第43話 陰謀と策略と
「ふははは、お前の策がものの見事にハマったたな」
あの日、小娘にとって良い条件を持って行ってやったというのに、突き返されたのは完全なる拒否。しかもこちらをバカにした挙句、私と男爵家に対し対立姿勢すら向けてきよった。
金と立場で人は変わるというが、まさにあの小娘のことをいうのだろう。だが彼奴のバックには公爵家の影があることもまた事実。
あのあと小娘の周りを調べてわかったことは、どうやら出資をしたのがハルジオン公爵家で、エンジニウム公爵家はただ懇意にしている間柄なのだという。
なぜかハルジオン公爵家と聞いてファウストが一番喜んでいたが、どうせバカにした小娘が、所詮は飼い犬だった事に笑いが止まらなかったのだろう。私としては公爵家との繋がりも欲しいところなので、今後の事を考えるとやりすぎは正直得策ではない。
本来貴族であったとしても、四大公爵家と関係を持つことは非常に難しいのだから、感情任せにこのチャンスを逃すには些か勿体無い。
幸い息子のフレッドもその気のようだし、小娘を徹底的に追い詰め、逃げられないように閉じ込めでも出来れば、自ずと自分の立場も理解できる事だろう。
あとは利用するだけ利用し、傀儡とすればいいだけのこと。妻にとってもよい暇つぶしのおもちゃになるのではないだろうか。
「それでどうだ、あちらの様子は」
「報告によりますと、店へと足を運ぶ客は日に日に減る一方。ハルジオン公爵家からの接触は、妹の送迎を除けばここ一ヶ月程は全くございません」
「ほぉ、あの小娘。とうとう公爵家からも見捨てられたか」
「公爵家と言っても所詮は利用し、利用されるだけの関係。ましてやあの公爵は他人に温情すらかけない非道な人物です。使えないと思えばアッサリ切り捨てるぐらい当然の事でしょう」
ハルジオン公爵家の事となると妙に口数が増えるファウストだが、実際その通りになっているのだからそうなのだろう。
小娘と繋がりがあるとはいえ、所詮はビジネスの関係があっての事なので、利用価値がないと分かれば早々と手を引くのはビジネスの常識。
あの小娘と公爵家の繋がりが薄れていくのは私の望むところではないが、それも小娘を利用してプリミアンローズという好条件を差し出せば、再び交渉の場を持つ事だって不可能でないだろう。
そう考えると今あの小娘を孤立させ、止めをさすにはいいタイミングなのかもしれん。
「しかしたった一ヶ月でこの状況とは所詮は素人だな」
「そのようで。思ったより手応えがございませんでした」
小娘から切り札とも言えるケーキのレシピを盗んでおいてよくも言う。
「わかっていると思うがあの店には莫大な資金を投資しているのだ。油断は一切するな」
隣国の有名菓子店の名借りと、店の準備から改装費に掛かった費用は、優に男爵領が得る10年分の収益を上回っているのだ。ここで失敗でもすれば、追い詰められるのはこちらの方だ。
「心得ております。その為のプリミアンローズであり、ニーナという天才少女を担ぎ上げたのです。万が一の油断もございません」
まぁ、ファウストならば大丈夫であろう。
それにしてもこいつの策略だけは頭が上がらないな。
盗んだレシピをカモフラージュするため隣国の菓子店の名を掲げ、裏では隣国にあるプリミアンローズのレシピを真似したのは、ローズマリーの方だと噂を流す。
おまけに小娘の知名度を落とすため天才少女を担ぎ上げ、名実ともに見事にあの小娘を抑えきってしまいよった。
実際見事にケーキの再現をさせて見せ、店頭に並ぶ殆どのレパートリーを考えたのがニーナだというのだから、その腕は確かなものなのだろう。
「ファウスト、どんな手を使っても構わん。このまま一気に叩き潰せ」
「畏まりました」
ふふふ、あの小娘が泣いてひれ伏す姿が眼に浮かぶわ。
私の名前はニーナ、平民なので当然のごとくファミリーネームなんてものはない。
実家は小さな下町の菓子屋で、職人である父とそのお手伝いでもある母、そして真面目で頑張り屋さんの可愛い弟との4人家族。
あれは丁度二カ月ほど前のことだっただろうか、ある日突然父が経営する店へアルター男爵家の執事という男性が尋ねてきた。『女神に勝つつもりはありませんか』っと。
女神……。
昨今レガリアでは低迷しがちの菓子業界に、再び光のスポットをもたらしたという菓子業界に現れた女神様。
私がこのお菓子業界で10年に一度の天才職人と呼ばれている事は知っているし、女神様が私と同じ16歳の少女だと言う事も知っている。
正直私なんかが天才と呼ばれるのはおこがましいが、同じ歳、同じ業界で腕を振るう者としては、やはり一度は同じ土俵で競い合いたいと思うのは、おかしな事ではないだろう。それはこの私であったとしても。
だけど……。
「どういうことですか!」
見せられたのは女神様が経営するというローズマリーで、主力商品として出されているケーキのレシピ。
この時の私は貴族間では普通に流通しているものと思ってしまい、このレシピがどういう経緯で手に入れられたのかを疑いもしなかった。だけどお店がオープンする直前、騎士団の調査が入った事で気づいてしまった。
私が見てしまったレシピは、盗まれた物だったのだ……。
私は怒りを感じた。職人が生み出したレシピを盗んだ事、盗んだレシピを見せられた事、そしてその盗まれたレシピを考えもなしに見てしまった自分の浅はかさを。
私だって職人の端くれだ。アレンジ商品ならいざ知らず、新種のお菓子を生み出すにはどれだけの労力と時間を要したかは、言われなくとも理解ができる。
それを何の努力もなしに、欲望と好奇心のままで私は見てしまったのだ。
「貴女には関係のない事でしょ」
「関係あります! 私はこの店のキッチンチーフです。こんな犯罪まがいのこと……」
「お黙りなさい! 勘違いしているようですが、貴女はただのお飾りです。それとも気に入らないといって辞めますか? 貴女の実家、そしてニルスでしたか? 貴女の弟の薬代を稼がなければいけないのでしょ?」
「くっ……」
私の弟は生まれた時から体が悪かった。お医者様が言うには手術で治る病気らしいが、それには莫大な費用がかかり、とてもじゃないが一介の菓子店で払えるような額ではない。それでも両親は弟の為に必死に働き、私も物心が付いた時にはニルスの面倒を見ながらお店を手伝って来た。
だけど弟の体を保つだけの薬も高く、働いても働いてもお金は溜まるどころか減る一方。そして3年前にこの国を襲った大飢饉で一気に借金が増えてしまった。
それまで我が家を支えてくれていた菓子店だったが、鶏や牛などに与える餌の減少から卵や乳製品の高騰から始まり、お菓子の命とも言える砂糖は一夜にして高級商品へと変貌。
やがて物価は徐々に落ち着いては来たのだが、その時は既にお菓子は贅沢品という風潮が広まってしまい、このレガリアでは以前のような売れ行きまでは戻らなかったのだ。あの女神様が現れるまでは……。
結局父が経営する店は不況の波には勝てず閉店。父も母も働きに出るようになり、私も学園を辞めて働きに出た。
だけど16歳の女性という立場ではまともな仕事にありつけるわけがなく、日雇いの安い仕事を転々とする日々が続いていた。そんな時に私の前に現れたのがファウストと名乗る男性だったのだ。
「わかっていると思いますが貴女は既に共犯者、逃げることも隠れることも出来ないのです」
知らぬ間に私を嵌めておいてよくも言う。
もし初めからこんな目に会うと分かっていれば誰も……。いや、目の前にぶら下げられたお金に目が眩んで、断りきれなかっただろう。
「ですがご安心なさい。隣国からの出店ということで、レシピを真似していたのはローズマリーという事になっております。このまま一気に畳み掛ければ、真相は闇の中へと消えていく事でしょう」
「えっ、どういうことですか?」
盗んだ方が怪しまれず、盗まれた方が怪しまれるって……。
私だって一介の職人だ、女神と言われている人と同じステージで競い合えるのは願ってもない。だけどそれはこんな形ではなく、あくまで精々堂々としての戦いだ。
決してこんな騙し合いみたいな戦いは望んではいない。
「必要なのでしょ、お金が」
「くっ……」
ニルス、お父さん、私は……。
「さぁ、受け取りなさい。勝者は貴女です」
そして数日後、女神様が経営するローズマリーが、店を閉じたという知らせを耳にするのだった。




