第7話 リヴァードの秘蔵っ子
旧水路を抜けて地上に出た瞬間、ティエナは思わず目を細めた。
強い光が差し込む。まだ午前の陽射しのはずなのに、暗い地下に長くいたせいか、それだけで世界が輝いて見える。
「……まぶしっ」
隣で、イグネアが微かに眉をひそめる。
ドレス風の冒険者装束には泥のしみがまだらに残り、レイピアの鍔にも乾いた泥がこびりついている。
「はぁ……はやく館に戻って、お風呂に入りたいですわ……」
そのひとことに、ティエナは「そうだ!」とばかりに手を打った。
「じゃあ、ちょっとだけ、じっとしてて!」
「え……?」
ティエナはすっと指先を立てて、小さく詠唱する。
「《清流の手》っ」
空中から糸のような清らかな水が現れ、イグネアの衣服をやさしくなぞった。
どろどろの泥がさらさらと流れ落ち、赤黒く変色していた布地が元の鮮やかな赤色へと戻っていく。
「……さっき、素材を洗っていた時の魔法、ですわね?」
イグネアは感心したように身じろぎし、スカートの裾をそっとつまみ上げた。
目を丸くまじまじと見つめると、感嘆の息を漏らした。
「えへへ、じいちゃんから教わった魔法……ということでっ」
ティエナが笑ってごまかすと、イグネアは目を細める。
「また『秘密』ですの? ふふ……そういうの、気になりますわね」
ふたりが街道を歩き出すと、ノクがティエナの肩にひょいと飛び乗った。
イグネアの視線が、興味深そうに小さな白い竜へと吸い寄せられた。
「先ほどティエナさんが『ノク』と呼んでいましたわね? あなた、さっきの戦いで……言葉、普通に話していましたわよね?」
イグネアが改めて見つめてくると、ノクは面倒くさそうに尻尾を揺らす。
「うん、話せるよ。人間の言葉」
「……普通、魔獣はそこまで発音できませんわ」
イグネアはノクに顔を近づけ、まじまじと見つめた。
ノクは少しだけ居心地が悪そうに身震いする。
ティエナは顎に指をあてて視線を宙にさまよわせていたが、やがていつものような笑顔に戻ると、口を開いた。
「ノクはね……ちょっと特別なんだ。拾った石像から生まれたっていうか……。
じいちゃんがそれを見つけて、ミアズマに汚染されて魔物にならないように、清めて、ずっと祀ってたんだって。
わたしが物心ついた時には、もう一緒に暮らしてたから詳しくは知らないんだけど」
ティエナの説明を聞いてもいまひとつイメージが掴めないイグネアは、困ったような顔で小さく首を傾げた。
「よくわかりませんけど……魔物ではないんですのね?」
「うん。たぶん。魔力のかたまり、みたいな? 正体はよくわからないけど、危ない感じは全然しなくて」
「ふぅん……」
イグネアは頷きながら、興味を隠さない瞳をノクに向けた。
ノクは言葉こそ返さなかったが、尻尾を振って応えた。
「正体がわからないことで、ご不安ではなくて?」
「うーん。ずっと一緒だし、不安とか感じたことなかったなぁ」
気楽そうに言うティエナに、白い竜は尻尾をぴんと立てて言った。
「ぼくは……自分が何者なのか、ちょっと知りたいかもだけどね」
「でしたら、いずれわたくしの方でも調べてみますわ。そういった前例が過去に記録として残っていないか……文献を探してみますの」
「えっ、そんなに本気で……?」
「当然ですわ。興味を持った以上、調べずにはいられませんもの」
イグネアがふわりと笑うと、ティエナもつられて笑った。
「じゃあ、お願いしちゃおっかな」
そんな風に話しているうちに、ギルドの建物が視界に入ってきた。
扉を押し開けると、まだ昼前の時間帯にもかかわらず、中はいつも通りの喧騒に包まれていた。
「ただいま戻りましたっ。水路掃除、全部終わりました!」
ティエナの声に、カウンターの向こうにいたクラリスが顔を上げる。
「お帰りなさい、ティエナさん。あら……イグネアさんもご一緒だったんですね?」
イグネアが軽く一礼した。
「ええ。たまたま、現場でお会いしましたの」
ティエナはこくこくと頷くと、誇らしげに胸を張った。
「水路すっごく綺麗にしたから、見に行ってもらっても――」
「その必要はありませんわ。水路掃除の様子、わたくしこの目で確認しております」
イグネアが涼しい声で割って入ると、クラリスは驚いたように目を瞬かせ、すぐに微笑んだ。
「イグネアさんが確認されているのでしたら、問題ありませんね。お掃除、ご苦労さまでした。お疲れでしょう? すぐに報酬をご用意しますね」
数分後、ティエナの手には小さな革袋が手渡された。
袋の中で、しゃらりと銅貨が音を立てる。
「ありがとうございますっ!」
ティエナは袋を受け取ってにこっと笑うと、中を覗き込んで少し口をとがらせた。
「でも……エンラット退治までしたのに、これか〜。とほほ〜」
そのひとことに、カウンター付近の冒険者たちがざわついた。
「エンラット!?」「今なんて……?」
ティエナはハッとなり、袋を胸元に抱える。
そして、少し声を落として口を開いた。
「……旧水路の奥で、会ったんです」
クラリスの表情が一瞬で引き締まる。
「エンラット……ですか?」
「はい。ネズミみたいなやつ。でも、普通じゃなくて……腐ったような毛並みをしていて、赤黒い目をしてて……」
「確かにエンラットの特徴……!」
どよめく冒険者たち。
クラリスも目を見開いたが、平静を装いティエナに質問を続けた。
「旧水路に、それが?」
「うん。入口の封鎖板が壊れかけてて……ちょっとだけ、様子を見ようと思ったら。最初は一匹だけだったけど、だんだん増えてきて……」
そこでイグネアが一歩進み出て、ティエナの言葉を遮るように発言をした。
「本来、あの区画には入るべきではなかったのは承知しております。ただ――既にエンラットの群れが棲みついており、放置すれば市街地への拡散の恐れもあると判断しました。やむなく侵入して討伐いたしましたわ」
「……そこまでの状況だったんですね」
クラリスは深く頷くと、改めてイグネアに視線を送った。そして、深く頭を下げる。
「討伐、ありがとうございます」
ざわついていた冒険者たちの視線も、イグネアへと集まった。
「さすがイグネアさんだな!」「やっぱBランクはすげえな!」と、口々に賞賛の声が上がる。
そこでイグネアは、周囲が大きな勘違いをしていることに気づいた。
ティエナは何も考えていないのか、一緒になってうんうんと頷いている。
「違いますの、クラリスさん」
イグネアはティエナの背中をそっと押し、一歩前へ歩かせた。
「今回の功労者はこちらのティエナさんですわ」
そこで一息おいてから、もう一言加える。
「さすが、リヴァードさんの後継者ですわね?」
ティエナは照れくさそうに笑い、ノクが「まあね」と小さく鼻を鳴らした。
冒険者たちはまた一層盛り上がった。
「あの年で?」「登録したばかりの新人じゃないのか?」
騒がしい周りをよそに、ティエナは袋を胸に抱きしめながら、ちょっぴりしょんぼりと呟く。
「でも……掃除と戦闘でがんばった割には、やっぱり報酬ちょっと寂しいかも……」
その様子を見たイグネアが、ふふっと微笑んで言った。
「でしたら、素材の買取に行きましょうか。エンラットの素材、清めてあるならそれなりの値がつくはずですわよ」
「――ほんとに!? やった、少しはごはん代になるかもっ!」
「……現金だなぁ、ほんとに」
ぱあっと顔を輝かせたティエナの肩の上で、ノクが呆れたようにぽつりとこぼした。




