第39話 生まれ故郷に(前編)
「お兄様、お父様が倒れられたってどういう事ですか!?」
父が倒れたという連絡を受け、ツヴァイ兄様が待たれている門前まで、大慌てで駆けつける。
「落ち着けアリス、俺にも状況がわからないんだ。兄貴から突然手紙が来たかと思ったら、ただ父上が倒れられたとだけ書かれていて」
そう言いながら兄様が差し出した手紙を奪うように受け取り、急いで中の文章を確かめる。
「なんですか、これ……」
手紙にはたった今お兄様から聞かされた以上の内容は書かれておらず、依然お父様の容体はわからないまま。
前々からいい加減な性格だとは思っていたが、まさかこの緊急時にまで詳細を伝えてこないとは思ってもみなかった。これじゃ不安を煽るだけ煽って、私たち王都組の兄妹全員に、嫌がらせをしているようなものではないか。
「とにかく状況がわからない事には仕方がない。兄貴に手紙を送って容体を確認するのも手だが、万が一って事もあるから俺は一度実家に戻って状況を確かめてくる。悪いがアリス、ドライとフィオーネ姉に連絡を入れておいてくれ」
確かにお兄様の言うとおり、この手紙だけではお父様の容体はわからない。
アインス異母兄に手紙を送って確認するのもいいが、すぐに返事が返ってくるかもわからないし、再び曖昧な内容を返されるかもわからないので、ここはツヴァイ兄様が直接状況を確かめ、その後に連絡をもらう方が余程懸命だろう。
私もそうだが、ドライ兄様もフィオーネ姉様も今すぐ駆けつけたくも、それぞれの仕事もあるので、慌てて駆けつけて『何もありませんでした』では、色々生活にも差し支えてしまう。ならばここは王都組の代表でもあるツヴァイ兄様に、全てを任せるのが一番の最良だろう。
「わかりました。それじゃ馬車を……」
「いや大丈夫だ。事情を説明したら当主が馬を一頭貸して下さった。このまま馬を走らせれば明日中にはデュランタン領には着けるはずだ」
王都からデュランタン騎士爵領まで馬車で2日の距離だが、馬単独で走らせれば確かに明日中には到着するかもしれない。ただし夜通し馬を走らせなければという過酷な道なりだが、お兄様もそれだけ焦っておられると言う事だろう。
「くれぐれも無茶はしないでくださいね」
「わかっている。俺だって結婚したばかりだからな、簡単には死ねないよ」
そう……そうだったわね。
ツヴァイ兄様もドライ兄様も、私が紹介したお仕事のお陰で、ようやく人並みの生活を送れるようになったのだったわね。
その成果かどうかは分からないが、ツヴァイ兄様は先月めでたくご結婚をされ、ドライ兄様も先日ご婚約をされた事は私の記憶にも新しい。
そんな幸せ真っ只中で、お兄様も命を落とすわけにはいかないだろう。
「アリス様、警備隊の一人を伝令役にお付けください」
話しかけて来たのは私を追いかけて来たと思われるランベルト。その隣に警備隊を指揮しているバードと、馬を引き連れた一人の警備隊員もいる。
恐らく緊急時のために予めバードに状況を伝えに行ってくれていたのだろう。こういう時に優秀な執事がいてくれると本当に心強い。
私はランベルトの言葉に甘え、警備隊員の一人をお兄様の護衛役兼、伝令役として同行をお願いする。
「ごめんなさい、貴方には無茶をさせてしまうけれど、お兄様をお願いします」
「お任せください」
短期間で往復をさせてしまうが、今はこの警備隊員にお願いするしかない。
後日お礼を兼ねた特別報酬を用意させてもらう事と、薬代や手術代が必要なら私が全て負担することを伝え、不安な気持ちのままお兄様達が旅立つ姿を見送る。
大丈夫、きっと大丈夫。
お父様はまだ現役といってもいい年齢だし、病気や病にかかったなんて話は今まで一度も聞いた事ははない。
それに例え入院する様な事になっても、お金がなくて治療が受けれないなんて事はないんだ。
案外ツヴァイ兄様が着いたときには元気になっておられるかもしれない。
そしてツヴァイ兄様が王都を旅立ってから3日後、私の元に一通の手紙を携えた伝令役が戻って来る。
「まさかこんな事になるなんて……。あの時アリスの言葉通りにお父様に会っていれば、これ程の後悔はしなかったのでしょうね」
王都から馬車で旅立ってから2日目。
ツヴァイ兄様を除く王都組の兄妹と、私の付き人としてついて来てくれたカナリアとフィーを乗せた馬車は、懐かしのデュランタン騎士爵領に差し掛かる。
あの日、私の元に届いた連絡はお父様が亡くなったという知らせだった。
「フィオーネ姉様、そんな事は言わないでください。私だって結局親孝行らしい事も出来ず、最後まで本当の事を話せないままだったんです」
この世界には電話やインターネットなどの連絡手段はないので、地方への連絡のやり取りにはどうしても日数がかかってしまう。そのためツヴァイ兄様が急いで馬を飛ばしたにもかかわらず、到着した時には既に手遅れの状態だったらしい。
唯一の救いは、お父様の死に際にツヴァイ兄様だけが間に合った事だろうか。
「二人ともそんなに悲観的になるな。二人がそんなんじゃ、エリスがもっと落ち込んでしまうだろ?」
途中で一泊したとはいえ余程疲れが溜まってしまったのだろう、今もフィオーネ姉様の膝枕で眠る妹を見ながらドライ兄様が言葉を掛ける。
そうよね。あのまま実家に置いて置けなかったとはいえ、エリスはたった10年しか父親と一緒に居る事が出来なかったんだ。それなのに私たちばかりが落ち込んでいては示しがつかないだろう。
やがて私たちを乗せた馬車は、想い出の詰まった一軒のボロいお屋敷の前に到着する。
「ここがアリス様とエリス様がお住まいだったお屋敷なのですか?」
「えぇ、ボロいでしょ?」
御者台に乗っていたカナリアが私の元へとやってきて、今日の宿泊予定となっている屋敷を見ながら尋ねてくる。
少々付き人としては失礼な問いかけだが、カナリアが尋ねたくなる気持ちもわからないではない。
建物自体の大きさは其れなりにあるのだが、庭には木材が乱雑に積まれており、形を保っていた石造りの建物は一部が崩壊。一応崩れた部分に補修はされている様だが、何も知らない人が見れば盗賊達の根城にでも見えるのではないだろうか。
「これはまた随分と傷んで来てるな。俺が家を出た時はまだ崩れてはいなかったぞ」
「私もですよ。さすがにここまでは酷くありませんでした」
たった半年離れただけだと言うのに、ここまでの有様とは想像もしていなかった。
唯一の使用人でもあるオーグストは、私が旅立つと同時に引退したと聞いているし、父や兄は領主としての仕事が忙しいと聞いていたので、義姉様だけはとてもこの広いお屋敷管理しきれなかったのだろう。
「それでお荷物はどういたしましょうか?」
「そうね、ちょっと待ってて貰えるかしら」
慌てて出てきたので、必要最低限の荷物しか持ってきてはいないが、お屋敷がこの様な状態では、私達が使っていた部屋が無事だとも言い切れない。
この家には来客用の部屋なんて立派なものはないので、まずはお屋敷の事情を知るクリス義姉様に相談するのが先決だろう。
私はエリスの肩に乗っているフィーを一旦カナリアに預け、ドライ兄様達と一緒に懐かしのお屋敷の中へと入っていく。
さすがにお屋敷内は綺麗にされているわね。
クリス義姉様はバカ兄には勿体ない程のお嫁さん。貴族の出だというのに、自分にできる範囲の事は一通りこなされるし、掃除も食事も作れる頼もしい女性。
それでも子供の面倒を見ながらなので、どうしても行きとどかないところも出てくるが、たった一人で文句も言わずにお屋敷を管理されているのだから、その苦労は相当なものではないだろうか。
「おかしいな。誰もいないのか?」
「そうね。お父様が亡くなったのなら大勢の人がいそうなものだけれど」
確かにフィオーネ姉様の言う通り、葬儀にしては余りにも静かすぎる。
これが夏場ならば葬儀には間に合わないだろうが、生憎と今は肌が凍えるほどの季節なので、連絡を受け王都から駆けつけるまでの間、葬儀は待ってくれるとツヴァイ兄様の手紙にも書かれていた。
だから私達は身支度もそこそこに、急いで駆けつけて来たのだ。
「とりあえずサロンにでも行ってみたらどうです?」
「そうだな」
公爵家のような立派な部屋ではないが、誰かいるならそこしかないだろう。
サロンならばキッチンや食堂にも近いし、先に着いているツヴァイ兄様かクリス義姉様のどちらかは居られるだろう。そう思い全員でサロンの方へと向かうのだが、部屋に近づくにつれ誰かが言い争っている様な声が聞こえて来る。
「だから理由…教え……れって言って……だよ!」
「うるさい! 父上…居なく……た今、この屋敷…主……俺だ! その俺…何をしよう……貴様には関係…ないだろが!」
何かしら、声からしてツヴァイ兄様とアインス異母兄が言い争っている様にも聞こえるのだが、扉の外からでは途切れ途切れになってしまって、内容までが聞き取れない。
私たちはお互い顔を合わせ、状況をたしかめるべくサロンへと続く部屋の扉を開く。
「ぁん? 何だお前ら、揃いも揃いやがって」
約4ヶ月ぶりのバカ兄との再会は、なんというか最低だった。




