第24話 ダイヤモンドの輝き
「ねぇカナリア、昨日夜の記憶がないのだけれど何か知っている?」
ハルジオン公爵家からの帰りの馬車、本来の予定では昨日のうちにお店へと帰り、翌朝からお店での接客、午後からエンジニウム公爵家のパーティーに参加し、今日という一日が終了する予定になっていたはず。
それが何故か当日の朝帰りになったうえで、昨日の夜の記憶が物の見事にふっとんで飛んでしまっている。
確かユミナちゃんに注いでもらった果実水を飲んだところまでは覚えてるのよね。だけどその後を思い出そうとしても全く思い出せない。
フローラ様に尋ねても『うふふ』と返されるだけだし、ユミナちゃんに聞いても『ふわぁー、むにゃむにゃ。今度一緒に飲みましょうね』と意味不明なことを返されるし、ジーク様なんて『ユミナから守りきった』と変な事をおっしゃっていたのよ?
目を覚ました時なんてホント驚いたわよ。だって目の前に疲れ切ったジーク様と、何故か眠たそうなユミナちゃんが対峙していたんだから、一瞬何事? って思っちゃったわよ。まさか一晩兄妹喧嘩とかやってたのじゃないわよね?
「世の中、知らない方がいい事もございますので」
ってなにそれ! ちょっと余計に気になるんですが!?
結局その後何を尋ねても教えてもらえず、馬車は無事にお店へと到着した。
「カナリア、悪いのだけれど私の荷物とエリスをお願い。私はこのままお店の方へ顔を出すわ」
朝から何故か頭が痛かったせいで、随分と帰りが遅くなってしまった。時間的にはお店は既にオープンした後なので、カナリアに頂いたドレスとエリスを任せ、私はこのままお店の方へと向かう。
本当はキッチンの方へのヘルプに入った方がいいのだろうが、私はすぐに出かける用意をしなければいけないし、リリアナと数人のスタッフをヘルプに入れているので人数的には問題無い。
それにたまには常連様に挨拶をしておいた方がいいと言われているので、今回は来店されているお客様まわりをさせてもらう。
ローズマリーのお客様は貴族の方が多いからね、これも立派なお仕事です。とはランベルトの言葉。
えぇ、もちろん分かっていますよ。社交も立派なお仕事のうち。精々お店の売り上げの為に頑張らさせていただきますよ。
幸いお父様達は昨日のうちに王都を発たれたと聞いているので、フロアでバッタリなんてことはないだろうし、フローラ様やユミナちゃんもパーティーやお茶会まわりで忙しいと聞いているので、突然来店されて慌てるなんてこともないだろう。
丁度いい機会なので、フローラ様に鍛えられた淑女の嗜みというものをお披露目しようじゃありませんか。
「あらアリスちゃんお久しぶり」
「こんにちはフューフォルニア様」
忙しそうに動き回るスタッフたちに軽く挨拶を済ませ、早速目に付いたご夫人に声をかける。
「今日はお一人なんですか?」
「えぇ、本当はお店の予約をしに立ち寄ったのだけれど、既にいっぱいだったようでね。残念だけど今の時期は仕方がないわ」
聞けば久々に息子夫婦さんが王都に戻られるそうで、それならば最近話題のお店に行ってみたいという話になり、メニュー選びと個室の予約で立ち寄ったところ、既に満室だったとの事だった。
今のシーズンって王都に多くの人たちが集まってしまうので、個室は数週間先まで埋まっちゃっているのよね。うちの店にとっては嬉しい話なのだが、ご利用されるお客様にとっては残念以外のなにものでもない。
「それでしたら当日お屋敷の方へお届けいたしましょうか? 今のシーズンは1階のカフェエリアもすぐに埋まってしまいますし、せっかく王都にお戻りになられるのなら実家でゆっくりなさった方がいいと思いますので」
「あら、いいわね。でも迷惑じゃないかしら?」
「お気遣いありがとうございます。お届けの方はお店のサービスで行っておりますので、お気軽にお申し付けくださいませ」
店側としては来店で捌ける客数は限られちゃってるからね。お持ち帰りや予約を頂いて、屋敷へのお届けで売り上げを伸ばさなければいけないのだ。寧ろ事前に数が読める分たすかるという面もある。
「そう? それじゃお願いしようかしら」
「ありがとうございます。それではご予約用のメニューをお持ち致しますね」
私は近くのスタッフを捕まえ、この後の対応を任せるように指示を出し、次なるお客様を探そうと辺りをぐるり。
さて、次は……
「アリス!?」
挨拶をするべき方を探すために店内を見渡そうとするも、背後から私の名前を呼ぶ声が聞こえ、条件反射的にそちらを向くと、目に入ったのは同伴する女性と共に、今一番会いたくもない人物が目に入る。
最悪だわ、なんでここにいるのよフレッド。
僕は婚約者でもあるマリエラにせがまれ、最近王都で人気だという高級菓子店へとやってきた、のだが……
「部屋が空いてないって、どう言う事ですの!」
いきなり個室がいいと騒がれうんざり状態。どうやら大変な人気店らしく、個室の予約は数週間先までギッシリ埋まってしまっているのだという。
「仕方がないよマリエラ。一階のフリーエリアでいいじゃないか」
もともと個室なんて聞いていないうえ、本人もこの店に来るまでそんな気もなかったはずなのに、偶然目の前にいた同年代の女性グループから個室という言葉が飛び出し、自分も対抗するように個室がいいと騒ぎ出しただけのもの。
そもそもこんな高そうな店で個室なんて頼めば、僕の持っているお金が全て吹っ飛んでしまうじゃないか。
如何に僕が男爵家の人間だとはいえ、自由に出来るお金なんてたかだか知れているし、元々領地収入が少ないからこそ、地方暮らしをしているのだから、もう少しこちらの懐具合を気にしてもらいたいものだ。
「ふん、何よこんな店。大した事がないじゃない」
個室を断られた腹いせとして本人は悪態をついているが、頼んだケーキというお菓子はこの店でも特に高い物ばかり。
周りを見渡してもこれほどの数を注文している客はいないし、当然店側に対し悪態をついている人は誰もいない。そもそも気に入らないのならそんなに数を頼まなくてもいいじゃないか。
マリエラと僕との関係はそれほど深くはない。
数ヶ月前に突然両親から今日からこちらがお前の婚約者だと、紹介されたのだから仕方がないだろう。
父上たちは隠しているようだがこの婚約には裏がある。マリエラ本人がそう言っているのだから間違いないだろう。
『私を怒らせたらどうなるか分かっているの?』
ちょっとした事を注意しただけで、男爵家の嫡子である僕に悪態を吐く始末。
どうやら父上はマリエラの両親が経営する商会に、男爵家が抱えている借金を肩代わりしてもらう事を条件で、僕と以前婚約をしていた騎士爵家との縁を切り、マリエラとの婚約を決めたのだという。
僕も貴族の家に生まれた身として親が決めた婚約には逆らえないが、それでも傲慢で我儘のマリエラを見ていると、以前婚約をしていた少女が懐かしく思えてしまう。
それにしてもあんな偶然……
あれはちょうど二ヶ月ほど前だっただろうか。いつものようにマリエラにせがまれ、王都に旅行へとやって来たのだが、そこで偶然出会ったのが嘗て僕と婚約をしていた彼女だった。
再会した彼女は以前とはくらべようがないほど様変わりしており、なんども目を瞬かせながら確認するほど綺麗になっていた。
今でもふと思い返すが、あれは本当にアリスだったのだろうか?
まるで狐に抓まれたように夢うつつの状態で、何度も当時の事を思い出しても未だに信じられないという気持ちの方が勝ってしまう。
その事を父上と母上に話したのだが、二人揃って『あの小汚い娘が変わるはずもないだろう』と信じてもくれない。母上なんて『あの髪を思い出しただけでも吐き気がするわ』という始末。だったらなんで婚約者に選んだのと文句を言いたいところだ。
「ちょっと! これと同じものを持って来なさい」
マリエラが忙しそうに店内を動き回るスタッフを捕まえ、さらに追加の注文を依頼する。
「頼みすぎだよマリエラ、まだ他のが残っているじゃない」
只でさえこの店のケーキというお菓子はどれも高級なのだ。しかもマリエラが頼んでいるものはその中でも特に高いものばかり、このケーキ一つで銀貨20枚もするっておかしいだろ。それを既に5つも目の前にならべているのだ、単純に計算しただけで金貨1枚って、僕の小遣いが尽きるどころか男爵家の金庫が底をついてしまう。
「あらアリスちゃんお久しぶり」
「こんにちはフューフォルニア様」
えっ、アリス?
こんな高級菓子店で聞こえるはずのないアリスの名前。男爵家の僕でさえここ店の敷居は足踏みしてしまうというのに、騎士爵家のアリスが来れるわけがない。しかも今の彼女は貴族の名を捨て、平民へと成り下がっているのだから尚更だろう。
ダメだ、僕はいったい何を期待しているんだ。
あの日見た彼女の姿がどうしても忘れられない。うす汚れた肌に、ボロボロな服、髪は辛うじて整えてあるがツヤも輝きも全く見当たらない。
それが透き通るような白い肌に、母上が嫌う銀髪は見違えるように輝き、服装こそ地味なものだったが、それすらも計算されたかのような美しさだった。
思わずマリエラじゃなくアリスを僕のお嫁さんにと、考えてしまったのは仕方がないことではないだろうか。
それにしても似ている。ここからじゃ誰かと話しているようで顔が見えないが、気品のあるブルーのドレスに身を包み、ついつい目を引き付けてしまう鮮やかな銀髪。母上があれほど気味が悪いと言っていたあの銀髪が、目の前の女性だとダイヤモンドの輝きさえも凌駕してしまっている。
「それではユーフォルニア様、後はこちらのスタッフにお申し付けください」
「ありがとう、助かるわ」
「それではごゆっくりどうぞ」
僕の中で『もしかすると』という楽観的な希望と、そんなことはありえないという現実を見据えるもう一人の自分。そもそもアリスがこのような店に居る分けがないのに、何故か僕の視線は彼女の後ろ姿にクギヅケの状態。
やがてご婦人との会話が終わったのか、立ち去ろうとする銀髪の女性が振り向くと同時に、僕は反射的に立ち上がり彼女の名前を呼んでいるのだった。




