第45話 罠の迷宮と空の断崖
四十六階層――石造りの部屋がいくつも連なる、一見するとありふれた構造。だが、妙に静まり返った空間に、全員が言い知れぬ違和感を抱いていた。
その階層は、まさに“罠の巣窟”だった。フィンが先導し、慎重に一つ一つの罠を解除していくものの、扉や床、壁に至るまでが擬態するミミック地獄。常識が通じない空間が、パーティの進行を阻む。
仲間たちが連携し、どうにか危機を乗り越えた先――最奥に現れたのは、赤と青、二つの魔法陣による選択式の罠解除装置。息をのむ空気の中、フィンが選んだのは“青”。だが、その直後、イグネアが即座に“赤”を指し示す。結果、"赤"が正解だった。
「――こうして、四十六階層はフィンくんの活躍により見事に突破できたのでした」
「……おい、やめろ。オレを落ちにつかうのをやめろ」
長尺のメイスをまるでマイクのように持ち歩きながら語るオーキィに、フィンがうんざりとたしなめた。
「最後の二択。イグネアさまの的確な指示、お見事でした! どうして当てることができたのですか!?」
マイクに見立てたメイスの先端をイグネアに近づけるオーキィ。
イグネアはゆるやかに手を上げて髪を払うと、金糸のごときロングヘアが風に舞い、まるで舞台に立つ女王のように優雅に微笑んだ。
「フィンの運ならば二択を絶対に"外す"のでしょう? その逆をいったまでです」
「おい。イグネアまで悪乗りするのやめろ……」
フィンのぼやきを背に、先頭を歩くレオ。あくびを噛み殺しながら気怠そうに歩き、その肩にはノクがしがみついている。
「ここまでは順調にやってきた私達ですが……今! 私達は……四十七階層に苦しめられているのです……!」
空いた片手を大きく外側にひらくオーキィ。
そこから見下ろした景色は、絶望的なまでの高さにそびえる断崖と、深く濃い霧に覆われた谷底だった。雲が眼下に広がり、時折、冷たい上昇気流が頬を撫でていく。
足場として浮かぶ岩は、自然に存在するとは思えない不規則な配置で、大小さまざまな石の塊が、魔力の浮遊場にでもあるかのように宙に漂っていた。飛び石のように連なってはいるが、その間隔は飛躍を要する距離で、風の揺らぎに合わせて微かに動いてすらいる。
さらに不穏なのは、それらの岩の上に鎮座する翼の生えた石像たちだった。武器を構えた騎士のような姿のものもあれば、獣の爪をもつ異形の像もある。それらがただの装飾でないことは、誰の目にも明らかだった。そう――“試す者を見下ろす番人”のように、静かにこちらを睨んでいるのだ。
一行はあたりにティエナがいないか目を凝らして確認するも、どうやらここにもいなさそうだった。 彼女はこの空間をどうにか越えたのか――それとも、まだここに至っていないのか。そんな疑問が一瞬よぎるが、今は前に進むしかない。
*
――眼前に広がる“空の断崖”。
「……どうしましょうか、イグネアさま!?」
地面の代わりに、雲と浮遊岩が広がるこの異常な足場。
思わずメイスをおろし、困惑顔でイグネアを振り返るオーキィ。
強い風に顔をしかめながら、イグネアが答える。
「跳躍には少々厳しい距離ですし、飛びつこうものなら――」
岩場の石像に手のひらを向ける。
「あれら石像が襲い掛かってくるのは明白ですわ」
「ぼくが飛んでいってロープでも渡そうか?」
レオの肩にしがみついたまま振り返って進言するノク。
「この風でノクが飛ばされるのが一番危険ですわ」
「そうだよな。ちょっと固定しておくか」
レオがザックから長めの布を取り出す。ノクは自分が包まれそうになって、ぴくりと身を縮めた。
「え、まさか、ぼくを背負い袋に入れる気?」
「そんな乱暴じゃねぇよ」
布を手際よく畳み、ノクの胴をくるむようにして肩に縛り付けていく。余った部分は背中から腰に回し、しっかりと結ばれた。
「……ほら、これでよし。ちょっとは我慢しろよ、飛んでったら洒落になんねぇからな」
「うう、ぼくのプライドが……でも、まあ風で吹き飛ばされるよりマシか……」
ノクは観念したように、ぐったりとレオの肩に体を預けた。
*
「幸いにもここの地面は土ですし、レオなら土魔法で橋渡しできますわよね?」
「ったく、出来て当然みたいな言い方しやがって」
嘆息しながらも腰のロングソードを抜き、地面に突き立てて詠唱を始める。
「大地よ、我が声に応えよ――この空を越え、石の道を架けたまえ!」
詠唱の言葉に応じるように、足元の土がうねりを上げ、岩を抱き込んで前方へと伸びていく。風に揺れながらも、しっかりとした一本の橋がかかった。
「強度はあんまり期待できねぇぞ。さっさと渡れ」
そう言いながら、レオが先頭を駆け抜ける。イグネアも軽やかな足取りで続いた。
「……私の時に崩れないでよ?」
何かを気にしながら、オーキィも慎重に走り抜け、最後にフィンが橋を渡った。
レオは黙々と岩の橋を伸ばし続ける。
イグネアは頭上に火球をいくつも浮かべ、石像がわずかでも動き出す気配を見せれば、間髪入れず翼の付け根めがけて爆炎を撃ち込んだ。
一度でも片翼を失えば、魔像はそのまま落下していく。魔核の回収を諦めるなら、これ以上に確実な“無力化”はなかった。
そうして一行は、風が唸り岩が漂う空中の断崖を、息を詰めるような緊張の中、ひとつずつ乗り越えていく。
最後の浮遊岩を越え、ようやく安定した地面に足をつけたその瞬間――イグネアが、つぶやくように口を開いた。
「……出てくる場所がわかっているお化け屋敷なんて、何も怖くないですわね」
本来であれば、この“空の断崖”は、一歩の踏み違えが即、奈落への転落を意味する危険地帯だった。
風に煽られた瞬間に命を落とすのはもちろん、魔物との空中戦を強いられる場面も想定される、極めて厳しい空間だ。
だが今回は―― イグネアの火球による的確な魔物封殺と、レオの土魔法による迅速な橋渡し。ふたつの判断が完璧に噛み合ったことで、空中戦すら発生しないという、異例の無傷突破が実現したのである。
一行は、今一度背後を振り返り、ティエナの姿を探す。
ティエナの姿は、やはりどこにも見えなかった。
(……どうかご無事でいてくださいましね)
イグネアは小さく目を伏せ、すぐに顔を上げた。
風が鳴る断崖の先、ぽっかりと口を開けた浅い洞穴――そこにぽつりと佇む"ゲート"。
一行は無言のまま視線を交わし、迷いなくその“ゲート”へと歩を進めた。
……次なる試練へと向かうように。




