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もと女神は冒険者はじめます!  作者: さわやかシムラ
◇◇ 第二章 ◇◇
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第97話 水面の向こうへ

 わたしは全ての神の力を本当の意味で取り戻して――意識下の空間から抜け出したはず――。


 だけど、ここは違う。

 まだ現実じゃない。夢うつつのような世界。


 水が――どこまでも広がっている。

 水面に波紋が浮かぶ。

 覗き込んでみると、そこにぼんやりと私の顔が映る――。


 ……?


 『私』の顔!?


 ティエル=ナイアとしての顔が水面に映っている。


 慌てて、わたしは自分の顔に触れてみた。


 う~ん……たぶん……ティエナだと思う。正直触っただけじゃわかんない。

 どっか別に鏡ないかな……。

 あー、でもこれやっぱり夢かな。

 だって、わたしはもうティエナだし。神の姿なんてとうに失われたわけで……。


 そんなことを、ぼーっと考えていた。


<……ティエナ>


 ここ……どこなんだろう。


<……ティエナ?>


 どうやって帰ったらいいのかなぁ。


<話を聞きなさい、ティエナ!>


「ひゃあ!?」


 そーっと水面を覗き込むと、目くじらを立てた『私』がそこにいた。


<貴方はどうして、そんなに間抜けなのですか>


「え、それは……『私』だから?」


<私は……そんなに間抜けじゃありません>


「でも、わたしと一緒で、ケーキ好きでしょ?」


 水面の向こうで『私』は少し考える素振りを見せたけど、照れくさそうにこくりと頷く。


「クッキーも好きでしょ?」


 こくり。


「恋愛写本も読みたいよね?」


 こくり。


「そう言えば帝国にも美味しいケーキ屋あるらしいから行かないとね?」


<それは聞き捨てならない情報ですね。私も行かないと>


「ほら、わたしと一緒じゃん」


 そこで、『私』はバツが悪そうに目を伏せながら、ごほんと咳払いをした。


<ちゃんと私の話を聞きなさい>


「はーい」


 『私』をからかうのもなかなか楽しいけど、ちゃんと話も聞いてあげないとね。


<いいですか、ティエナ。貴方は今、選ばなくてはなりません。神として生きるのか、それとも人として生きるのかを――>


 ……。

 考えたことも無かった。

 神とか、人とか関係なくて、わたしはわたしだと思っていたけど。

 生き方を選ぶ……?

 神として、というのはティエル=ナイアとして?

 人として、というのはティエナとして、かな。

 でも、その生き方を選ぶことで、いったい何が変わるのだろう。


<この三十年ほど、天界は水の神を欠いた状態で進んできました。ダンジョンで会ったリュミナ=シエの話では、私の代わりは彼がしてくれているようでしたが、歪な状態であることは間違いありません>


 そんな事言ってた気がするなぁ。腹が立ったから、いろいろ忘れてたよ。


<スタト街の地下水路にミアズマが満ちていた事を覚えていますか?>


 あぁ、覚えている。

 ……ノクと一緒に入ったっけ。

「エンラットが大量発生してたやつだね! 懐かしいなぁ」


 わたしの言葉に『私』が呆れたようにため息をつく。


<本来であればあのような事が起こるわけもなく、あれは天界に私という水の神が欠けている為に起きた、不具合のようなものなのです。

 このまま放置すれば地上で水に関わる色んなところで、ミアズマの気配が増していくでしょう>


 そうなると今度は魔核の魔物ではなく、普通に魔物が増えてしまうということか。


「それって良くないよねー? ……でも、対処する方法あるの?」


 『私』はこくりと頷く。


<水の神が戻れば良いのです。――その為には、ティエナ。あなたが神として天界に戻るか、神の力を放棄して別の誰かに譲り、それを神として天界に送る――このどちらかになります>


 人を辞めて神に戻れと、そう言われているのか。

 さもないと、地上は魔物で溢れるぞ、と?

 またも大規模な人質を取られている気分だ。しかも今度は自分に言われている。これは困った。


「はぁ……。じゃあわたしが天界に帰ればいいんだね? 神の力をホイホイ誰かに渡すわけにもいかないし」


 みんなと……離れ離れになるのは、嫌だなぁ。

 でも、わたしのワガママで地上を危機に晒す訳にはいかないよね……。


 『私』は目を瞑り、黙って聞いていた――そして、まるで内緒話をするみたいに小声で語りかける。


<私にひとつ、提案があります。ティエナ、貴方はノクの魔核を持っていますね?>


「うん? 持ってるけど……これがどうかしたの?」

 わたしは収納袋から白銀に輝く宝石のような魔核を取り出した。


<神の力を全て――その魔核に移すのです。そうすれば、ノクは新たな水の神として蘇るでしょう>


 ……!?


「えっ……!? それは本当!?」


 『私』は静かに頷いた。


<その代わり、貴方は全ての権能を失い、ただの人になります。それでも――>


「おっけー! それでいい! 神の力全て捨てるから、ノクを蘇らせよう!」

 悩むことなんて何も無い。


<即答なのね>


 『私』は思わず苦笑する。


 わたしはノクが生きてさえいてくれるなら、それで良かった。


「そうと決まればさっさとやっちゃお? どうすれば良いの?」


<では、その魔核をこちらに差し出してください>


 『私』の言うがままに、そっと魔核を水面へ重ね、ゆっくりと沈みこませる。

 水面の向こうの『私』の手元に魔核が移った。


 そして『私』――ティエル=ナイアの身体がひときわ大きく蒼く輝くと、優しい微笑みをたたえてわたしを見つめる。


<例え神の力を失おうとも、安心なさい。いままでも、そしてこれからも、貴方は貴方。なんでもないただの『ティエナ』なのですから。自信を持って生きていきなさい>


「ありがと。でも、そんなこと言われなくてもわかってるって」

 神としてのわたしじゃなくて、ティエナとしてのわたしを、皆が、友が、支えてくれた。

 失うものなんて何も無い。


「ねぇ、『私』!」


 わたしと『私』の視線が交わる。


「今まで、ありがとう、それと……さようなら!」


 その声を聞くと『私』――ティエル=ナイアは青い瞳をゆっくりと細め、そしてその身体が蒼い光の粒子となり、全て白銀の魔核へと吸い込まれていく――そして、一際大きく輝くと、その光の中から、全身の毛並みが蒼く染まった美しい竜の姿が現れた。


 あぁ……。ノクだ。

 色は変わっちゃったけど、あれはノクだ……!


 身体の周りに水滴が弾け、水が宙に舞い、羽衣のように身体を覆う。

 立派に成長した蒼き竜の姿になって、帰ってきた……!


 わたしは水面の向こうへ叫ぶ。


「ねぇ、ノク! 聞こえる!? わたしだよ、ティエナだよ! わかる!?」


 ノクの瞳がこちらを捉え、ニッコリと微笑んだ。


「なんだよ、ティエナ。また泣いてるの? 泣き虫だなぁ本当に」


「うん、うん……! しょうがないよね! 今ぐらいは許してよ……!」


 わたしの言葉にノクは優しく目を細める。


「ごめんね、ノク! わたしの役割押し付けちゃった! 水の神様として、頑張ってね!?」


 ノクに少しでも近づきたくて、わたしは水面に顔をぐいっと近づける。

 そんなわたしの顔を見て、ノクがいつものように意地悪そうに笑うのだった。


「ほんとに、面倒なことは全部ぼくに回すんだから……。ちゃんと、報酬も用意しておいてよ?」


 こぼれた滴が、水面に波紋を呼ぶ――。


「えへへっ、エルデンバルにある王室御用達のケーキ屋さんで何か買っていくね!」


「じゃあ、それで。期待せずに待ってるよ」


 目を細めるノク。

 水面が大きく波打って――この夢のような時が終わりを告げようとしている。


「うん、待ってて! 必ず、必ず会いに行くから!」


 わたしは手を振った。

 ノクは満足そうに頷いた――。


 水面の向こうは美しくて――そして、遠かった。


 風が止み――波紋が消える。


 わたしは不思議なこの天と地をわかつ境界線をいつまでも眺め――そして、見知らぬ王宮の一室で目が覚めた。

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