上位下達
「聡さん」
「彰彦、すまないな……非番の日に」
「いいですよ、別に。お昼ご飯奢ってくれるんでしょう?」
さらりと無視して署の玄関をくぐる。捜査本部が置かれているのは2階の会議室だ。
部屋の中はガランとしている。捜査員達は皆出払っているのだろう。
ひな壇の一番前に置かれたホワイトボードに加害者の似顔絵が貼り付けられている。西崎の話では息子の隆弘は彼の妻によく似ているという。
聡介は似顔絵を注視した。
「こないだ天満川の河川敷で起きたホームレスの事件ですよね?」
和泉が隣に立って言った。
「ああ……」
「これって倉橋さんところの事案でしょう。どうして聡さんが首を突っ込むんです?」
倉橋とは聡介と同じ捜査1課の強行犯係長である。
年齢も経験も似たようなもので、階級も同じ。お互い特にライバル視している訳でもなければ、仲が良い訳でもない。
「訳は後で話す。とにかく、この顔をよく覚えてくれ」
聡介は西崎の息子と思われる少年の似顔絵を指差した。
「聡さんって、こういう子が好みのタイプなんですか? ……痛いですって、黙って蹴りを入れないでください」
そこへ若い制服警官がやってきた。
彼は何か見つかるとマズイことでもしていたのか、慌てた様子で敬礼する。
「誰もいないのか?」
「はいっ! 倉橋警部を初め、全捜査員が出払っております!!」
捜査は進展しているのかと訊きかけてやめた。
少年が加害者である場合、まず該当者を探し出すのだけで骨が折れる。
いわゆる不良グループを形成する若者達は皆、似たような格好、似たような言葉遣い、そして皆同じような表情をしている。
広島市内は東京や大阪に比べれば規模はそう大きくないとしても、広いのは確かだ。その上今回は明らかに行きずりの犯行である。
動機あっての殺人事件であれば交友関係を探って行くことで捜査は進められる。
そういう意味で、なんとか命を取り留めた被害者から加害者の似顔絵を作成できたのは僥倖だったのかもしれない。
そこへ倉橋が戻ってきた。
「あれ、高岡さん?」
お疲れ、の意味で軽く手を挙げる。
「どうしたんですか、手伝いでもしていただけるんですか?」
余計な御世話だと言外に匂わせて彼は言った。
「まぁ、そんなところだ」
倉橋は若い制服警官にお茶を持ってくるよう命じ、それからパイプ椅子に腰かける。
「高岡さんところは暇なんですか? それとも、何か企んでいるんですか?」
「人聞きの悪いことを言うな。暇を持て余しているんだよ、俺も」
「持て余しているのは暇だけじゃないでしょう?」
倉橋はちらりと和泉に視線を向けた。
彼を初め、聡介の部下はなかなか一筋縄でいかない変わった刑事が多いことで有名だ。
しかし彼がこんなふうに絡んでくるということは、思うように捜査が進展していないということだろう。
「一つ聞いてもいいですか?」突然、和泉が言った。
「なんだ?」
「事件があったのは確か、先週金曜の午後11時でしたよね?」
「それがどうした」
「現場は近くに街灯もないような暗い場所ですよね? よく自分達を襲った相手の顔を見て覚えていましたね」
「……その時、ガイシャ達は火を焚いていたんだ」
「そうですか」と、和泉は黙った。
確かにそうだ。
聡介もまだ実際に現場へ行ったことはないが、事件が起きたのは夜も更けてから。
近くに街灯があったとしても、似顔絵を作成できるほどはっきり顔を見ることができだのだろうか?
「実のところを言うと、あの近辺には日中もこの似顔絵のクソガキどもが出没して、ホームレス達に石を投げつけたり、掘立小屋に火をつけたりと何かと賑やかなんだ。ガイシャの1人が言うのは、暗くてあまりよく顔も見えなかったが、声が昼間のと同じだと言うんだよ。そんな訳でこの似顔絵ができた」
倉橋は運ばれたお茶を一口飲むと、苦い顔をしてホワイトボードを睨んだ。
「人を探すなら人海戦術だろう?」
我ながらもう少し上手いことが言えないだろうかと思いつつ聡介は言った。
「頼む、俺達にも手伝わせてくれ」
「……並行して他の事件が起きたらどうするんです?」
「かけ持ちするさ」
倉橋は大きく溜め息をつくと、
「好きにしてください。ただし、我々の邪魔だけはしないと約束してもらえますか」
素直に承知してから聡介は和泉を連れて安芸中央署を出た。
ごく自然の流れのように、結局昼食を奢らされる羽目になった聡介だが、和泉は先ほどから黙っていた。
訳は後で言う、と言ったことを思い出す。
「西崎さんの息子さんですか?」
急に向かいに座っている息子から訊ねられた聡介は、反応が追いつかなかった。
「さっきの似顔絵の男の子ですよ。顔を覚えろって、そういうことでしょう?」
「……どうしてわかるんだ?」
すると和泉は鼻を鳴らして、
「先日西崎さんと会ったんでしょう? その時に、もしかしたら自分の息子が……って相談を受けたんじゃないですか。刑事が息子を逮捕させる前に何とか説得したい、だけど家に寄りつかない、どこにいるのか所在がわからない……そんなところじゃないですか」
聡介は思わず目を丸くした。
「どうしてわかるんだ?」
「それぐらいのこと、読み取れないで刑事なんかやっていられませんよ」
和泉は得意気に言った。
「……協力してくれるか?」半ば祈るような気持ちで聡介は息子を見つめた。
これからは毎日昼ご飯奢ってくれたら、とか言うのかと思っていたら、
「僕は聡さんの息子で部下です。上司の命令には従います」
思いがけず真面目な返事で安心した。




