第3話 冒険者になった日
スタトの街の門をくぐると、目の前に広がるのは想像以上の活気だった。
焼きたてのパンの香り、果物を売る声、鍛冶屋の金属音と馬車の車輪が石畳を鳴らす音が交差する。
ティエナはそのすべてを目に焼き付けるように、きょろきょろしながら歩いた。
「……わ、すごい。ほんとに別世界って感じ……」
その様子を見て、ノクが肩の上で小さく笑う。
「何度か来たことがあるとはいえ、自分の意志で来たっていうのはやっぱり違う?」
「うん。じいちゃんと来たときは、ただついて歩くだけだったけど……今日は、自分の足で自由に進めるもん」
まず最初に目指すのは、冒険者ギルド。
街に来たらそこに向かおうと、ティエナは決めていた。
中央通りを抜けた先、堂々とした石造りの建物に「スタト冒険者ギルド」と彫られた看板が掲げられていた。
ティエナは緊張を抑えるようにひとつ深呼吸をしてから、扉を押し開ける。
中は木の香りと冒険者の熱気が入り混じる広々とした空間。壁には依頼書の貼られた掲示板、奥には受付カウンター。
入口近くの壁には、大きな戦斧が飾られていた。鉄と木の重厚な質感が、空間の中でひときわ存在感を放っていた。
見渡せば、装備を整えた冒険者たちがテーブルを囲んで談笑していた。
その喧騒のなか、ティエナの肩に乗るノクの姿が視線を集めた。
「おい、あれテイマーか?」「連れてる魔獣……なんだ?」
そんな声を背に、ティエナは少しだけ縮こまりながらカウンターに近づいた。
そこにいた受付嬢――落ち着いた雰囲気の女性が、にこやかに出迎えた。
目が一瞬ノクに向いたが、すぐにティエナへ視線を移して優しく微笑む。
「いらっしゃいませ。ご用件をどうぞ」
「あの……これ、じいちゃんの遺品で……」
ティエナが袋から取り出した木札。それはボロボロに擦り切れていた。
ティエナはその木札を受付嬢にそっと差し出した。
「先月……じいちゃんが亡くなって。この冒険者証を返しに来たんです」
受付嬢は、驚きと懐かしさが入り混じった表情を浮かべた。
「この名前……リヴァードさん。……もしかして、お孫さん?」
「血はつながってないけど、小さいころ拾われて……育ててもらいました」
「そうでしたか……リヴァードさんには、ギルドとしても本当にお世話になりました。ご冥福をお祈りします」
受付嬢は静かに頭を下げ、木札を受け取ると帳簿に記録した。
「そうだ、もしよろしければ、あなたも冒険者登録をしてみませんか? リヴァードさんの記録にも『後継者あり』とありましたし、きっとあなたのことですよね?」
「えっ、わたしが……?」
「背負っているその弓も、あの方のものでしょう? きっとその想いも受け継いでいるのでは?」
受付嬢の言葉に、ティエナは瞳を伏せて腕を組んだ。
肩に乗っているノクがティエナの耳に口を寄せた。
「どうしたの?」
「う~ん。じいちゃんは、街に出ろとは言ったけど、冒険者になれなんて言ってないなあと思って。ただ、ひとりでも生きていけるように、狩猟のスキルとか、必要なことを教えてくれていただけだもんね」
ティエナは眉間に皺を寄せ、頭を傾けながら唸った。
「でも今は……せっかく街に来たんだし、ちょっとだけ冒険者ってやつをやってみてもいいかなって。それに――」
そこでティエナは声のトーンを落とし、ノクにだけ聞こえるように囁く。
「元・神さまとしてじゃなくて、『今のわたし』で、どこまでできるか試してみたいな。なんて思ったり」
ノクも小さく頷いた。
「いいんじゃない? どちらにしても生きていくための収入は必要だしね」
ノクの返答を聞いて、ティエナは満足そうにこくこくと何度も頷いた。
そして目を開き、受付嬢に向き直った。
「はい。わたし、なってみたいです!」
受付嬢が柔らかく微笑む。
「承知しました。こちらへどうぞ。簡単な書類記入と、魔力適性の検査をいたしましょう」
受付嬢は他の職員に声をかけてカウンターを任せると、ティエナを奥の部屋へと促して先導する。
その先の扉を潜ると、小さな部屋の中に机がひとつ。その机の上にはやや曇った透明に近い色合いの水晶球が乗っていた。
受付嬢はティエナが書類に名前や出身を書き込むのを見届ける。
「名前は――ティエナさん、ですね。ふふ、いいお名前ですね。私はクラリスと申します。今後ともどうぞよろしくお願いいたします」
「はい! よろしくお願いします!」
互いに軽くお辞儀をしあうと、クラリスが水晶球を手のひらで指し示す。
「では、手をかざして、マナを流し込むように集中してみてください」
「はい……」
手を近づけると、曇りガラスのようにうすぼんやりとしていた水晶の中心から、蒼が渦巻いたかと思うと、一瞬で閃光のように膨れ上がり――
ビシッ!
音とともに細かなひびが走る。
「えっ……」
ティエナが思わず手を引いた瞬間、
パリンッ――と音を立てて水晶が砕け散った。
「……! す、すみませんっ! えっ、あれ!? 壊しちゃった……!」
クラリスはテーブルの上に散らばった水晶の欠片を凝視していた。
ぽかんと開いていた口を一度きゅっと結び、襟を整えてから改めて声を発した。
「……こんな反応、初めてです。水属性、それも極めて高い適性……魔力量も規格外です」
「えっ……わ、わたし、そんなに……?」
「ええ。まさに逸材です。さすが――リヴァードさんの後継者、ですね」
クラリスは真剣な眼差しでティエナを見つめる。
ティエナは満足そうに胸を張り、肩のノクに小さな声で耳打ちする。
「ふふん、そりゃまあ、『元・神さま』だしっ? 当然よね!?」
「……いや、でもギルドの備品壊しちゃって大丈夫なの……?」
耳元でノクの呆れた声がした。
「うっ、それは……ごめんなさいクラリスさん……!」
ティエナも思わず苦笑いを浮かべ、頬に冷や汗が一筋流れた。
その後、クラリスは記録用紙に記入を進め、奥にいるスタッフへ指示を飛ばした。
「冒険者証、少しお待ちくださいね」
数分後、カチャリと音を立てて銀色のプレートが差し出された。
「こちらがあなたの冒険者証です。お名前と等級をご確認ください」
「……ありがとうございます!」
金属の表面には「ティエナ・F級」の文字。
「……じいちゃんのは木の板だったのに、金属なんだね」
ひんやりとした感触に、ほんの少しだけ時代の流れを感じてしまう。それでも、不思議と嫌な気持ちはしなかった。
そして――冒険者証を手にした瞬間、胸の奥がじんわりと熱くなった。
「これで……わたしも冒険者なんだ……」
「おめでとう」
ノクがティエナの後頭部を軽く叩きながら、くすりと笑みを見せた。
「次は、素材の買取だね?」
「あっ、うん! ツノイノシシ、持ってきてるから……」
ティエナがクラリスに素材の買取についてたずねると、別室へと案内された。
そこにいたのは、ごつめの中年男性職員。
鋭い目つきの奥に、どこか優しげな雰囲気が漂っている。
「お嬢ちゃんが買取だと? ……まぁいい。とりあえず、どんな素材か見せてくれ」
「はい。ちょっと、大きいので……近くに置いてあるんで、すぐ持って戻りますね!」
ツノイノシシが収納されているのは、ティエナの腰に下げた小瓶の中だ。
職員の前で『神の力』を使うわけにもいかず、うっかりそのまま来てしまったティエナは、引きつった笑顔を浮かべながら軽く頭を下げた。
そのまま、そそくさと部屋を出た。
――そして数分後、縄でぐるぐる巻きにしたツノイノシシをずるずると引きずりながら戻ってきた。
「お、おい……どこから持ってきたんだ!?」
職員が目を見開いて叫ぶ。
「あー、いやー、そのー、えっとー、ポーチ……から?」
ティエナの曖昧なごまかしに、ノクは肩の上であきれたようにため息をついた。
だが職員はぽんと手を打ち、深く詮索することなくうなずく。
「ポーチって……いや、そんなわけあるか……いや待てよ、リヴァードさんとこの子か。あー、あの爺さんなら収納袋のひとつやふたつ持っててもおかしくねぇな」
ティエナは苦笑いを浮かべながら、ノクに耳打ちした。
「あ……助かった。なんか勝手に納得してくれた!」
「……ただのラッキーだからね」
ノクも呆れ顔のままだ。
職員が目を閉じて、ひとりで頷きながらティエナに声をかけた。
「お嬢ちゃん、収納袋ってのは高級品なんだ。むやみに見せびらかすもんじゃねぇぞ」
「あ、はい! 気をつけます!」
ティエナはひきつった笑顔を保ちながら、ノクとそっと目を合わせた。
「ばっちり、作戦成功……だよね?」
「……その場しのぎっていうんじゃないかな」
職員は素材を改めて確認し、満足げに頷いた。
「保存状態、かなりいいな。血も抜けてるし、傷もない。未解体でこのレベル、なかなか見ないぞ」
彼は手際よく査定を済ませ、革袋を差し出した。
「――銀貨六枚、銅貨十五枚。上出来だ」
「わ……! ありがとうございますっ!」
重みのある袋を受け取ると、ティエナの顔にぱっと笑みが広がる。
「これが……『わたし』が稼いだお金……!」
心に、小さな誇らしさが芽生えていた。
ギルドの建物を出たあと、ティエナは通りの片隅で袋の中をそっと覗いた。
革袋の中で、銀貨と銅貨がしゃらんと鳴った。ティエナは硬貨をそっと手に持ち、じっと見つめる。
「じいちゃんが換金していた薬草や獣の肉とは、ぜんぜん違う」
ティエナは、まるで初めて手にしたおもちゃのように、硬貨の表や裏をひっくり返して眺めていた。
「わたしが自分で、魔物を狩って、素材を持ち込んで……それで得た、お金なんだ」
手のひらの中で感じるその冷たさが、妙に現実味を帯びている。
「どうしたの? にやけてるよ?」
肩の上からノクがくすっと笑う。
「えへへ、だって。見て見て、銀貨だよ! しかも六枚も! 銅貨もいっぱい!」
「まあ、素材の状態もよかったし、出だしとしては悪くないよ」
ティエナは、にまにまと笑いながら銀貨一枚を光にかざす。
「じいちゃん、見てた? ……ちゃんと、できたよ」
胸の奥がじんわりと温かくなった。
いつまでも眺め続けるティエナの肩を、ノクがそっと叩いた。
「さて、そろそろ宿を探そうか。さすがに野宿は気が進まないでしょ?」
「うん!」
スタトの通りを歩きながら、数軒の宿を見て回る。だが、値段が高かったり、雰囲気が合わなかったりで、なかなか決まらない。
「ここなんてどう? 『木もれ日亭』って名前、ちょっと素敵」
ティエナが指し示した先にあるのは、緑の蔦が這う木造の建物。大通りから少し外れた、静かな場所にある宿屋だった。
「見た目は悪くないね。中、見てみよう」
扉を開けると、木の香りとほんのり漂うスープの匂いが迎えてくれた。
「いらっしゃい」
カウンターの奥から現れたのは、落ち着いた雰囲気の女性だった。
年のころは三十代後半くらい。しっかりした体つきで、どこか「元冒険者っぽさ」を感じさせる。
「一人? あ、そこの子も一緒?」
「はい! わたしはティエナで、この子はノクっていいます。わたし、今日冒険者になったばかりで……」
「あら、それはおめでとう。なら、お祝いに少しサービスしちゃおうかしら」
そう言って、女将はほほ笑む。
「ここはね『木もれ日亭』という名の宿屋よ。食事つきで一泊八十銅貨、初心者さんには優しめにしてるの」
「や、安い……!」
どこの宿も一銀貨(百銅貨)を超えていたので、それを下回る価格にティエナは感激した。
すぐに宿泊を決めたティエナは、胸を弾ませながら、木の床をリズミカルに軋ませて女将に案内されるまま部屋へと向かった。
中は質素ながら清潔で、窓から木漏れ日が差し込んでいる。
柔らかいベッド、棚、洗面台。十分すぎる環境だった。
「ふぅ……」
ティエナはベッドに倒れ込み、ひと息ついた。
今日一日で、いろんなことがありすぎた。転生後、初めての街、ギルド、魔力検査、買取、そして宿。
「……なんだか、ちゃんと『自分で暮らしてる』って感じがするね」
「そうだね。今日はちゃんと『街の一日』だったね」
ノクがクッションの上でくるんと丸まりながら言う。
「……これからも、うまくできるかな」
「できるよきっと。水晶を粉々にするよりは簡単だと思うよ」
「う……それはノーカウントで!」
ふたりの笑い声が、やわらかく部屋に満ちていく。
その夜。
ティエナは静かな寝息を立てながら、夢の中でじいちゃんに語りかけていた。
「ねえ、じいちゃん。わたし、ちゃんとやれてる?」
そこにじいちゃんからの返答はないけれど、月の光がそっと窓辺に差し込み、ティエナの頬を優しく照らしていた。




