第33話 広場に咲く、氷華の輪
休息を終えたフィンたちは、アンダーの一角にある広場へと足を運んでいた。
地上の街とは違い、この場所には整備された街灯や魔力ケーブルなどはほとんど存在しない。
代わりに、組み上げられた大型の松明がぽつぽつと配置されており、最低限の明かりが確保されている程度だ。
人目の少ないこの広場を選んだのは、訓練によってあまり騒ぎにならぬように……という、ささやかな配慮からだった。
かつてのクラックフリーズ戦では、氷による広範囲の凍結攻撃に苦しめられた。
そして、ロイの報告により、今後41階層以降で再び、しかも複数体と対峙する可能性が高いことが明らかになった。
その備えとして、対策の準備は急務だった。
「さて……そろそろ、氷の床の対策を始めましょうか」
腰掛けていた岩から立ち上がりながら、イグネアが言った。
その声に、フィンとノク、ティエナもそれぞれの手を止める。
「うん。あの床に足を取られると、動きが止まって命取りになるもんね」
オーキィが手をぐるりと回しながら、足元を見下ろした。
「じゃあ、まずは……氷を作る魔法の詠唱から、やってみるよ」
言い終えると、オーキィは空中に指をすっと走らせ、即興の詠唱構文を編み上げていく。
「水よ、流れて集え。冷たき静寂と共に、その身を結べ——《氷晶創出》」
詠唱の終わりと共に、空中に現れた水の塊が淡く光り、やがてそのまま凍ってゆく。
掌ほどの氷の結晶が形成され、オーキィの手のひらにそっと落ちた。
「……よし、凍ったわ。こんな感じね」
「じゃあ、次はわたしの番……かな?」
ティエナが一歩前に出る。彼女は軽く目を閉じ、両手をそっと掲げた。
その掌に、水がふわりと現れる。
(……わたしの権能でも、同じことができるかな)
水の球を、意志の力で冷やしていく。やがて、水は氷へと変わり、ころん、と音を立てて地面に落ちた。
「やった……できた!」
ティエナが笑顔を浮かべると、仲間たちもそれを見て頷いた。
「見事ですわ、ティエナ。では、次は攻撃への応用を試してみませんこと?」
イグネアの言葉に、ティエナは小さく頷く。
《清流の手》で新たに水を生み出し、それを螺旋状にねじり、先端を鋭く尖らせていく。これで《水流の刃》の完成だ。
そこからさらにその刃を、凍らせるイメージを持たせる——螺旋の先端から音を立てて凍結していく。
あのとき、自分たちを苦しめた攻撃を、そっくりそのまま、今度は自分の力で再現するように。
それが、ティエナの権能《清流の手》の応用技——クラックフリーズの技を模した《氷撃の槍》だった。
シュッ。
氷の槍が空を裂き、地面に突き立った。石畳がその一点から淡く凍りついていく。
「……クラックフリーズの技!? すごいね! 再現、できるんだ」
その成果を見て、ノクは驚嘆の声を上げた。
どや?とばかりに胸を張るティエナ。けれどその横では、別の意味で震えている者が一人。
「ははははは! トラウマ級の攻撃だな!」
フィンは目を据わらせたまま笑っていた。凍りついた自身の姿が脳裏をよぎったのか、顔が引きつっている。
「あらー、メンタル攻撃はヒールできないよー?」
オーキィが苦笑まじりにフィンの頭を撫でる。
「ま、まぁこれができるなら、凍結床の再現もできそうだな。あとはこの床をどう動くか、だが――」
なんとか気を持ち直したフィンが腕を組みながら地面を見る。
凍った石畳の上に、そっと足を乗せると——ツルッ。
「うわっ、と……やっぱ滑るな」
慌てて体勢を立て直すフィンに、オーキィが苦笑した。
「そりゃあねぇ。魔物じゃないから、氷の上をスケートみたいに滑れたら苦労しないわよ」
「……土魔法で、靴の裏に石のスパイクでも作ってみる?」
ノクがぽつりと呟く。
「ほう? お前そんなこともできるのか? 俺の靴底にちょっとやってみてくれよ」
ノクがピィィーと、高い音のような鳴き声で軽く詠唱する――
「土よ、硬く尖れ……《土竜爪》!」
淡い土色の魔力がフィンの足元に流れ込み、靴底にごつごつとした岩の突起が形成された。
試すように一歩、また一歩と氷上を踏み出す。
「……おっ、これは……いけるな、滑らない! すごいな、ノク!」
フィンが感嘆の声を上げる。
「はい! 次はわたし! わたしの靴底にもやってみてよ!」
ティエナが手を上げて、試させてもらう。
「おおーー、これは……滑らないけど……歩きにくいねぇ~」
ノクは小さく首を傾げながら補足するように言った。
「でもね、すぐに削れて丸くなっちゃうかも。岩のトゲ、そこまで硬くないからね」
実際、フィンの足元では、既にいくつかの突起が欠け始めていた。
「なるほど……応急処置にはなるけど、頼りきりにはできないな」
「では、他にも対策案が必要ですわねぇ」イグネアも顎に手を当てて考える。
その騒がしい様子を見ていた周囲の冒険者たちが、次第に近づいてきていた。
「おいおい、なんだなんだ? 訓練か?」「氷魔法の練習? 面白そうじゃん」
「それって敵の再現? オレたちもやっていい?」
次々に声をかけてくる冒険者たちに、イグネアがにこやかに応じる。
「もちろんですわ。危険がない範囲で、ぜひお試しくださいませ」
その一言で、広場はたちまち訓練場のような空気に包まれていく。
ティエナは広場の中央に立つと、《氷撃の槍》を再び編み出し、足元へと打ち込んだ。尖った氷の螺旋は地面に刺さると鋭く凍り、瞬く間に周囲の地面が白く染まる。
氷の床が放射状に広がっていき、訓練場の輪郭を形づくるように凍結が進んだ。
スパイク魔法を試す者、氷上で滑っては笑う者、滑らないための工夫を語り合う者たちが広場のあちこちで輪を作る。
「こういう床が敵の技で出てくるのか……慣れておくだけでも違うな」
「オレ、滑るの慣れてるから意外といけるかも。つま先重心がコツか?」
活気と人の輪が広がっていく。
「この魔法、床まで凍らせちまうのか……お嬢ちゃん、ただもんじゃねえな!」
通りすがりの中年の冒険者が感心したように言う。
「え、えへへへ……」
ティエナがバツの悪そうな笑みを浮かべながらも、少しだけ誇らしげに答えた。
「なあ、さっきの魔法……どこで覚えたんだ?」「あんな凍らせ方、見たことねえぞ」
興味津々の視線が集まる中、イグネアが前に出て微笑む。
「あら……ご興味を持っていただけるのは嬉しい限りですけれど、これは伝説の冒険者リヴァード様から伝わる秘伝の技術と聞いておりますの。詳細はあまり口外できませんが、対策の一助になれば幸いですわ」
と、その横で——
「……あっ、良い方法、思いついちゃったかも」
ぽつりと呟くティエナに、周囲の冒険者たちが一斉に振り向く。
「お? なんだなんだ?」「新技か!?」
ティエナは頬を染めながらも、にっこり笑って言った。
「ふふ、まあ見ててよ……!」
両手をそっと前にかざし、結界の詠唱に入る。
「《清涼の環》……いつもなら、瘴気を中和する権能だけど…今回は、氷を水にするイメージで……」
静かな詠唱のような言葉と共に、淡く光の輪が広がる。次の瞬間――
バシャアアアアアンッ!
凍りついていた床や壁が一斉に水となり、飛沫を上げた。
本来は瘴気や毒素を中和するための《清涼の環》。だが、ティエナはそこに新たな“意図”を重ねた――凍結の解除。氷を、ただの水へと還すイメージを。
一瞬の静寂。
「な、なんだ今の……!」「全部……溶けた……!?」
冒険者たちが一同にざわめく。氷の上を滑っていた者は突如氷が失われて転んでいるものもいる。
「やったね! 大成功!」
ティエナが誇らしげに笑う。
「……もうティエナのやることには慣れたと思いましたけど…まだまだ驚かされますのね…」
イグネアが感嘆の表情で呟く。
「これできるんだったら、近接戦でいけるな」
フィンがポリポリと頭をかきながら言う。
「その時は任せてよ!」
オーキィがメイスを掲げて胸を張る。
周辺から「びしょ濡れだぁ!」「やるなら先いっとけよ!」と非難と共に賞賛が飛んでくる。
そんなどよめきの中——ふと、空気が変わった。
熱気とざわめきに包まれていた広場に、一瞬の静寂が訪れる。
誰かが、異質な“気配”に気づいて振り向く。
その視線の先、広場の外から、ひときわざらついた声が響いた。
「おいおい、騒がしいと思ったら……お前か、イグネア」
狂獅子と呼ばれる男が、そこに立っていた。




