事は恐らくないだろう。


「さっきはアリス様の容態を気にして無理やり休むように仕向けましたが、これを見てください」

「これは?」

「アリス様が提案されていた焼き菓子ですよ」

 ディオンがそう言いながら差し出したのは、丸くて何処となくクッキーやスコーンを連想させるような、手のひらサイズのお菓子。

「柔らかい……」

 手に触れるまでは固いのかと思ったが、クッキーと比べると明らかに柔らかく、ケーキの生地よりかは少し硬い。

 それが上下の半部で切り分けられ、間には卵色をしたジャムのような物が練りこまれている。

「これは、旨い!」

 勧められるまま一口くちに運べば、ケーキとは違う柔らかな生地に、全体を包むクッキーのような軽い歯ごたえ、挟まれていた卵色のジャムは、口に入ると甘さが一気に広まるような感覚すら覚えてしまう。

 先ほど焼き菓子を提案された時は思わず重症だと感じ、ディオンと共に休むよう無理やり部屋へと戻したが、今のあの状態でこれほどの物を作れるとなれば、私の考えが間違っていたのではとも思えてきてしまう。


「何なのでしょうか、これは……」

「アリス様が言うにはブッセと言う名のお菓子らしく、間にはカスタードクリームと言う新種のがジャム塗られているそうですよ」

「新種……ですか……」

 この世界に長くいるディオンが言うのだから、その通り新種のジャムなのだろう。

 一体あの方は何者なのだ? 

 精神状態が不安定だと言うのに、当たり前のように見た事もないお菓子を生み出されている。今でこのレベルなので、立ち直られた時は恐らくこれ以上の物を生み出されるのではないだろうか。


「一度アリス様にお酒を飲ませて全てを聞き出したくなりますね」

「ははは、それは辞めておいた方がいいですよ。聞いた話ではアリス様は青年用のお酒で酔われるほど弱いらしいですし、酔った後は幼児のように甘えてこられるそうなので」

「それはまた……」

 その情報の発信源は恐らくエヴァルド様からのものであろう。

 ディオンはエヴァルド様と仲がいいと聞いているし、時折フラッと出掛けては酒を飲み交わしている事も知っている。

 アリス様がお酒に弱いという事は初めて知ったが、幼児のように甘えられるとなれば、流石にこの作戦は危険だろう。ただでさえ今のアリス様を甘やかせたいと思っているスタッフは大勢いるのだ、それが自ら甘える姿をみせられれば、この際一線を越えてしまおうと思う者も出てくるかもしれない。

 流石にそれだけは回避しなければいけないだろう。


「まったく、あの方は一体何者なんでしょうね」

「考えても仕方がありませんよ。それがアリス様なのですから」

 お互い顔を向き合いながら自然と笑顔になってしまう。

 あの方が何者なのかなんて正直どうでもいい話。謎の部分も、愛らしい姿も含めて、私たちは生涯を掛けてお仕えしたいと考えているんだ。

 だから今はただ、アリス様の翼が再び羽ばたくその時まで、我らは支え続けなければいけないのだ。


「ん? どうしましたカナリア? 浮かない顔などして」

 ディオンと話し込んでいると、やってきたのは顔に影を落としたカナリア。

 確か彼女はアリス様のお世話をしていたはずなのだが、それが何故一人でこのような場所に?


「ランベルトさん、ディオンさん」

「アリス様に何かありましたか?」

「いえ、そういうわけじゃないんですが……」

 カナリアにしては何処となく歯切れが悪い。

 彼女がアリス様に特別な感情を持っているのは知っている。公爵家に仕えているのに、無理やり出向という形で付いて来たのだから、今更説明する事もないだろう。

 アリス様が公爵家と繋がりを持った経緯は極秘らしく、私も詳しくは聞いていないのだが、なんでも山賊に襲われた時に見捨てたはずが、結局アリス様に命と心を救われたのだから、その抱いている恩義は相当なものなのだろう。

 そんな彼女がアリス様の様子が危うい時に、簡単に側を離れるとは考えられない。


「カナリア、アリス様のお側にいなくていいのですか?」

「それがその……、頭を冷やしたいからと外へ散歩に……。付きそうと言ったんですが、一人にして欲しいと言われてしまって……」

 カナリアのこの様子、もしかしてアリス様と何かあったのかもしれない。

 彼女は普段からもっと自分や周りを頼って欲しいと、アリス様に願っていたし、誰よりも人一倍アリス様に寄り添っているのだから、嫌な部分を提言する事もあるだろう。

 これが平常時の精神状況ならば散歩程度に心配などしないのだが、今のアリス様は自分でも気づかれていない部分で、酷く傷ついていらっしゃる。

 カナリアもそんな状態では一人で外へは出したくなかったのだろうが、こうも直接的に拒まれてしまえば、従うしかなかったのだろう。

 だが……


「やはり少し心配ですね」

「でも……私じゃダメなんです。今のアリス様を救えるのは私では……」

「それは皆も同じですよ」

 アリス様にとって私たちは守らなければいけない存在。たとえ私たちが支えようが、肉体的に主人を守ろうが、あの方は自らの立ち位置から私たちを守ろうとするだろう。

 そんな私たちではアリス様を救える事は出来ない。もし今のアリス様を救える人物がいるとすれば、それは主従関係に縛られた関係ではなく、アリス様のことを思い、心から寄り添ってくださるような存在。恐らくそれに当てはまる人物が居るとすればたったの二人ではないだろうか。


「こんな時にフローラ様がいらっしゃってくだされば……」

 カナリアの気持ちはわかるが、公爵家や他のご贔屓にしてくださっている貴族の方は、いま王都で広まっている噂のせいで、ローズマリーとアリス様から少し距離を置いておられる。

 なんともバカバカしい話ではあるのだが、妙に噂が統制されており、出処も分からなければ、どういったルートで噂が広まっているのかもわからない始末。

 こんな状況では流石の公爵家でも警戒されるのは当然だろう。


「せめて奇跡でも起こってくればいいのですが」

 現状ハルジオン公爵家との繋がりは、毎日のようにエリス様を送迎してくださっている公爵家所有の馬車。そこにはユミナ様も同乗されておられるのだから、当然護衛の騎士が数人付く。

 もしその護衛の騎士が、たまたま別の用事で護衛に付けず、たまたま暇をもて遊ばれていたあの方が、偶然馬車の護衛にと付き添われていたのなら、迷うことなく我らの主人を託せることが出来るだろう。

 だがこれは奇跡的な偶然が幾つも重なりあって初めて成立する話、そう簡単に奇跡が起こらない事ぐらい私でなくともわかるだろう。でも、いやもし、そんな奇跡が起こるのなら……。


 ヒヒーン。

「失礼します。先駆けの騎士様からのご連絡です。エリス様を乗せた馬車が間もなくご到着されるようです」

「そうですか」

「ただ……」

「ただ? ジーク様もご一緒だそうで……」

「「!?」」

 その言葉を聞いた時、思わず自分とカナリアの顔が交差する。

 本当にあの人はどれだけ神様に愛されているというのだ。


「カナリア」

「私が行きます!」

「えぇ、お願いします。我らの女神を救うために」


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